大河ドラマ「西郷どん」を最初から最後まで見たaoikaraです。いやあ、見ましたね。大河ドラマをちゃんと見たのは2年ぶり。そしてブログに全話の感想を書いたのは初めてです。すごいことだ。
というわけで今回のテーマは…
西郷どん 最終回「敬天愛人」感想
です。
※個人的な感想なので辛口なコメントを含みます。
※ネタバレもしていますので、まだ内容を知りたくない方はドラマを見てからどうぞ。
▼西郷どん 第46話「西南戦争」記事はこちら
最終回「敬天愛人」あらすじ
西郷隆盛(鈴木亮平)は残った兵士と共に政府軍の包囲網を突破し、薩摩の城山に到達する。一方、大久保利通(瑛太)は内国勧業博覧会の準備に邁進していた。
その頃、隆盛の弟・従道(錦戸亮)は、片足を失い政府軍に投降した、隆盛の息子・菊次郎(今井悠貴)を西郷家に連れて帰る。
政府軍総攻撃の前日、大久保は「降伏すれば西郷の命を助ける」と指令を出す。しかし、西郷は拒否。城山から最後の戦いに向かう。そして、糸(黒木華)は夫西郷の真意を息子たちに語り始める。
GOODポイント
- 山県有朋が良い声!最終回に来て、やっとたくさんしゃべりましたね。
- 村田新八は葉っぱくわえてらぁ。アコーディオンひいてらぁ。お腹鳴るなぁ。新八らしい、ちょっと抜けた存在感でしたね。それでみんなほっこりできたのよ…。
- 隆盛や大久保が子ども時代に眺めていた景色に、西南戦争の終わりに同じように辿り着いた、というシーン。西郷が気づく前に、「ここって最初に訪れた場所?」と私も気づきました。それくらい、印象的な場所だったんだなぁ。
- 隆盛の「もうひと暴れしようかい」が格好いい。死にゆく者たちの明るさって、哀しい。
- 桂久武の弓すごい!って活躍見てすぐに撃たれてしまうのがあまりにも切ない…。
- 久光は静かに隆盛の死の覚悟を受け止めていましたね。最近は感情を表に出さなくなっていた海江田も、ぼろぼろと涙をこぼしていました。遠くで鳴り響く大砲の音が、あまりにも残酷で切なかったです。
- 川路利良が桐野利秋を「俺が葬ってやっで!」と撃ち殺すのは…ああ、つらかったです。ここに憎しみはなくて、最期の闘いで誰かの手を下させるなら、自分が殺してやろうという友情なんですよね。ここにも薩摩の別れ道がありました。切ない。
- サプライズ的な慶喜の登場に驚きました。絵、描いてるし。「俺みたいに逃げりゃ良かったのに!」と悔しがるシーンは、なんかちょっと笑っちゃいました。シリアスだけどね。ヒー様と牛男って関係性が崩れていないのも良かったなぁ。
- 亡くなった後も星としてあがめられる隆盛すごすぎます。それだけ人望があったんだなぁ。
気になったポイント
- 熊吉が菊次郎を背負って逃げたエピソードがないのは少し残念でした。
感想
ついに終わってしまった…
初回から見てきた大河ドラマ「西郷どん」。最初は見続けるかな、どうかな、なんて言っていたような気もしますが、全部見ましたね。そして、このブログでも全部の感想を書きました。すごいことです。
最初から見ていると、本当に人の一生をずーっと見届けてきたような気持ちで、終わってしまうとなんとも言えない複雑な感情が湧き起こってくるんですよね。ロスとも違う。なんだろう。
でも、きっと最終回が清々しかったからこそ、あまり引きずらず、西郷どんロスのような感情にはなってないのだと思います。あっけないわけじゃなくて、なんだろう。気持ちいい感じです。
西郷が立った理由は「敬天愛人」
戦をしたり東京へ訴えに行くことを頑なに避けていた隆盛がなぜ立ち上がったのか、その答えがずっと気になっていました。信じてきた大久保に命を狙われていたことを知り、何か糸が切れたのかもしれないと思っていました。
が、最後まで見届けて思ったのは、そうではなかったということ。隆盛が「敬天愛人」という、天を敬い人を愛する男だったからこそ、立ち上がったのだと思いました。
新しい時代で生きていけない“侍”たちと共に死ぬために
侍の世が終わり、新しい時代を導いた隆盛でしたが、世の中で苦しんでいる民が減ったわけではありませんでした。そして、何より侍が必要とされない世で、侍として生きてきた者たちは、生きていく場所をなくしていました。
