中卒フリーライターほぼ無職。

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【読書感想文】湊かなえ『物語のおわり』偶然の巡り合わせに運命を感じた

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生きていて運命を感じることなんてほとんどない。ベートーベンの『運命』のようにダダダダーンと衝撃的な運命を感じることはなかったけれど、心の中にじわじわと染みこんでいくように運命を感じた一冊です。

 

 

 ※ネタバレを含みます。気になる方はご覧にはならないでください。

 

あらすじ

病の宣告、就職内定後の不安、子どもの反発…様々な悩みを抱え、彼らは北海道へひとり旅をする。その旅の途中で手渡された紙の束、それは「空の彼方」という結末の書かれていない小説だった。そして本当の結末とは。あなたの「今」を動かす、力強い物語。  

出典元:内容(「BOOK」データベースより)

 

読んだキッカケ

趣味は読書と自称している私だが、月に1冊読めれば良い方だ。それは趣味と言えないのではないかと言われそうなのは重々自覚している。

 

しかし、仕事の合間に本を読むという器用さがない。脳が仕事に向かっていると、なかなか本という別世界に没頭することができない。スマホのゲームだとかパソコンの動画だとか、簡単に脳を切り替えられる作業に甘えてしまう。

 

というのが私が読書を趣味としていながらもほとんど読まない理由だ。理由というより言い訳と言うべきか。

 

そんな私でも必ず本を読むときがある。それは飛行機に乗っているとき。飛行機の中というのは特にすることもなく、時間が過ぎ去るのを待つしかない。じっとしているのが苦手な私には居心地の悪い時間だ。そんな時間だからこそ本を読むのに最適だと、いつも私は飛行機に乗る前に空港で文庫本を一冊買う。

 

一年に一度の旅行では、行きと帰りに会わせて二度飛行機に乗る。つまり、一年に二度は集中して読書ができるということだ。

 

そんな私が北海道へ帰る際に手にしたのがこの本だった。本屋の売れている本ランキングの中に陳列されていて、なんとなく気になって手を取った。

 

著者の湊かなえさんの作品はどれも好きだし、まだ読んだことがない本だった。表紙をめくり、ページを3枚めくると見慣れている北海道の地図が載っていた。知っている地名も記されている。その隣に、第一章の副題が「空の彼方」。

 

まさにこれから飛行機で空の彼方に向かい、北海道に帰ろうとしている私にぴったりの本じゃないか。なんとなく運命のようなものを感じて、どんな内容なのかは全く確認せず本を買った。

 

というのが、私がこの本を読もうと思ったきっかけだ。

 

偶然の“巡り合わせ”に運命を感じた

手にした瞬間から何やら運命を感じたこの本。最初の章「空の彼方」を読み、またドキリとした。この章の主人公は小説家を夢見る少女だったから。

 

私もフリーライターを自称していて、物書きという共通点がある。「物語を考えるのが好き」という少女の心情は、同じ年頃だった私の思いに重なるところがあり、ますます運命的なものを感じてしまった。

 

読み進めていくと、それぞれの章は全く別の人物の視点から描かれた、別の物語であることがわかる。全く別とも言い切れないのだけれど、それについては後述する。性別も年齢も環境も時代もバラバラな物語。

 

でも、それぞれの感情や境遇や考え方に、自分との共通点を見出すことができる。その共通点が私の心を刺激して、感情を揺さぶってくる。いろんな思いを駆け巡らせてくる。それがまた、この本を運命的なものだと感じさせてくる。

 

湊かなえさんは人生を何度巡ってきたのだろうか、というほどありとあらゆる人間の心情を描くのが本当にうまい。私でなくても誰が読者でも、共通点を見出して、心を刺激して、感情を揺さぶるのではないかと思わせる。

 

構成としての“巡り合わせ”が素晴らしい

この本のすごいところは構成にもある。というよりは湊かなえ作品全てに言えることだが、読み終わってから本全体の壮大な景色が広がるという手法が本当にすごい。最初は全体の一部しか見せないで、読み終わるといつのまにか全てがつながっているのだ。読んでいて気持ちいい。

 

