中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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「死にたい」「消えたい」人に伝えたい7つのこと

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「消えたい」と言っても「死にたい」とは言わないaoikaraです。その理由も後述します。

 

嫌な、嫌な事件が起きましたね。SNS上で「死にたい」とつぶやいていた人に接触して、性的暴行して、金を奪ったりして9人も殺したっていう事件。なんかもうニュースを見るのが嫌になるくらい残忍な事件ですよ。

 

SNSが犯罪に利用されるということで、自殺に関する書き込みが規制されるらしいなどがニュースに取り上げられていました。

 

www.huffingtonpost.jp

 

決定ではないし、明言は避けているので政府として規制するというハッキリとした意見とは言いがたいですね。そうなる可能性が高い、というくらいの話だと思います。この判断に関してとか、いろいろ思うことがあるので、それを自由に書きます。

 

前置き

SNSの規制は微反対派

上記リンク先でも反発の声があると言うように、ネットでの規制というのは私も微妙に反対派

 

SNSとかインターネットという場でしか弱音を吐けない人もいる。本当に死にたいわけじゃなくても、吐き出す事で気持ちを切り替えて実生活を送れるというなら、それも方法の一つ。

 

ノートに書けば良いという人もいるが、目的が違う。たぶんSNSで誰かに見てもらっている、レスポンスをくれるということで孤独を感じずに済むというのも大きいのだろう。それで精神の安定をとっている人もいるから、全て規制するのはより息苦しくさせてしまうと思う。

 

ただ、今回の事件のように悪用する人もいる。だから、悪質な書き込みは規制しなきゃならない。「死にたい」を規制してしまった方がラクなのはわかるけど、根本的な解決にはならないと思う。

 

「死にたい」人がいなくなるわけじゃない

SNSがない時代だって「死にたい」人はいて、自殺サイトで募って交流したりとかあった。自分の価値がわからなくて、身を売ることで虚無感を埋めようとする子たちは今でもたくさんいる。公的な機関に頼ったって、そこに悪意がある人もいるかもしれない。(極端な例で言うと教育施設の職員が子供目当てだとか)

 

つまりインターネットやSNS以外でも、身をすり減らす可能性はあるし、犯罪に巻き込まれる可能性はある。

 

SNSが利用されるのは時代だ。そういう時代だから。簡単に利用できるから。インターネット上で書き込みを規制したところで、本当に思っているかいないかは別として「死にたい」と感じる人が減るわけじゃない。

 

犯罪に巻き込まれる可能性は減るかもしれないけれど、別の形で巻き込まれることもある。「死にたい」と思ってしまう世の中を変えたり、そんな人たちを救うための手段が増えると良い。簡単じゃないけど。

 

私もネットが吐き出す場だった

今はそんなことがないけれど、私も「死にたい」気持ちになったことはある。自殺を考えていたわけじゃない。何もかもが嫌になって「消えたい」気分。本気で過去に戻ってやり直したい気分。でも、全部誰かのせいじゃなくて自分のせいだから、誰も責められない。

 

プライドだけは高いから友人なんかに相談できないし、そもそも友人がほとんどいないし、家族に弱味を見せるの「できない子」「ダメな子」というレッテルを貼られるようでつらい。

 

今考えると私に手を差し伸べてくれる人は、周りにたくさんいたと思う。でも、自分自身がそれを拒絶してた。一人で勝手に孤独な気分になってた。だから寂しくて、誰かと交流したくて、ネット上だけで何人もとやりとりしていた。法に引っかかること、嫌らしいことは一切無し。そういう人はさっさと切るだけ。面倒だなと思てもさっさと切るだけ。チャットでただ話すだけの人は何人かいた。

 

たぶん誰かとつながることで安心したのかも。本当の孤独には耐えられないからね。私は出不精で人見知りだから実際に会うとかないし、1週間もすれば交流はなくなるから、深い仲になることはなかった。それが良かったのだと思う。説教してくる人はいたけれど、嫌な思いをしたのはそれくらい。悪意に巻き込まれずに済んだ。

 

ただ、それも運の良さだと思う。誰かに依存して、のめり込んでいたら犯罪に巻き込まれていたかもしれない。

 

