適当な話を「あ、わかる~」と言ってしまうことがあるaoikaraです。今回はそんな自分を戒める話。
わからないなら調べよう
という話題です。
「わからない」は恥ずかしい?
「わからない」
というのは、とても恥ずかしく感じませんか?わからないこと≒悪みたいに捉えられてしまう社会だなと感じることがよくあります。
学校で先生から質問されて手を挙げる子は年々減っていきますよね。あれは「わからないのは恥ずかしいことだ」という意識が芽生えているからと感じます。
正しくは「わからない」をそのままにするのが恥ずかしい、かも。
こんな言葉もあります。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」
これ、聞くを知る、聞かぬを知らぬに置き換えても通じませんか。
「知るは一時の恥知らぬは一生の恥」
“知る”前には必ず“知らぬ”があるわけで、この“知らぬ”を“知る”ためには一時恥をかかなければならない。しかし、知らぬことは一生の恥になると。
わかったふり、しているような
これ、すごく感じます。というのも、私が知ったかしてしまうから。わからなくても、わかったふりしてしまう。そうしないと相手の話がスムーズに進まなかったり、相手ではなく自分が主体になってしまうから。
と、もっともらしい理由をつけているものの、やっぱり根底には「わからないと恥ずかしい」という気持ちがあるのでしょうね。しかし、相手はそれを理解したと思ってさらに進んだ話をするので、「わからない」が増えていってしまうばかりです。
そこで最近しているのが…
- 話の邪魔にならなければ「わからない」ことを聞く
- 後で調べる
- 「わからない」ことはすぐに調べるクセをつける
今ってパソコンやスマホでいつでもどんなときでも調べられる時代じゃないですかだったら調べよう!「わからない!気になる!」とうずうずして調べたくなってしまうくらいにはなってきました。
調べるも調べないも自由
しかし、私がしているから皆さん絶対にやってくださいね!というのは非常に図々しい女でおこがましいにもほどがあります。
でも、「それわからない」と言ってるなら、手元のスマホで調べたらいいのにとは思います。「わからない」から「わかる」を突き詰めていくと、また「わからない」が増えるもの。
「わからない」からの「わからない」をわかるまでどうつなげるか。「わかる」から増える「わからない」で、調べればもっと「わかる」が増える。それが本当の意味での学ぶことなのかもしれません。
あったら調べるのに捗りそう。重たいんで電子書籍でいいかな。ただ、辞書って重みと紙をめくる感じが好きだ。
電子辞書も良いかもしれない。最近のはシャレオツだなぁ。
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aoikara
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