この本は、古い時代の絵美という少女の話から始まる。

 

絵美は空想が好きなパン屋の娘。同級生にその空想物語を聞かせて、「本に書いて」と言われたことがきっかけで小説を書くようになる。その友達は面白いと褒めてくれた。しかし、友達が転校したことがきっかけで小説を書くこともなくなってしまう。絵美は中学生になり、パン屋に来たハムさん(ハムサンドとハムロールを買うので絵美がこっそりあだ名をつけていた)という男子高校生と惹かれ合う。二人は親にも認められる形で婚約。彼は北海道の大学に行き、少女は地元の高校に通い、遠距離恋愛に。そんなとき、転校した友達から手紙で連絡が来て、彼女が学校の文芸部に所属したことを知る。絵美もまた小説を書くようになり、友達やハムさんにも小説を送る。ハムさんは小説を褒め「ファン一号」だと言ってくれた。遠くの友達は有名な小説家の弟子になったとも聞く。絵美は料理の専門学校に通ってパン作りを学び、一人暮らしをするようにもなる。ハムさんが訪ねてくることもあった。時が経ち、ハムさんが大学を卒業し、北海道から戻ってくることに。高校教師として働き、絵美は実家でパン作りをして、二人で正式に婚約する。そんなときに、友達から連絡が来る。小説家の弟子を辞めるのだが、その小説家が絵美の小説を気に入り、弟子にならないかと言っていると。場所は絵美の実家から遠く離れた東京。かつての小説家の夢を思い出した絵美はハムさんに思いを打ち明けて、結婚は三年待ってほしいと言うも激しく反対されてしまう。小説家は女癖が悪いという評判だと、両親も反対している。絵美は夢を諦める。しかし、諦めきれず東京へ行こうと一人駅に向かう。そこで、絵美を待っていたようにハムさんが駅にいた。

 

と、物語はここで終わる。絵美が東京にいったのか、駅で待っていたハムさんが何を言ったのか、全くわからないまま。とても拍子抜けしてしまう。気持ちがもやもやしたまま、最初の章はここで終わってしまう。

 

次の章の「過去へ未来へ」は一人でフェリーに乗って北海道の旅に向かう妊婦の話。時代も最初の章とは大きく変わっていることを感じ、全く別の物語が始まったのかと脳を切り替える。この章も物語性があって、すごく魅力的な主人公で読み応えがあった。

 

最初の章で「短編」や「長編」なんて言葉も出ていたから、この本は「短編」なのかもしれないななんて、もやもやした気持ちを打ち消そうとして読む。その意思がなくても、次の章も面白いから読み込んでしまってもやもやは消えてしまうのだけれど。

 

ところが、妊婦は少女から「空の彼方」が書かれた紙を手渡される。絵美の物語を。なぜその少女が「空の彼方」を持っていたのかはその時点ではわからないけれど、妊婦は物語を読む。そして、考える。自分の境遇と重ねながら。

 

「空の彼方」は人から人へと手渡されて、つながっていく。妊婦からプロのカメラマンになる夢を諦めた男性。夢を諦めた男から、恋人と別れたばかりで一人で自転車旅に来た女子大生へ。女子大生から、娘の夢を素直に応援してやれないある父親へ。父親から、夢を追う恋人と別れて一人で仕事に自己投資に生きていた女性へ。

 

そしてみんな考える。絵美の物語を読んで、「自分ならどんな“物語のおわり”にするだろう」と。それぞれに物語を見る視点も違えば、自分の境遇を重ね合わせての考え方も異なる。誰に自己投影するのかも全く違う。それぞれに納得させられる。

 

この物語の面白いところはそこで終わらないところ。「空の彼方」にはきちんと続きがあった。本当の「物語のおわり」がきちんと描かれている。そこがすごい。それは誰も予想しなかったし、想像もできなかったし、作られた物語であるはずなのに妙なリアルさがあって切なくもあった。

 

最終的にこの本が伝えたいことはとてもシンプルだけれど、そこにたどり着くのには人間のさまざまな感情があって、それが複雑に絡み合っていて、そんなことを感じる本だと思う。

 

