最後まで読みたくなり、最後まで読んで達成感を感じるような、だけどなかなかに生々しいそんな本です。
あらすじ
ええ、はい。あの事件のことでしょ?―幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。深夜、家に忍び込んだ何者かによって、一家四人が惨殺された。隣人、友人らが語る数多のエピソードを通して浮かび上がる、「事件」と「被害者」。理想の家族に見えた彼らは、一体なぜ殺されたのか。確かな筆致と構成で描かれた傑作。『慟哭』『プリズム』に続く、貫井徳郎第三の衝撃。
出典元:内容(「BOOK」データベースより)
読んだキッカケ
キッカケはこの本が原作の同名映画の予告編を見たからだった。いつも演技力がたしかな妻夫木聡に、なんだか恐ろしさを感じる満島ひかり。この映画を見てみたいと思った。
そんなとき、書店で原作を見つけて、すぐに手に取った。
人の言葉は主観でしかない
この本はインタビュアー目線で語られており、それが誰かはわからない。それぞれの人物へのインタビュー形式で構成されている。
だから、最初は誰もが語っていることはなんとなく「真実だ」と思って読んでいる。しかし、それは全く違うなんて言われてしまう展開があるのだ。そこで、全てが真実ではないのだと気づく。
だからといって「間違っている」と言われた側が間違っているかと言うと、そうじゃない。
“自分”と“語る人物”と“聞かせている人物”と。絶妙なバランスによって生じる言葉でしかないということ。たとえば同じ事柄を話すときでも、話す人によって感じ方が違うし、話す内容は違うし、話す相手によって伝え方も異なる。この本では、その「会話のリアル」を感じられて面白いのだ。
人の言葉はその人の主観でしかなく、真実であり、真実ではない。 「誰が正しいのだろう」と思って読むのには限界がある。読み終わった後も、それぞれの印象が異なるはずだ。それが、この本で語られている姿と同じなのだ。
最後まで読んで、全体像が見える気持ちよさ
ラストのギリギリまで、誰が犯人で何が真実か、全くわからない。謎な要素が多すぎるし、真実だと思っていたことが全く違って見えてきて、最後の最後まで何もかも分からない。
だからといって、焦らされてつまらないということはなく、早く先が知りたいとページを進めてしまう。
最後まで読んで、最初からの全ての流れが、全体像が見えたときに、とても気持ち良い。こんなおどろおどろしい内容をこう表現して良いのかわからないが、とても面白い。「面白かった」と言いたくなる本だった。
愚かなのは誰か
この本のタイトルは「愚行録」。愚かしい行動の記録、とでも言ったら良いのだろうか。
誰の愚行録なのだろう、なんてふと考えてしまう。実は出てきた人物のすべてが愚かな部分を持っているのではないか、と思う。そう感じている人も、そう感じていない人もいるけれど。
この愚かさの感じ方も、インタビューと同じで人それぞれ違うのだろう。
映画も見てみたい
原作を読んで、ますます映画が見たくなった。あの人は誰が演じるのだろう、あの人の演技でどう表現されるのだろう。そもそもが映画のような演出を感じる本なので、どう表現するのか非常に興味がある。見てみたい。
以上です。
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