池井戸作品の魅力とは?社会派で重厚感のあるテーマ。勧善懲悪のエンターテイメント性。たくさんの魅力が思い浮かぶが、実は集団を描く力がものすごく優れている著者なのではないか。この作品を通じて、まざまざとその力を見せつけられた気がする。
▼文庫はこちら
※ネタバレを含みます。
あらすじ
トレーラーの走行中に外れたタイヤは凶器と化し、通りがかりの母子を襲った。タイヤが飛んだ原因は「整備不良」なのか、それとも…。自動車会社、銀行、警察、週刊誌記者、被害者の家族…事故に関わった人それぞれの思惑と苦悩。そして「容疑者」と目された運送会社の社長が、家族・仲間とともにたったひとつの事故の真相に迫る、果てなき試練と格闘の数か月。
引用元:内容(「BOOK」データベースより)
感想
池井戸作品とタイトル
小説の本題の前に、池井戸作品のタイトルについていつも思うことがある。それは「ダサい」ということ。決して批判しているわけではない。味のある“ダサさ”なのだ。
池井戸作品が広く世に知られることになったキッカケである、ドラマ『半沢直樹』の原作のタイトルは『俺たちバブル入行組』と『俺たち花のバブル組』である。個人的な感想で言えば、やはりダサい。
ドラマ『半沢直樹』の監督も池井戸作品の大ファンであったが、タイトルのダサさから『俺たちー』を読んでいなかったという話を以前テレビで知った。読んでみたら面白かったので実写化して大成功したに至るのだが。
その他にもドラマ『花咲舞が黙ってない』の原作タイトルも、『不祥事』で雰囲気が全く違う。絶妙に「面白いのかな…」と不安になるタイトルなのだ。
ただし、どの作品も「読んでみたらものすごく面白い」のだ。だから、絶妙にダサさを感じるタイトルだけれど、読者としてとても愛着を抱いてしまう。
今作『空飛ぶタイヤ』も、タイトルだけではどんな小説かさっぱりわからなかった。作品を知った当時、ドラマ『下町ロケット』という下町の中小企業がロケット部品を作る夢を追う物語を見ていたので、「中小企業が空飛ぶタイヤを作る話かな?」と、非常に短絡的に想像していた。
読んでみると全く違い、とても重々しい話なだけに、私の稚拙な想像力が恥ずかしくなった。
「タイヤが、飛んだ……?」
作品の冒頭に出てくる言葉そのままに、あまりにも衝撃的な出来事が主題となっていく。と考えると、『空飛ぶタイヤ』というのは、池井戸作品“らしさ”もあり、この小説の全てを集約している秀逸なタイトルのように思う。
「あるのかもしれない」と思わせる小説の題材
走行中のトレーラーのタイヤが外れて飛んでいき、歩行中の母子に直撃。母親は死亡。トレーラーを生産する大企業のホープ自動車から、「運送会社の整備不良」と調査結果が出る。納得できない運送会社の社長・赤松徳郎は一人で調べ上げ、ホープ自動車のリコール隠しを突き止めるも…、というのが小説のあらすじである。主人公は赤松。
池井戸作品の魅力は、「もしかするとあるんじゃないか」と思わせる題材のリアリティだ。調べてみると、この作品もとある大企業のリコール隠しを題材にしたのだろうことがわかる。しかし、その事実を知らなくても、十分にリアルに映る。
面白くて続きが気になり、次々にページをめくりたくなるほどエンターテイメントに富んだ作品であるのにも関わらず、重厚感があるから読み応えもかなりある。
勧善懲悪の鬱憤と爽快感
池井戸作品の特徴と言えば、勧善懲悪。良い人と悪い人がわかりやすいのだ。良い人は不器用で間違うこともあるけれど、根っこは正直で真面目で努力家だから、つい応援したくなる。そして、悪い人はとことん悪く、憎らしくてやっつけてやりたい気持ちになる。
ただし、なかなか良い人のターンはやってこない。物事とは簡単にはうまくいかない。うまくいくと思ったら、お天道様にそっぽを向かれてしまうこともある。やっと悪を倒せると思っても、びくともしない壁の厚さに気づくこともある。
もどかしい気持ちで、鬱憤がどんどんたまっていく。その分だけ、悪人も調子に乗る。だからこそ、良い人がズバッと切り込み、勧善懲悪を成し遂げた時の爽快感たるや!これだこれ!この快感があるから読みたくなってしまう。
ただし、今回は全てがスッキリというわけにはいかなかった。何より、人が亡くなっている。どれだけ悪人を裁いたとしても、故人が戻ってくることはない。
とても優位な落としどころではあるけれど、10:0ではなく9:1の交渉をされているような気分にもなる。それを「小説のようにはいかない」とメタチックに語られる部分もあり、何もかもが快く進むわけではないのだと、また現実的な側面を知らされる。
集団の描き方が素晴らしい
この作品の素晴らしいところは、あらゆる視点から物語が動くことだ。いろんな登場人物の視点で物語が動く。
時に対立する立場を描きつつも、全く違う心持ちの人物を描く完成度の高さというのは、本当にすごいと思った。どうしてこんなに違う人のことを、主観として描けるのだろうかと。
ドラマや映画の場面がぱっと変わる瞬間を見せられているような感覚さえあった。このまま映像作品の脚本になるのではないか、というくらい。池井戸さんの脳の中を覗いてみたくなった。
「私ならどうする」と考えさせられる
さまざまな立場から描かれる作品だからこそ、「私ならどうする」と考えさせられる。
赤松のように、何度希望を踏みにじられても、また立ち上がれるだろうか。きっと私は無理だろう。自分の仕事を誇り、強い信念がある赤松だからこそ、立ち上がれたのだ。
自分の一番大切な妻を亡くした夫が、冷静な判断をできないことを責められるだろうか。私が同じ立場なら、真相が明らかになっても疑う気持ちを持ち続けて、和解することなどできなかっただろう。
ホープ自動車の社員だとして、危機感を抱くことなどできただろうか。ぬるま湯の心地よさに浸り、むしろ危機に陥らせた人間を理不尽に恨むかもしれない。
私たちは社会的に何らかの立場であり、その立場でのみ考えることが多い。ときには小説を読むときのように、誰でもない第三者としての目線を持つことで、自分自身の立場を省みることができるのかもしれない。
小説として非常に面白く、また集団を描く技術にも圧巻され、考えさせられる良い作品だった。やはり池井戸作品は、どれを読んでも面白い。
aoikara