前もってこの本の情報を何も入れておかなかったことが良かった。新鮮に楽しみながら読むことができた。本としてスタートからゴールまで読まされながら、その構成のすごさまで堪能できるという楽しみもある本だ。

 

私ならどんな「物語のおわり」にするのか

絵美の物語に結論は出ていたとしも考えたい。私は「空の彼方」をどんな「物語のおわり」にするのだろうか。

 

その章だけ読んだときの感想としては、私は絵美と自分を重ねていたから、婚約者を振り切ってでも東京へ行き、小説家になりたいという夢を叶えようとするだろいうとシンプルに思った。それを止めようとするハムさんは、今まで自分の思い通りになってきた恋人をコントロールできなくなり、イラついて必死に止めようとしている嫌な男だとさえ感じていた。

 

しかし、読み進めていき、それぞれの登場人物が違う点に着目していることを知る。

 

自分と絵美の立場を重ねて、命が残りわずかだとしたら夢を応援してもらえるのではと考える者。

自分と絵美の“夢を見て諦めざるを得ない状況”を重ねて、現実を受け入れても夢を諦める必要はないと考える者。

自分と絵美の“夢を追いかける姿”を重ねて、ハムさんがこんな人であったらと思いを駆け巡らせる者。

自分と絵美の父を“父親”として重ねて、娘を応援する決断をする者。

自分とハムさんを重ねて、夢を追いかけていなくなってしまった婚約者に思いを馳せ、自分の気持ちに区切りをつける者。

 

それぞれの「もし自分だったら」の視点はバラバラだし、「空の彼方」に登場する人物の見え方もそれぞれの生きてきた人生観によってもバラバラ。その違いが面白いし、それを知ることによって私の考えにも変化が生まれた。

 

もし、私が絵美だったとしたら。物語の中の絵美よりも、嫌な女だろうと思う。純粋で空想ばかりしていてふわふわとしている天然記念物のようではなく、人間的な感情もどろどろとしている。自分を良く見せるためにきれいな文章として記録しているように思う。

 

そして、登場人物の一人が指摘していたとおり、その夢に対して本気なのかと言われると、そうではないように思う。“夢”と言いながらも、小説を書いていない期間が長くあった。そもそも最初から誰かに言われたから書く、という程度で強い思いがあったわけではない。

 

それでもぼんやりとした“夢”ではあった。作家としてエリートコースを歩んでいた友人よりも、軽い気持ちで思いのままに書いた自分の文章の方が小説家から評価されたということに対して、少なからず優越感もある。そして、東京で弟子入りするという“夢の手助け”が提示されている。

 

そのときはまるで自分が映画のヒロインにでもなったかのような気分。両親と婚約者に反対されている悲劇のヒロイン。思い悩む私というように。そんなヒロイン気分で東京に出て、そして失敗してしまう気がする。強い思いでもなかったから。

 

と、自分のことを客観的に気づけているならば、たぶん東京に行かない。それは熱い思いを抱いていた“夢”ではなくて、夜眠りにつくときと同じように輪郭のぼんやりした“夢”だったのだと気づく。

 

どちらを選んでも、心の中に「あのとき東京に行っていれば…」「あのとき東京に行ってなければ…」という思いにさいなまれてしまうだろう。私自身は賢くないから幸せな結末になれない。ハムさんが賢い人なら、私を幸せに導いてくれるかもしれない。方法はわからないけれど。

 

もし、私がハムさんの立場だとしたら。コツコツ真面目に勉強をして、二人で夫婦となる日を思い描きながら遠距離恋愛で思いを募らせて、ようやく二人で幸せな時間が歩める。その直前に「夢があるから東京に行きたい。3年待ってほしい」と言われたら。

 

現代に置き換えれば、遠距離恋愛で結婚するために真面目に仕事をして、コツコツ貯金をしているといったところだろうか。いつか二人で暮らす日を夢見て、ただひたすらに頑張っていた。ようやくその目処が立ったところで「夢のために3年待ってほしい」と言われたら。当時の“東京”はなかなか会いに行けるような場所ではないというなら、現代では“海外”に当てはまるだろいうか。

 

