戦いは極力避けるaoikaraです。私は負けず嫌いなんでね、負ける闘いはしないんです。つまり、激弱なのです。
というわけで今回のテーマは…
西郷どん 第35話「戦の鬼」感想
です。
※個人的な感想なので辛口なコメントを含みます。
※ネタバレもしていますので、まだ内容を知りたくない方はドラマを見てからどうぞ。
▼ネタバレ記事はこちら
▼西郷どん 第34話「将軍慶喜」記事はこちら
GOODポイント
- 龍馬がカステラを食べていると「龍馬伝」を思い出します。「かすていら」作っていたなぁ。
気になったポイント
- 小御所会議の服装について気になったので、詳しく後述しています。
感想
さらば龍馬
龍馬が出てきてからいなくなってしまうまで、あっという間でした。こざっぱりとしていて、商売が楽しくて、それでも民のことを考える良い男だったんですがね。あまりにも突然で悲しい。
龍馬と決裂してしまった吉之助ですが、龍馬の訃報には悲しみの表情を浮かべていたように見えました。龍馬としても、ケンカしてしまったことを公開し、また薩摩としてもうまくやっていく方法を考えていました。一生会わないとは、お互いに思っていなかったでしょうね。
お龍さんの姿が痛々しかったです。吉之助に「新しい時代に必要な人だった」と龍馬のことを言われて、「それなら新しい時代なんか来んでええ!」と言い切るのには、胸が痛みました。
そして、踊り狂いながら「ええじゃないか、ええじゃないか」と言う姿はもう見ていられなくて。どうなっていくのかわからない世の中で、何もかもどうでもいいというような民の気持ちが「ええじゃないか」となったのではないかと感じました。悲しいです。
吉之助が戦の鬼になってしまった…
ああ、吉之助が変わってしまいました。信吾の言葉を借りるなら、
戦の鬼
になってしまいました。うーん。表情も、今までは険しい中にも強さと優しさがありました。それが今は底知れぬ恐ろしさと迫力と強固な意志があると言いますか。何を考えているのかわからない、恐ろしいものを感じました。
怒りが爆発して「武力だ!」というような描写があるわけではないのが怖いんですよ。徐々に変化していったというか、吉之助もまた新しい時代に流されてしまった一人なのでしょうか。
慶喜が日本を切り売りしようとしたことはあくまできっかけで、吉之助が戦の鬼になる準備はすでに始まっていたのではないかと感じてしまうほどに。
吉之助の変わってしまった正義
吉之助は本来、民のための国を作ろうと考えていたはずです。それを蔑ろにする慶喜に怒りを抱き、縁を切り、自分なりの方法で新たな国作りを模索していたはずです。いつしかそれを阻む物=慶喜であり、慶喜と徳川幕府こそが敵で、それを武力で潰さなければ世の中は変わらないという正義に変わってしまったように感じます。
元々、吉之助は信念が揺るがない男なんですよ。だからこそ、今まで成し遂げてきたたくさんのことがある。その吉之助の正義が変わってしまったら、成し遂げるまでの意志の強さが残酷な運命を導いていく気がしてならないんです。
龍馬が民の立場になって説いても、龍馬を亡くして時代を恨むお龍さんを見ても、民のことを思っていた吉之助の過去を語る信吾の言葉を聞いても、吉之助は揺るがなかった。
戦をする大義名分のために多くの民が犠牲になる策を取ったのは、もう愚かとしか思えません。長州征伐の大義名分を欲しがっていた慶喜とやっていることが変わりないじゃありませんか!