隆盛はそんな「新しい時代で生きていけない侍たち」を受け入れ、包み込み、共に戦うことで存在意義を与えてあげたのではないかなと思いました。ものすごく深い愛情だと思います。だって、そこには自らの死が待っているのですから。
反乱を待つ者たちの“希望”を消し、戦のない世の中にするために
“侍”の魂を残している者たちにとって、西郷隆盛は希望なんですよね。隆盛がいるから、今の政府に立ち向かうことが必ずできるはずだと。逆に考えれば、隆盛さえ死んでしまえば、そういった者たちの希望は失われる。そして、やっと別の生き方を探そうと思える。
「おいの死と共に、新しか日本が生まれるとじゃ」
と、自らの死について、明るく希望に満ちた表情で語る隆盛は、どこか狂気的で、そして果てしなく深い愛に満ちた人でした。
思えば隆盛は、吉之助と呼ばれていた頃から、「人のため」に動く人でした。最期には、自らの命さえ「人のため」に使い、そして「人のため」になれたことに心から満足したような、そんな表情にも見えました。
そして、斉彬が初回で言った「侍が刀を二本も差して反っくり返る時代は終わる」という言葉が、最終回で現実になるんですね。長い長い伏線。斉彬に導かれて、隆盛がその時代を引っ張ってくるって、すごくドラマチックだなぁ。すごい。
全ては人のため、そして大久保のため
隆盛は今自分と戦っている侍たち、そして日本に暮らす大勢の民のために、時代の区切りとなる役割を全うしたのだと思います。全ては人のため。
そして、その“人”の中には大久保の存在が大きくあったのでしょう。大久保が降伏すれば隆盛の命は助けるとしたことに、隆盛は「甘かぁ、一蔵どん」と穏やかな笑顔を浮かべていました。あの表情が、とても不思議でした。
政治を導く者として、「甘い」と思った気持ちがある反面、うれしかったのかもしれません。大久保が自分の命を救おうとしてくれたことに。
そして、最終的には降伏せず、戦って死ぬことを選びました。これは大久保に刃向かったのではなく、むしろ大久保の深い意図を汲んだのではないかと思います。
隆盛が死ぬことで日本の戦が終わる、と大久保は言っていました。隆盛の死で本当に新しい時代が訪れると、隆盛自身も言いました。
なので、大久保が隆盛の命を奪おうとしていたと知ったとき(行き違いだったわけですが)に、それは今までの信頼関係が崩れたというよりも、大久保の覚悟を知ったからこその「そういうことか、一蔵どん」だったのではないかなと、今になって思います。
つまり、隆盛は大久保の意図を全て見抜いていたのだと思います。自分が死ぬことで戦を終わらせて、新しい時代にする。大久保が導き、隆盛自ら動いた、二人で新しい時代を作ったのではないかと、私は思います。
大久保の慟哭にはこちらまで泣いてしまう
明治になってから大久保は、自分が思う日本という国作りのために、政治の信念を貫こうとしていました。それを妨げる者はどんな手を使ってでも追い出し、自分がやり遂げるためなら手段を選ばない。だから、人望もなかったし、恨みも買いまくっていたわけで。
そんな大久保は、政治的判断として、西郷隆盛を国賊として討つことを決めたのですよね。ただ、隆盛が死ぬかもしれないという最後の最後になり、やっぱり死なせたくはないという本音が動いたのでしょう。降伏すれば命は助けると伝えました。
そして、大久保としては、隆盛が降伏してくれると思っていたのでしょう。だからこそ、降伏しなかったという知らせを聞いただけで放心状態になり、ろくに演説もできなくなってしまいました。目にはいっぱい涙がたまって、焦点が合わなくて…。
そして、家に帰り、妻の満寿に西南戦争が終わったと告げました。「吉之助さあは?」と必死に聞く妻の声に、大久保は決して「死んだ」とは答えなくて。認めたくなかった、信じたくなかったのでしょう。膝から崩れ落ちていました。そこから
「吉之助さあああああ!!!」
と追いすがるように叫ぶ姿は、見ているのがつらかったです。子どもが泣きわめくように、慟哭して、受け入れられないというように何度も何度も名前を呼んで。大久保のシーンでは涙を我慢できなかったです。