「たいして不幸でもないくせに」はやめてほしい

被害に遭った人たちに「悩むほどの状況じゃない」と言うコメントを見かけた。でも、それは当人しかわからないと思う。親がいて、お金があって、周りに人もいて、健康で…なんていう状況だとしても悩むよ。

 

誰だって悩む。「死にたい」とか絶望することもあるのよ。人それぞれなのよ。「おまえが悩むな!」なんて権利はないのよ。

 

でね、思うのよ。「死にたい」「消えたい」と思う人には冷静な判断が欠如しているのよ。どんな事情であれ追い詰められているから。だから、優しい言葉をかけてくれる人にもたれかかりたくなるのもわかる。それが本当に良い出会いかもしれない。

 

でも、今回の事件みたいになってしまうこともある。だからこそ、悪意に巻き込まれないためにはどうしたら良いのか。私なりに考えてみた。

 

「死にたい」「消えたい」人へ

1.SNSやネットは危険と知る

SNSやネットというのは、現代社会における逃げ場所の一つ。昨今は実名で顔も公開して楽しく実生活の交流ツールとして使っている人も多いけれど、今でも暗い部分はたくさんある。そこに頼る人もたくさんいる。

 

それは良い。使っても良い。ただ、同時にすごく危険な場所だと思っておかないと。投稿した発言や写真は、削除しても一生残って消えることはないと思っておいた方が良いし、悪意を持った人たちもうじゃうじゃいるってことも覚悟しなきゃいけない。

 

夜一人で出歩くな、と言われるでしょう?実際に夜は襲われるかもしれない、狙われて物のような扱いをされるかもしれない。そういう危険がたくさん潜んでいるから、出歩くなと。

 

それと同じ。SNSは世界につながっていて、手間もかからず簡単に利用できそうな人を探せる。悪意もたくさんある、危険な場所だとわかった上で利用してほしい。

 

2.時間をじっっっっくりかけて信頼できる人を見つける

すぐに人を信用しないこと。周りの誰も認めてくれない、だけど私のことをわかってくれる、そんな都合の良い人は現れない。理解しているように見せるのがうまい人ってだけ。

 

どんなに相談を聞いてくれても、「好き」とか言ってくれても、「会いたい」って言われても会わない。そもそも人が弱っているときに「会おう」とか言う人は、利用してやろうとしか思ってない。本当に会うなら元気なときにだよ。

 

一年は待つ。一年待つなら相手の気持ちは本物だよ。

 

そもそも「好き」なら、すぐ会いたいとはならない。相手が自分を見て幻滅しないか、イヤと思われないかとか不安もある。会いたいけど怖い、怖いけど会いたい、みたいな葛藤があるのが本音。

 

執拗に会いたがるのは、よっぽどの自信家か、セックスをしたいだけ。理解したふりして「好きだよ」って言って体の関係になれたらラッキーくらいなのよ。会わないで連絡を絶つなら、それだけの人。その人に依存する必要はない。

 

時間をかけて関係を築いて、やっと信頼できるの。それが家族でも友人でも良いし、赤の他人でも良い。とりあえず今の気持ちだけを受け止めてくれるなんていう便利な人はいないのよ、切ないけど。逃げ場が欲しいなら、時間をかけてじっくり築いていくしかない。

 

3.安売りしない

昔、家出をしている子とネットで知り合ったことがある。家に泊めてくれる人を探していた。男の人だったら、“そういうこと”になっても仕方ないと心得ていた。彼女はまだ16歳だった。どうしても家にいたくない事情もあるんだろうけど、見返りに体を求めるようなやつにいろんなものを搾取される必要はない。簡単に差し出しちゃだめ。

 

自分にそれくらいしか価値がないって思ってない?そんなことしなくて良いすごい価値があるんだよ。その価値は体を売ることで解決しないよ。もったいないよ。

 

体とか裸の写真とか要求されても、絶対にダメ。本当に大切にしてくれる人は、真っ先に求めようとしない。信頼を築くことを最優先する。思っているよりずっとずっと価値があるんだから。

 

4.「死にたい」はなるべく使わない

私はリアルでもネットで「死にたい」「死ね」という言葉を使いません。なぜなら死にたくないし、死んでほしくないから。使うとしても「しんどい」とか「消えたい」だけ。

 

