ハーリハーリハリハリケ~ン、をたまにカラオケで歌うaoikaraです。
さて、今日のテーマはこの歌を聴けばもうわかりますね。わかりませんね。なので書きます。今日のテーマは…
TEAM NACS 第17回公演 マスターピース~傑作を君に~ 観劇レポ
というのも、仕事でこんな記事を書かせていただいた。
ナックスについて書いた記事!!!うれしい!!!オリジナルでイラストも描いてもらって、自分の想いを伝えられて、でも読んでくださる人にちゃんと伝わるようにって塩梅にしたら、あれ偏愛っぷりが少ないかなとかいろいろ考えたんだけど、書きました!!!
今作の公演についても触れています。とはいえ、全体の構成や文字数の関係で書き切れなかった想いがあるので、このブログでは観劇レポを中心に書いていこうと思います。
「マスターピース~傑作を君に~」ストーリー
日本が混沌の急坂を駆け上ろうとしていた昭和27年。
真冬の熱海の温泉宿にも、駆け上りたい男たちがいた。彼らはシナリオライター。
新作映画の脚本執筆のため、泊まり込みで原稿と向き合っている。
男たちは挑む!
まだ見ぬ傑作、【マスターピース】を求め、5人の侍が刀をペンに持ち変えて、未踏の軌跡を描ききる!
ときどき温泉に浸かりながら!
引用元:STAGE(最新公演)TEAM NACS 第17回公演「マスターピース〜傑作を君に〜」 | TEAM NACS Official web site
感想
切なくて、面白くて、楽しくて
物語はいろんな想いがあふれていて、見ている側としてもいろんな感情が沸き起こりました。
なんとも切なくてね。これは仕事のやりきれなさもあるし、時代のどうしようもなさもあるし、恋愛のほろ苦さもあるし、人生の切なさがぎゅっと詰まってるなぁと。
だけど、面白いところはしっかりと面白い!枕投げとか跳び蹴りとか、思いっきり笑っちゃったもんね。アラフォー・アラフィフに近づく5人だけど、体張って頑張ってるなぁ。
今回は5人だけの舞台だからこそ、メタフィクション的な言い回しで伝えているのも面白かった!ああいうの、好きです。
いろんな感情が出てくるけど、いきいきとして全てにおいて「楽しかった」という感想に行き着くのかなと思いました。
舞台は魂が宿る場所
私は過去に一度だけナックスの舞台を見たことがあり、その熱量にものすごく衝撃を受けた記憶があります。今回はライブビューイングでしたが、同じ熱量が画面越しでも伝わってきました。
そして、改めてすごいなと実感。
最初は誰かの頭の中にある考えが、言葉になり、文章になり、脚本という物語になって、役者さんの演技や演出によって、命が吹き込まれる。見えているものだけでなく、舞台を支えてくれる人たち全ての想いがある。そして本番には全ての人の想いが熱量となって、ものすごい勢いで伝わってくる。
以前は役者さんとしてのすごみを感じたけれど、今回はさらにたくさんの人の想いも感じました。今の時代だからこそ、人と人とのつながりを強く感じたのかもしれないです。
舞台は“作り物”ではある、“演技”ではあるけど、その瞬間の“人”はきっと生きていて、魂が宿る場所なんだなぁ、なんて思いました。
“伝えたい”を伝えられない時代に思いを馳せて
物語にもう少し踏み込んだ話もしたい。今回の舞台ではシナリオライター、脚本家を描いていて、私も同じ“書く”仕事をしているので、立場として重なる想いがありました。
彼らは“書く”ということより、どちらかといえば“映画を作りたい”、という想いの方に重きを置いているとは思いますが。とはいえ、自分で作って何かを表現する、何かを伝えたい、という思いは同じだと思います。
自分が表現したいものを形にして表に出す、それが今よりも難しい時代。今の感覚で言えば、機会が与えられなくても「形にして自分で世に出しちゃえ」なんて私は思ったけど、難しいのでしょう。当時は、世に出る方法が限られていたわけだから。
今はだれだって発信できる時代です。だからこそ数の膨大さに埋もれてしまうことも多いけど、世に出す機会は与えられている。
でも、当時は「伝えたい」「伝えよう」としても手段がなくて。表現したいものを世に出せない悔しさは、今以上にあるのだなと思いました。
“伝えられない”やるせなさをこの舞台で“伝えられる”のは、“作り続けている”からこそで、舞台で表現しているという素晴らしさがそこにあって、とても尊いものだなと感じました。
演じる人はなんて魅力的なのか
