オリンピックと甲子園で盛り上がってるaoikaraです。
日本代表も、北海道の高校も応援していますよ!
今日のテーマは
メダルの色
についてです。
日本の柔道で銅メダルは「ごめんなさい」?
日本のお家芸と言われている柔道ではメダルラッシュが続き、結果的に
- 金 3個
- 銀 1個
- 銅 8個
計12個となりました。
前回のロンドンと比べても素晴らしい結果でしたね!
そんな中、銅メダルでも「応援してくださってる方に申し訳ない」「金メダルじゃなくてごめんなさい」というように選手が謝ることもありました。
それを見て「謝らなくていいのに」「銅メダルでも素晴らしいよ」といった人も多くいるようです。
とはいえ、謝罪してしまう選手の気持ちもわかる、という意見もあるようで…。
銅メダルでごめんなさいは、ほかの選手への侮辱?
そんな中、バルセロナ五輪の柔道で銅メダルを獲得した溝口紀子さんが、Twitterでこのように発言をしました。
柔道の銅メダル論争勃発か?日本柔道家は家元意識が高いエゴイストです。私も現役時代「銀じゃ銅じゃダメなんです」と思っていました。とはいえこの価値観は、同時に他の銀メダリスト、銅メダリストを侮辱することになることに気付けないから言える事。柔道を引退してしばらく経ったら気づきました。
— Noriko MIZOGUCHI (@mysomizo) 2016年8月9日
柔道の銅メダリストとしての当事者の意見ですね。
「一般の人は“立派な銅メダル”と声を掛けてもいいと思う」
ただ、柔道家としての立場からは「私は、選手が金メダルのために4年、8年とかけて頑張っている姿を見ている。“お疲れさまでした”は言えても、どうしても“おめでとう”とは言えない」
引用元:坂上忍「トンチンカン」“柔道銅での謝罪やめて”発言に反発 -リオオリンピック特集 - Yahoo! JAPAN
と述べています。
ほかの選手に失礼ではないか、しかし本人の気持ちを考えると謝っている理由もわかる。
柔道家でも意見が分かれていることのようです。
選手の価値観に周りがどうのこうの言う必要はない
私自身も「銅メダルだってすごいことなのに!」と思っていました。
しかし、選手としては4年間かけて「金メダルを獲る」ことだけを目標にしてきたわけですよね。
「日本の期待を背負ってる」というプレッシャーをかけて、頑張ろうとした人もいるでしょう。
金メダルだけが目標だから、それ以外は全て同じに見えてしまう。
だから銅メダルでも謝ってしまうのかなぁ、と。
それは本当に「申し訳ない」「情けない」という気持ちがあるのだろうなぁ、と思います。
逆に入賞でも銅メダルでも、ベストを尽くせた結果ならものすごくうれしいという選手もいるでしょう。
ウエイトリフティングの三宅選手なんて、本当に素晴らしかったです。
個人的な視点ですが、最高の銅メダルだと感じました。
それぞれの選手で目指していることが違うし、そもそも価値観が違いますよね。
だからこそ、自分の成績への考え方も人それぞれ。
「銅メダルでごめんなさい」はあくまで自分のことで、他の人への侮辱にはならないのではないか、と思います。
自分を否定した=負けた選手を全部否定、というわけではないですしね。
そこは周りがどうのこうの言う必要はないのではないかな、と思います。
応援する側としては「お疲れ様でした」というのが精一杯できることなのかもしれません。
でも、銅メダルでもすごいことは事実。
本人が許せなくても、「おめでとう」と言いたくなる周りの人もいるでしょう。
それでも「良かった」と選手の気持ちが救われて、また頑張れるならそれはそれでうれしいことですね。
完全に外部の人間が「頑張れ」とか「おめでとう」とか言うのは、おこがましいのかもしれません。
それでも本気で闘う選手たちは本当に素晴らしいから、言わせてほしいです!
「頑張ってください!」「おめでとうございます!」「感動をありがとう」と。
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