「死」ってものすごく重いんだよ。なくなるんだよ、全部。今このときがなくなる。

 

もちろん、本当に何もかもが嫌になって「死にたい」気分になるときはあるよ。でも、なんかむしゃくしゃとしたり、誰かに話を聞いてほしい気持ちを「死にたい」と言い換えているとしたら、それは控えた方が良いと思う。

 

その言葉におびき寄せられて、今回みたいなケースになることもある。もし、その言葉が残っていて、殺されてしまったとしたら、殺人では自殺幇助になってしまう。罪が軽くなる。

 

「死にたい」って書いちゃうと本当に死にたい気持ちになるし、何か別の言葉に言い換えてみたら、少し見え方が変わるかもしれない。

 

誰かは知らなくても、切ない思いをしている人たちこそ私は生きていてほしいと思うよ。

 

5.太陽を浴びて歩く

暗い気持ちになっている人へ、暗い部屋にいませんか?運動していますか?太陽の光を浴びないと、幸せを感じるセロトニンが出てこない。暗いところでは暗い気持ちになるだけなんです。

 

太陽の光に当たるだけでも、気持ちはスッキリする。少し晴れやかになる。体の自然な働き。そして、日光を浴びながら散歩をしよう。運動も心の栄養になる。何もかもがだるいときはそんな気持ちにならないけれど、少し明るいところに出てみるのもきっとあなたのためになるはず。

 

6.心に余裕ができたら新しいことを始める

落ち込んでいるときはとことん落ち込んで良い。泣き続けても良い。少し落ち着いて、前に進まなきゃとか、このままじゃダメだと思ったときは、少しだけ心に余裕ができたんだよ。一歩進むチャンス。だからって、無理しなくて良い。少しずつ。

 

何か新しいことを始めてみたらどうだろう。何だって良いんだよ。朝にラジオ体操するとか、1日1食は自炊するとか、新しい趣味を見つけるとか。

 

今の環境がしんどいなら、その新しく始めたことがあなたの逃げ場所になる。学校や会社だけが全てじゃない。好きなことで友人や知人を作れば、あなたにとっての信頼できる人になるかもしれない。居場所は1箇所だけじゃない、自分で作れる。

 

7.今が絶望なら、絶対に未来は良くなる

今、絶望感を感じている人。何もかもがダメで、もう良くなることなんてないんじゃないかと思わない?私も学校を3回やめたときは自分ってすごく駄目人間だって思った。

 

しかもさ、周りのせいでどうしようもない悩みを抱えたり、トラブルに巻き込まれて心や体に傷を負ったなら、その人のせいじゃないから悩む気持ちもわかる。でも、私なんて全部自分の責任でしょ。言い方が悪いけどクソみたいな人生で、悩むことさえ自分にはおこがましいって思うくらいだったよ。

 

絶望絶望だよ。何も続けられない人間だから、生きている価値なんかないんじゃないかとかも思ったよ。

 

でも、何とか今がある。それはね、生きてきたから。そのときが絶望だったから、それ以上に悪いことはないと思えば、これからは良いことしかないよ。最悪がずーっと続くことなんてないんだよ。もちろん嫌なことやつらいことはこれからもあるよ。でも、それが続くわけじゃない。

 

うれしいことも楽しいこともある。最高の出会いもある。信頼できる人も見つかる。生きていれば、良いことは必ずあるんだよ。生きていたら、今より絶対に良くなるよ。しんどくなったら逃げても良いから、自分を安売りしないで大事にして、生き続けてほしいよ。

 

生きてほしい

つらい思いをしている人こそ幸せになってほしい。笑顔になれる日はきっと来る。私も「二度と笑わない」と思ったことがあるけれど、すごく笑ってる。私みたいにくだらない人間でも大丈夫なんだよ。無価値な人間なんていない。本当にそう思う。

 

だからこそ、危険な人や事件に巻き込まれないように、身を守りながら助けを叫んでほしい。助けてくれる人はいるし、手を差し伸べてくれる人もいる。悪意に騙されず、自衛する力はしっかりと身につけて。

 

大いにつらい思いを叫んで、助けを呼んでください。そして生きてください。それだけ。

 

 

 

 

aoikara

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