民のためと言いながら、民を犠牲にしてしまっている時点で、それは民のためではないです。もう過去の吉之助はいないのかと思うと、本当に切ないです。弟の信吾のような、もう吉之助が何を考えているのかわからず、複雑な思いだけが取り残されているような心地です。
「短刀一本あれば片がつく」が恐ろしすぎる
小御所会議で倒幕派の岩倉・一蔵に対して、慶喜の地位を守っていく必要があると強く主張したの前土佐前藩主の山内容堂。前福井藩主の松平春嶽もそれに同調していました。
容堂の情勢が優位になっていると一蔵から聞いた吉之助は、容堂の見えるところで「岩倉に渡してほしい物がある」と言います。そして、「そげんこつ、短刀一本あれば事足りっじゃろ」と続けました。
あのシーンにはぞっとしましたね。うわあああ、って声が出ましたもん。言うことを聞かない奴がいるなら、切っちゃいなよYOUってことでしょ。それでみんな黙るじゃんって、怖すぎる…。さすがに一蔵も引いてましたもの。あの場でその策略を考えついた吉之助がもう恐ろしくて…。
なかには「あの山内容堂がこんなことで気持ちが折れるほどやわではない」という声も見かけました。たしかにと思う一方で、私は別の考えも抱きました。
冷静に考えれば、吉之助がやっているのは“脅し”に過ぎず、心理的に揺さぶる策だと容堂も理解するはずです。それでもおとなしくなってしまったのは、それほどまでに吉之助の気迫を感じたからではないかと。
吉之助のあの佇まいと目は、短刀を引き抜くことさえ厭わないような恐ろしさがありました。容堂はここで命を落とすほど愚かではない、と気持ちが傾いたのか、自分を納得を刺せたのではないかと思います。本当に恐ろしかったです。
慶喜にとっても吉之助は恐ろしい存在なのか
慶喜は吉之助を敵と見なしているのかと思いましたが、実は違ったということがわかった今回。いや、敵と見なしていないというよりは、慶喜が敵としてしまえば、向こうは心置きなく慶喜を朝敵として襲いかかってくるだろうという恐怖でしょうか。憎しみでも恨みでもなく、そこにあるのはただただ恐怖だけ。
吉之助と慶喜は良い関係性を築いていましたが、崩壊してしまった慶喜についていけず、吉之助は縁を切りました。しかし、吉之助もまた以前のような姿から崩壊しているように感じます。
今の吉之助を作り出してしまったのは、慶喜であるはずですが、その慶喜が誰よりも吉之助を恐れているというのは妙な関係性です。時代が違えば二人は良い関係を築けていたのかなと思うと、これもまた切ない。
慶喜は倒幕派の脅威から逃げたのではなく、吉之助というただ一人の存在から逃げていました。史実ではありえないことですが、西郷吉之助が主人公の大河ドラマとして、この解釈はありなのかもしれません。
吉之助は慶喜を倒すことを正義としていますが、それは果たして正義なのか。今の慶喜を見ていると、憎々しい敵のようには感じません。
また、吉之助の変わってしまった姿に戸惑う信吾を見て、視聴者として気持ちを同化させてしまうのです。これは正義なの?と、吉之助に問いかけたくなってしまう。
個人的に気になった話:小御所会議での服装について
王政復古後の最初の会議は小御所会議。そのとき、山内容堂だけ正装ではないのが気になりました。最初は公家だけが正装で、それ以外は正装ではないのかなと思ったのですが、松平春嶽は正装なんですよね。それもよくわからなくて。
小御所会議について調べてみると、当時の様子を描いた絵を見つけました。聖徳記念絵画館壁画「王政復古」(島田墨仙画)だそうです。
一番奥にいるのが天皇。左側の着物姿が山内容堂。右側の腕を伸ばして容堂を指しているのが岩倉具視。見切れていますが、右下にいるのが大久保一蔵だそうです。
▼下記リンクも参考に
この絵を元にドラマ上で再現したのかなと考えると辻褄が合うのですが、でもなぜ春嶽は正装をしていて、容堂は正装ではなかったのかという疑問は晴れません。
私が考えたこととしては、武士として、公家と同じような正装はしないという容堂の意思だったのかもしれないですね。土佐藩は武士がかなり強い立場にありますし。他の藩士も正装をしているわけではないので、無礼ではなかったのかなと。咎めているような話もありませんし。
服装について真相を知りたいのですが、調べても出てきませんでした。何か詳しく知っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけますと幸いです!
次回:朝敵は…
新政府軍と旧幕府軍の戦い、「鳥羽伏見の戦い」が始まる。岩倉の策により新政府軍は優勢になるが、信吾が銃弾に倒れる。朝敵になることを何よりも恐れた慶喜は、なんと大阪城を出て江戸に逃げ出してしまう。吉之助はその報せを受け、江戸へと兵を向かわせる。
もう吉之助は慶喜を倒すことしか考えていない感じですね。そして、懐かしい方々も出てくるようです。吉之助と篤姫との関係性を丁寧に描いていたのが、ここで生きてきますね。「控えよ~」も楽しみなところで、来週を待ちます!
aoikara
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