中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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自己反省という名の言い訳

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もういくつねるときっと再来年のお正月になりそうなaoikaraです。時の流れはすさまじい。マンネリ化しない時間を過ごして、もっとゆっくり長い2018年を過ごしたいなぁ。

 

今日のテーマは

 

反省というか言い訳

 

です。

自分が言いたいことを言えて

こんな記事を書きました。

 

www.aoikara-writer.com

 

久しぶりにドラマ記事ではなく、自分が書きたいことを書いている(ドラマももちろん好きで書いていますよ!)思いがこもった記事で、なんとなくすっきりしている。

 

でも、良いこと言ってる気分になっている自分がいて、ちょっと違うなあと思って。すごく厳しいことを書いているけれど、その厳しさを自分に向けられるのかって話。私?私は無理ですよ。自分にこんな厳しさを向けられない。

 

ってなると、その記事全て空っぽのような気がしてしまうのよね。だから、意見するということについて反省という名の言い訳をします。つらつら、だらだら書きます。

 

批判すること

批判されて、自己弁護をしている人を見ると思います。「間違いを素直に認めて、批判を反省して、自分を見直せば良いのに」と。でも、そう言うのは批判している人か、今批判されていない人なんですよね。私もそう、今は批判されていないからそんなことが言える。

 

人の間違いを指摘するのって気持ちいいんですよ。だって正論しか言ってないから。正当な理由でしか相手を斬ってないんです。

 

そこから「こんな人にはなりたくないものだわ」「私は違うけどね」って見下すことが楽しくなっている人もいます。本人が気づいていなくても。私はそこまで思ってはいません。でも、書くことによる心地よさを感じているとしたら、その見下す感情に近いのだから、それはすごく反省すべき点だと思います。

 

自分が批判されたとき

私はめちゃくちゃメンタルが弱いです。1の批判をされたら、10ぐらい悪い方に捉えて、100落ち込みます。Twitterで基本的にポジティブなことしか言わないようにしているのも、ネガティブの隙を突かれて批判されるのが怖いから。「大丈夫」って自分に言い聞かせたいんですよね。

 

もちろん批判されるし、批判されたこともあります。そういうときは落ち込みます。何振り構わず動けるときもあるけれど、手が震えるほど動揺したこともありました。

 

しかも、批判は正論であればあるほどつらい。例えば、批判されても、言ってることがめちゃくちゃだったり、誰彼構わず批判したがっているだけなら、批判というか中傷だなって片付けられるんですよ。傷つくは傷つくけど、「不運だった」くらいに思える。

 

でも、言っていることが合っていたり、私への厳しさを批判している当人が自分にも向けられて、そのためにきちんと行動して、言ってることもブレていないとなると、言い訳できないですよね。だって正論なんだもん。私のことを的確に批判しているんだもん。

 

そうしたらね、私は姑息な方法で自分を守ります。価値観の多様性という武器を出して、「その人の考えはその人の考えとして正しい。でも、私の考えだって正しいはずだ」と思い込もうとするんです。要するに開き直り。私の味方になってくれる人に助けを求めて、励ましてもらって、自分を正当化するの。

 

私に味方になってくれる人はこんなにいるし、私は今までこのやり方でやってきた。それしか方法がないんだから、否定されたとしてもそのやり方しかできない。それを間違っていると言う人もいるけど、仕方ない。私は私だ。

 

みたいに。

 

こんなのまだ良い方で、もっと嫌な方法で対処しようとすることもあります。相手の痛いポイントを突いて、直接ではないけど心の中で蔑むの。だけど、自分の方がしんどくなるから、それはやらない。やって情けない自分に気づくし、やらない。

 

はあちゅうさんなんて、私の比にならないくらいの批判が来ているわけだし、そりゃあ滅入るよ。その後の行動が開き直りとは思いませんけど、そりゃあ自分の味方になってくれる人がいて、味方になってくれる発言があれば、そこに助けを求めますよ。

 

批判されたときの対処法

だから、自己反省として思うんです。否定されたり批判されたら、傷つく。逃げ出したくなる。傷ついても良いし、逃げ出しても良い。で、「つらかったよー」「いやなことを言われたよー」って誰かに励ましてもらって、元気を出しても良い。

 

でも、冷静になったときに、もう一度その批判を見つめてみる。そしたら、自分が良い方向に変化したり、足りない部分を確認することができるかもしれない。傷つく方が勝るなら、少し時間を置いても良い。時間が経って、自分を客観的に見られるようになったら、その批判を見直すの。

 

苦しいけど、批判と向き合ってみて、その人に認められなくても良いから自分のために良い方向につなげられたら、もっと自分は前に進める。

 

って、書くのは簡単ですけど、実際にやるとなるとつらいですよ。正論で自分を全否定されていて、それと向き合うってほぼ自傷行為。でも、発信する人間としては、批判とも向き合って、自分を研ぎ澄まさないとな、と自分自身に思うわけです。

 

これから、私も何らかで批判されることもあるでしょう。実際、過去にもあります。そのときは逃げました。土俵に立つのをやめた。自己弁護しまくった。周りに頼った。自分が傷つくより、守りたかったし。

 

でも、せっかく気づいたなら、一歩でも半歩でも進むチャンスにする。批判してくれた人は、すごくありがたいことだと思う気持ちで。

 

好きの反対は無関心。拒絶されても、批判されても、その人は私に感心があるのだから。その反応をありがたいと思わなくちゃ。

 

で、もう一度見直してみたら、実はたいしたこと言っていなくて、傷ついた自分に呆れてしまうこともある。そうすれば、傷付いた自分から成長できていると気づけるし、乗り越えたことにもなる。

 

批判した人が見ていなくても、私を見てくれている人にとって、良いことを届けられるように。

 

ネガティブだからこそ、ポジティブに生きたいなと思います。批判でも称賛でも、思うところがあればおっしゃっていただければ、バシバシ打たれながら、私は鋼のように強くなります。

 

良いな。2018年の目標は鋼の女だ。もうすでに同じ漫画とドラマがあるというのは内緒にして、鋼の女、頑張ります!

 

 

 

aoikara

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