自分にとってこつこつ頑張ってきた時間がすでに「待っていた」時間だ。さらに「待ってほしい」と言われたら、心中穏やかではいられない。ハムさんのように、今までにないほど怒り、激しく反対する気持ちは十分に理解できる。3年後に夢を叶えられている保障もなく、婚約者の気持ちが変わらないという保障もない。

 

そして、相手が一人でこっそりと飛行機に乗ろうとするときに、空港で待ち伏せているのだ。そう考えるとなかなかに怖い恋人だ。そこで、自分はどうするのか。

 

まず、この状況に怒るだろう。夢を叶えたいという婚約者に腹立たしい気持ちもあるだろう。しかし、自分に思いを打ち明けてくれたことへの信頼はある。もし、「夢を諦めて彼女を幸せにするんだ」と相手自身が思いを押し殺していたら、私なら切ない。自分のために我慢なんてしてほしくないと思う。

 

怒るし、泣くし、わめいて相手に感情をぶつけるだろう。そうしてから、私か夢かどちらかを選ぶのではなく、「私も夢もどちらも手に入れたい」とわがままを言ってくれと伝える。3年なら待とう。今までも遠距離で何とかなった。海外は遠いし、会えない時間も長くなるけれど、私は待っていたいと思う。会いにいけない時代でもない。ときどき会いにも行こう。

 

私は相手を必要としている。もし、相手も私を必要としてくれるなら、3年待っているからいってらっしゃいと。夢も私も諦めず頑張りなさいと、すごくへたくそに背中を押そうか。

 

自分にとって相手にとって、そのとき何が欲しいかどうしたいかによって結末は変わる。これから私が人生経験を重ねることによっても、理想とする“物語のおわり”は変わるのだろうなと思う。

 

人生に節目はあっても終わりはない

この本のすごいところは「こんな話がありました。 あなたはどうしますか?」ではないということ。先述したように、絵美とハムさんの物語の続きが描かれていることだ。そこに、生きるというリアルさがあり、人生に節目はあっても終わりはないということを感じた。

 

小説であれば物語には終わりがある。最高のハッピーエンドも、最悪のバッドエンドも存在する。でも、人生には終わりがない。命が終わるという意味では終わりはあるけれど、人生にとって最大級の喜びや悲しみがあっても、そこで終わりということはない。

 

人生は続く。大きな節目があっても、そこから新たな一日が始まる。そんな“生きる”ことをリアルに感じさせてくれる物語でもあった。

 

結末を幸せにするには

ハムさんと絵美の物語は予想もしない結末で、ハムさんなりの絵美の幸せを思ってくれた形があって、私も読みながら幸せな気持ちになれた。

 

ハムさんがしてくれたことは、絵美にとってその後の人生につながった。だからこそ、友達を追い詰めてしまった自分の孫の萌にこんな言葉を投げかけている。

 

萌ちゃんが今できる麻奈のために最善策を考えるの。いい、勘違いしてはダメ。萌ちゃんがラクになる方法じゃない。麻奈ちゃんが何を求めているかを考えるの。

 

ハムさんが絵美にしてくれたことはまさにこれ。自分のためではなく、絵美が今何を求めているのかを考えてくれた結果だった。もちろん、ハムさんも自分自身のことを考えての答えでもあったと思うけれど。

 

自分の思いに目を向けていると、相手のことを見失ってしまう。相手のことを思うと、それが大切な相手であれば、自分の心も納得できる答えを導き出せることもある。お互いに思い合った結末を導き出せれば、それが幸せなのかもしれない。

 

最後まで楽しめる工夫に笑みが絶えず

ここからは本編とは関係ない話。この本を文庫で買ったのだが、終わりの解説を担当しているのが藤村忠寿。「水曜どうでしょう」という北海道の爆発的人気番組を生み出したTVディレクターの方だ。北海道にはなじみ深い人でもある。

 

藤村さんと一緒にテレビを見ながらリアクションしているような、妙に臨場感のある解説にくすっとしてしまう。北海道が好きという方にはたまらない人物の解説という点も含めて、最後まで楽しめる工夫に笑みを絶えず読むことができるだろう。

 

以上です。

 

 

aoikara

 

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