中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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私の未来はまるでわからないけど、今を一生懸命に生きていきたい

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未来を考えるのは得意じゃない。「こうなっていたらいいな」と思うことはある。「こうなっていたら嫌だな」とも。でも、「いいな」と思ってもできず、「嫌だな」と思ってそうなってしまったり、人生は思い通りに行かない。

 

 

未来を考えるのは昔から得意じゃない。「将来の夢」が思いつかなくなったのは小学3年生の頃。何になりたいか、よくわからなかった。親の仕事を書いてみたり、ウケそうなことを書いてみたりいていた。

 

将来の夢と具体的に思い浮かばなくても、「こうしたい」「あれやってみたい」はあった。だけど、恥ずかしくて表立って言えなかった。私は秘密主義で当時の好きな人を誰にも明かしていないし、私の将来に対する心の奥底にあった気持ちは、きっと今でも誰も知らない。

 

小学校高学年になったら、そうやって書くと嘘みたいで嫌で、「自分の好きなことをする」が将来の夢になった。これは嘘じゃない。中学生の終わりまで変わらず「自分の好きなことをする」が夢だった。

 

でも、そのときは想像を膨らませていて、具体性はないけれど理想は語っていたように思う。大学は自分が生まれ育った北海道を出て、働くときは海外に行って…そんなキラキラした未来を思い描いていた。

 

 

だけど高校で不登校になり、中退して当たり前のように思い描いていた未来は消えた。どうしても自分の思い描いていた未来にしたいとあらがってみたけど、求めていたハードルが高すぎることに気づいて、挫折した。

 

違う夢を持ってみたりもした。「こんなこと言ってたけど、本当は私はこんな風になりたかった」と、ずっと思っていたけど隠していたように言って。本当は不意に思いついたことだったのに。

 

その夢を目指す人の中に入ったら、本当に「小さい頃からの夢」で目指していた人だらけだった。私はとって付けたような熱意だってことをまざまざと見せつけられて、何しろ向いてなかったし、それも挫折した。

 

 

そしたら、私には何もない。やろうとして失敗したことが積み重なってできあがっただけの人間ができあがってしまった。

 

将来の夢がわからなくても、高校を出て、大学を出て、働いていることを前提にしていた未来。高校も出ず、大学も出ず、働いているけどずっと家の中にいるなんて、誰が想像しただろう。少なくとも、私自身が想像していなかった。

 

 

何もない私ができたのは、私が「好き」なことだった。「書く」ことだった。クラウドソーシングで単価の安い文章を書くようになった。ノートを何十冊も消費するほど書くことが好きで、「書く」ことで評価されるとうれしかった。

 

そして今の私はフリーライター。ずっと好きだったことを仕事にできるようになった。フリーライターとして、納税するくらいには、社会人になれた。そして、幸せだ。こんな幸せがあると、昔の私は想像していなかった。

 

自分のことを理解してくれる人がいて。自分が愛する人もいて。書くことが好きな私は、毎日飽きずに“書く”仕事をできて。遠回りしたけれど、「自分の好きなことをする」を叶えている。

 

 

私の未来。5年後、10年後、どうなっているかわからない。今と同じ仕事ができるか。自分に何ができるか。フリーライターが必要とされているか。正直、何もわからない。

 

なぜなら、やはり自分が思い描いていた未来が、がらりと変わってしまったから。そのことでずいぶんと落ち込んだ。けれど、そうじゃなきゃ幸せになれないと思っていたのに、そうでなくても幸せになれた。

 

想像していたことが、全く違うようになってしまうこともあって、でもその全てがあったから、結果的に今の自分はすごく幸せで。つらかったことが消えてしまうわけではないけれど、今の自分があるのは全てがあったからと思える。

 

学校も行かず、働きもせず、何もせず、そういう自分が大嫌いだった。みんなが普通にできることが、私はできなくて、すごく恥ずかしかった。「こんなの自分じゃない」と思っていた。

 

でも、今は「こういうできないことがあるのも私なんだ」と受け入れている。それが私の特性で、個性で、私として生きていくしかない。

 

それで私はなんとか生きている。理想の私にはなれなくても、今の私で生きていける。だから今は自分が好き。

 

過去の自分が、この先の未来でも自分を好きになることなんて想像できなかった。でも、好きになりたいとは思っていて、いつのまにか実現していた。

 

それは、その瞬間で一生懸命に生きてきたから。「好き」に向き合ってきたから。綺麗事ばかりじゃない。間違いもたくさんした。これからも間違うかもしれない。でも、そのときに誠意を持って、一生懸命に向き合えば、きっと大丈夫。

 

 

私は未来を考えるのが得意じゃない。それは昔から同じ。具体的に考えるのは難しい。想像しても思い通りにならなかったことが多すぎるから、そうならなかった未来が怖くなる。

 

でも、こうなっていたいなという未来はある。大切な人を大切にできるように。愛する人を愛せるように。自分が誰かのためになるように。何より自分が幸せになるように。

 

何をどうするかはわからなくても、未来で訪れる決断には、そういう気持ちを大切にしていきたい。

 

漠然としていて、具体性がない。だから、誰かが聞いたら、私の未来予想図を笑うだろう。でも、「いいよね」と微笑んでくれる人もいる。きっとそれは私にとって大切な人のはず。それで十分じゃないか。

 

いついかなるときも、私が選んだ選択肢なら、きっと私にとって幸せな未来につながっているはずだ。そのとき間違って失敗して苦しんでも、その間違いを乗り越えて、その先の未来に笑顔があれば、やっぱり間違っていなかったと言える。

 

今を一生懸命に生きる。それが私の未来を作る。きっとそれが私と、私の大切な人たちにとっての、幸せな未来につながっているはずだから。それが私の未来予想図。

 

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