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【読書感想文】東野圭吾『眠りの森』小説とドラマとでラストが違う

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印象的だったのはラスト。ドラマも観ていた私としては「あっ、違う」と意外な結末だった。ドラマを観て、本を読み、あなたはどちらが好きだろう。

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

美貌のバレリーナが男を殺したのは、ほんとうに正当防衛だったのか?完璧な踊りを求めて一途にけいこに励む高柳バレエ団のプリマたち。美女たちの世界に迷い込んだ男は死体になっていた。若き敏腕刑事・加賀恭一郎は浅岡未緒に魅かれ、事件の真相に肉迫する。華やかな舞台の裏の哀しいダンサーの悲恋物語。

出典元:内容(「BOOK」データベースより)

 

読書感想

ドラマと小説を行き交いながら

最近、東野圭吾さんの加賀恭一郎シリーズにハマっている私だが、原作よりもドラマを先に観た。そして、一番最初に観た作品がこの『眠りの森』のスペシャルドラマだった。

 

加賀恭一郎という刑事を知らなかったが、ストーリーもトリックも面白かったので、つい見入ってしまったと記憶している。それから時を経て、『新参者』のドラマを観て、数作の原作を読み、小説の『眠りの森』を手に取った。

 

なので、本作を読んでいる間もドラマの描写と小説の文章を頭の中で行き交いながら読んでいた。加賀恭一郎は阿部寛さん、バレリーナの浅岡未緒は石原さとみさんと役者を当てはめたり、「このシーンはあんな風だったな」とドラマの情景を思い浮かべたりして。

 

バレエのシーンやトリックなんかは、映像で再現されている方が理解しやすい。逆に細やかな心情というのは小説だからこそ知れる。加賀だけではない視点でも物語が動いていくので、最初に読んだときと読み終わったときとでは、違う意味を持つ言葉が散りばめられているのを見て密かに楽しんでもいた。

 

共通点を探すのも楽しいが、面白いのは相違点。原作のイメージと少し違うな、と思うこともある。

 

例えば浅岡未緒は華奢で子どもの頃から成長していないようなバレリーナとしては恵まれた体型、とあるが石原さとみさんは女性的で柔らかく美しい体型をしてらっしゃる。原作では「人形のよう」という未緒の容姿も、たしかに表情は乏しいけれど人間味はあるように感じる。逆に地味に見えるのに舞台に立つと華やかで映える、なんてのはドラマでも素晴らしく再現されていた。

 

小説の中で重要そうに見える場面でも、ドラマではカットされている部分もあった。その場面のあるなしで印象が大きく変わっている部分もあったがが、ドラマではドラマの物語としてうまくまとめられいるように思う。ドラマを最初に観たから、そちらの先入観の方が強いのもあるが。

 

ドラマと小説の面白さといえば、このシーン。捜査がニューヨークにまで及び刑事を派遣する可能性が出てきたときに、加賀の同僚である太田刑事が発した、

「日本の刑事が海を越えて活躍か。刑事ドラマのスペシャル版みたいな話だな」

この一言が現実になっているのだから、思わずくすっと笑ってしまった。

 

眠りの森とバレエ団

物語のバレエ団の演目にもなっている『眠りの森の美女』。美しいオーロラ姫が魔女の呪いにかけられて100年も眠り、デジレ王子のキスによって目覚めるおとぎ話。

 

オーロラ姫が眠る城は茨の森の中にあり、その閉鎖的な空間は物語上の高柳バレエ団を思わせる。実際のバレエの世界とは異なるのかもしれないが、やはり一般的な価値観とは違う部分があるのだろう。閉鎖的と言うと語弊があるかもしれないが、計り知れない部分は多い。

 

華やかな舞台を観て人は「美しい」と感動するけれど、その裏では過酷なものと闘っている。細く細く体型維持をしなければならず、摂食障害のバレリーナも少なくないと聞いたことがある。ケガに苦しみ、ベストな踊りができないと悔しがるダンサーの姿もドキュメンタリーなどで見た。

 

何もかも犠牲にしてでもバレエに身を捧げるような姿を見て、私のような凡人はやはり「すごい」と思う。「できることではない」と、「尊敬します」と。亜希子を称える未緒のように、未緒を称える加賀のように感想を述べたくなってしまう。

 

ただ本人たちにとっては当たり前のことであり、もっと言えば全てを懸けているからこそ「自分は空っぽ」だとさえ思う哀しみもある。

 

バレリーナ・ダンサーといえど人ではあるから、そこの人となりがあるはずだ。しかし、何かを演じるということを追求した結果、「空っぽになってしまった」とこの物語のような悲劇もあるのだとしたら切ない。

 

「あたしだけのために」

物語の中で好きな台詞がある。浅岡未緒が加賀に言ったこの言葉。

「ただ何となく今日は……あたしのために誰かが話をしてくれるのを聞いていたかったんです。あたしだけのために」

結末を知っている私は、それがどういう意味なのか知っていた。初見であれば、心細さから出た一言であろうかぐらいにしか思わないだろう。

 

ただ、その言葉の真意を知ったとき、言葉を失ってしまう。本当に言葉が出てこないのと、そして何か伝えたくてももう言葉が届かないのだから。その切ない響きに胸が痛くなる。その切なさも含めて好きな台詞だ。

 

ラストが違う

小説とドラマとではラストが違っていた。驚くほどに違っていた。ある人が見たら「似ているような気もする」かもしれないが、私は「全く違う」と感じた。

 

小説の方では加賀の恋心が露わとなっている。思い返すと、物語中でも未緒との距離の詰め方も、好意が高まっていくからこそかと読み終わって納得した。ラストはまさに『眠りの森』のクライマックス。未緒は何から目を覚ますのだろう、とふと考えてしまう。

 

ドラマでの加賀はバレリーナとしての浅岡未緒に惹かれながらも、恋愛として踏み込むことがあと一歩叶わないような印象がある。それはラストシーンにもつながっている。とても切なく、近いのに遠く、もう届かないようなラスト。だから加賀はその一歩に踏み込まなかったのだと感じた。

 

個人的にはドラマのラストが好きだ。この胸を締め付けるような切なさは、加賀に共感できるのはドラマを観ている人間しかいないように思える。

 

小説を読み、ドラマを観て、どちらの良さも知れる。やはり『加賀恭一郎シリーズ』は面白い。次作も期待したい。

 

 

以上です。

 

aoikara

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