だって私たちはずっと二人を見てきた。西郷隆盛と大久保利通を見てきたから。大久保の友情とも愛情とも絆とも違う、もっと深く複雑な感情が痛いほど伝わってきて、本当に悲しかったです。ああ…
糸さんの「旦那さあはこんな人じゃなか!」の真意
「西郷どん」の初回は、西郷隆盛の銅像の除幕式から始まるんですよね。しかし、その銅像を見た妻の糸さんは「旦那さあはこんな人じゃなか!」と言います。この物語は、その意味を探すというテーマもありました。
糸さんが言っていたのは、西郷隆盛という人は、決して誰かから見上げられたり拝まれたり崇められたりはしたくないということ。人のために走り回っていた人だということ。
人を見下ろすように高い銅像を見て、皆が見上げるような拝むような崇められるような、そんな存在ではない。と糸さんは言いたかったのかなと私は解釈しました。
「西郷どん」は西郷と大久保の物語だったのかも
西郷隆盛と大久保利通
西郷どんを見終えて、これは西郷隆盛の物語ではあるけれど、同時に大久保利通との物語でもあるのだなと思いました。西郷どんの隣には、いつでも友の大久保がいました。子どもの頃から、そして死にゆくときまで。
隆盛が死を覚悟したときに、大久保の顔を思い浮かべたのではないでしょうか。それと同じく、大久保も暗殺され、手にした「Cangoxina」という紙は隆盛が渡したもの。いつも隆盛の思いを心に刻んでいて、死ぬ直前もその思いに報い切れていないと、「まだやるべきことがある」と思いながら死んでいったのではないでしょうか。
二人が亡くなった後に出てきたシーンは、二人が江戸に向けて走り出した瞬間でした。隆盛が「忘れ物をした」と大久保を迎えに行き、大久保も隆盛を追いかけるんですよね。「行っと!」と言い合い、満面の笑顔で走った、
若い二人。ああ、ここから始まったんだという気持ちとオープニング重なり合い、今までの二人の歩みが流れると胸がいっぱいになってしまって。
もしかすると、二人が再び出会ったのかもしれません。死後の世界から吉之助が、「忘れ物をした」と正助を呼びに来たのかも。その国でも、二人はきっと二人で生きていくのだろうなと。
鈴木亮平と瑛太
西郷隆盛を演じた鈴木亮平さんと、大久保利通を演じた瑛太さん、二人の演技力も素晴らしかったです。ものすごくうまい役者さん同士のぶつかり合いで、言葉のひとつひとつに深い意味を持たせて、文章で表しきれないような表情で魅せて、お二人の演技は本当に見応えがありました。毎回「すごいな」と思っていました。
もう二人とも隆盛と大久保にしか見えませんでしたからね。俳優とは別人の、本人たちにしか見えなくて。それくらい入り込んでいて、見る側も感情移入できました。本当に素晴らしい俳優さん達だからこそ、作り上げた関係性で、二人の物語を見届けられたのだなと感じました。
あーすごいものを一年かけて見届けたぞ!
ちぇすと!気張れ!でも、ここらでよか…
最後の最後は、吉之助の最期のシーンでした。死のうと思って刀を抜こうとするも力が入らず、仰向けになると心地良い青空が迎え入れてくれるような、のどかなシーン。隆盛は「ここらでよか」と言い、物語は終わります。
ああ、ずっとナレーションが言ってきた「ここらでよか」とは、吉之助の最期の言葉だったのかと思うと、また見え方が変わって深いですね。そういえば、戦のシーンでは「ちぇすと!」とも言ってました。これもナレーションによくありました。
あれは、隆盛が自分の人生を全うしたなと感じて、「ここらでよか」と清々しい気持ちで言ったのではないかなと思います。全てを受け止めて、愛して。まさに天を仰ぎ、天を敬い、人を愛した人生だったと。
物語をずっと見てきた人間からすると、「ここらでよか」とは言いたくない。まだまだ寂しいです。いやあ、ずいぶんと長い物語を見てきました。これもある意味での一つの人生です。架空ではあるけど、見てきたことは嘘じゃないですからね。
というわけで西郷どん面白かったです。いろいろ思いはあるけれど、見届けてきて良かったという気持ちが大きいです。役者さんとスタッフの皆様、本当にありがとうございました!
aoikara
▼西郷どん 記事一覧はこちら