初めて生で観劇したときも思ったことですが、舞台で見るナックス5人の演技は本当にすごいです。ドラマや映画でも演技は見ますが、舞台の迫力はまた違っていて。本当に、演じているその人にしか見えないからすごい。
5人ともいつもの5人ではなく、演じているその人たちなの。で、見終わった後のカーテンコールの挨拶で、もう元の5人に戻っているの。さっきまでの人たちはどこに行っちゃったのってくらい、本当にびっくりします。
音尾さんは5割増しで陽気だったし、戸次さんは5割増しでナイスガイだった。安田さんや森崎さん、大泉さんなんかは本人には見当たらない引き出しを開けてしまったかのような気分になりました。
特に今回、個人的な感想としては、安田さんが圧巻でした。表情や声、仕草全てが素晴らしくて、そこにある佇まいまでその人そのものだった。いろんな意味で「同じ人とは思えない」と感じました。観た方には2通りの意味で伝わる感想じゃないかな。
そう、同じ人とは思えない。どこでスイッチをON/OFFしているんだろう。カーテンコールの挨拶のときはもう“抜けている”感じ。
私が観劇したのが千秋楽だったから、“抜ける”というか、“いなくなっていく”感覚はよりあったのかもしれないです。明日もまた演じるとなると自分の中に役を残しておくのかもしれないから、千秋楽だからこそよりON/OFFを感じられたのかなぁ。
ライブビューイングならではのメリット
舞台は会場ではなく、オンラインのライブビューイングで観ました。これはこれでメリットがありますね。たとえば…
- 見逃さない、聞き逃さない
- 表情がよく見える
- 自宅なので気軽
- 声を出すのも、笑うのも、突っ込むのも自由
などなど。舞台でスポットが当たっている(物理的にというより脚本的に)人にカメラもフォーカスされるから、どこで誰を見たらいいのかがわかりやすかったです。音もしっかりとれていますし。見逃さないし、聞き逃さない。
舞台だと遠くの席だとなかなか表情までは見えないけれど、カメラが寄ってくれるからよく見えるのもいいところですね。
自宅なのでどんな格好でもいいのもラクでした。私はすっぴん、ボサボサ髪、メガネ、部屋着、あぐらをかくなど超リラックスモードで拝見。気持ちは一張羅ですよ。いや、ホント。
どこで声を出してもいいし、どこで笑ってもいいし、自由さというのはオンライン配信ならではかなと思いました。
でもやっぱり生で見たい!
ライブビューイングを観て、でも結局思ったのは「やっぱり舞台は生で見たい!」でした。やっぱりね、一体感や臨場感は生の舞台だからこそ味わえるものだと思います。
画面越しでも、画面の向こうにいるお客さんと5人との一体感というのが伝わってきて、その点では少しだけ傍観者の気分だったんですよね。ナックスの5人は、見に来てくれたお客さん一人一人をきちんと見てくれていて、「いいなぁ」と思っちゃいました(笑)
もちろん、画面越しの私たちも見てくれているし、熱い想いは伝わってきましたが、やはり隔たりは感じてしまう。
たとえば舞台中でも、スポットが当たっていない人がどんな表情をしているのか、ちらりと見てみたい。演技の熱を震えるような近さで感じたい。
見逃したり聞き逃したりして、一緒に来ていた人と答え合わせをしたり、後でDVDを見て「そういうことだったのか」と改めて気付きたい。なんだったら数回観に行きたい。
生だからこそ、感じる、わかることがあると思います。ナックスの舞台を生で見たのは一度だけの私が言うのもどうかと思いますが。だけど、だからこそ、やっぱり違うんだと思います。
コロナ禍のエンターテイメント
初日から千秋楽まで、誰一人欠けることなく、一つの公演も飛ばさず終えられたことも本当によかったなと思いました。
それは舞台に関わるスタッフの方々、見に来てくれた方々、全員が協力してくれたからなんですよね。リーダーが「きちんと予防をして帰っていただくことで完成する」というようなことを言ってたけど、まさにそうで。呼びかけてくれたから、きっと無事終えられたんだろうな。本当によかった。
次の舞台は、もっと近くでね、見られるようになると思います。次こそきっと。こちらの表情が見える形でね。そう信じたいし、待ちわびたいと思いました。
いやぁ、最高でした!
P.S.
ナックスの後輩、NORDの島太星君の舞台鑑賞後の感想が面白すぎたので共有。イケメンタルにも出るし、やっぱり天才だなぁ。見た人はもちろん大爆笑、見なかった人にはミステリー過ぎるかも。いや、見た人間だけどミステリーな内容です(笑)