中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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「LGBTに生産性がない」とか生産性のないことを言う人にもやもやする

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もやもやしているaoikaraです。もやもやしている原因は…

 

杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」発言

 

のせいです。あー、もやもやする。

 

杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」発言問題

杉田水脈議員は自民党に所属する衆議院議員です。その杉田議員が『新潮45』の2018年8月号での「日本を不幸にする「朝日新聞」」の特集で、『「LGBT」支援の度が過ぎる』という寄稿を寄せました。その中での発言が批判の的となりました。それが、

 

「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」

引用元:LGBT:「生産性なし」自民・杉田議員の寄稿が炎上 - 毎日新聞

 

というもの。これだけで十分にもやもや。実は私、過去に杉田議員のTwitterでブロックしていました。内容は覚えていませんが、すごくひどい発言をしていたことが以前もあったんです。そもそもフォローもしていませんでしたが、リツイートで回ってくるのも不快だからブロックしました。

 

そんな、杉田議員は「寄稿を全文読んでから批判して」とのこと。一応はライターの端くれとして、きちんと文章全体を読んでから意見するというのが礼儀だとは思いました。

 

しかし、なぜ私より何倍も国から給料をもらっていて、そもそもTwitterをブロックしている人のために、お金を出して言い分を知らなければならないのか。と、思ってしまったため、該当の書籍は買いませんでした。これは私の落ち度と未熟さです。

 

なので、実際に寄稿を全文読んだ方の引用や意見を参考にさせていただきました。

 

blogos.com

https://twitter.com/nmcmnc/status/1022649113207169024

※能町みね子さんの関連ツイートのリンクです。

 

これも寄稿の一部に過ぎませんし、ベースとして批判しているので、他の主張は除かれているかもしれません。そして、それぞれの意見が書かれているので、印象も左右されているでしょう。

 

それを踏まえた上でも、ひどい。

 

言葉を選ばないなら反吐が出る。

 

断っておきたいこと

私はLGBTではないです。性別は女であり、異性の男性を好きになります。しかし、多くのセクシャルマジョリティがそうであるように、LGBTに批判的な気持ちはいっさいありません。そもそも私が判断することでもないです。

 

そもそも私はあまりネガティブなことを書きたくないです。ブログでうじうじ書いていることも多いですが、基本的にはポジティブなことを多くの人に広めていきたいと思っています。それでも「それはどうなの?」と書いてしまいたくなるほどの発言です。

 

全文は読んでいないので、間違った解釈をしている可能性もあることは謝っておきます。あくまで私の個人的な意見を主観で書き殴るだけです。

 

ごっちゃごちゃの雑感

杉田議員、ハンパないってー。あいつハンパないってー。今の時代の国会議員でLGBTの存在すら批判するもん!そんなんできひんやん、普通。そんなんできる?言っといてや、できるんやったら。新潮や。全部新潮(に載ってる)や。書いてるし、もう。またまたまたまた炎上やし。

 

ということで雑なオマージュです。うーん。発言全部が「自分が経験したことがこの世の中の全て」で、「身の回りで見たことも聞いたこともないことは存在しない」というのが恐ろしいんですよね。

 

杉田議員の周囲にいたように、女子校に通っていて同性の先輩に憧れたり恋愛感情を抱いたりしても、年齢を重ねて男性と結婚する人はいます。また、杉田議員のように「知人がLGBTだとしてもなんとも思わない」(この発言はもはや笑わせに来てるのかなってくらい皮肉だけど)人もたくさんいます。

 

だからといって、LGBT全員が疑似恋愛をしている人ではないし、全員が「差別しない」わけではないのに、「そんな人いるのかなぁ…」という視野の狭さが恐いというか。杉田議員の中で「LGBTで悩んでいる人など私は知らない=存在しないのと同等」というように語っているのが恐かったです。

 

それは、付き合った男性が浮気したから「男は全員浮気する」とて人とか、たまたま女性がとんちんかんなことを言ったから「女はみんなバカ」と言う人と同じな気がします。

 

「私はカレーが好き」で終われば良いのに、「私はカレーが好き。嫌いな人は会ったことがないし、そんな人はいない」とかね、そういう感じ。言わなくてもいいことなんですよ。ましてや性別に感することってセンシティブなのにバッサリ人を傷つけるのも嫌。

 

今日本が鎖国状態だったら知らないのも頷けますよ。しかし、国際化しまくりですよ。Twitterとか投稿しているスマホやパソコンで、調べりゃすぐに出てきますよ。LGBTに関する正式なデータもあれば、LGBTの人のブログだとかYouTubeだとか、調べられますよ。それをしないのは、バカか最初から「知るつもりはない」かでしょ。

 

あの発言から杉田議員に多くの人たちから苦しみや哀しみというものが送られているはずなんです。しかし、杉田議員は「LGBTでこんなにたくさんの人が苦しんでいたのか」と思わなかったんですよね。今の今まで謝罪も訂正もない。こういう人は変わらないから、形だけ謝っても反省しているなんて1mmも思わないですけどね。

 

つまり、杉田議員は「自分が経験したことがこの世の中の全て」であり、仮に情報を得たとしても「自分が受け入れられないことは認めない」んですよね。個人なら全然ありだし、多くの人もそういう価値観だと思います。しかし、杉田さんは国会議員なんですよね。

 

そもそもLGBTに対して批判的な人なんですよね。杉田議員にとってはLGBTの人に対して「別になんとも思わない」というのが、本人なりの譲歩。でも、「生産性がない」という発言そのものが差別だし、傷つける発言をしている当人だと気づかないのはなんでだろう。想像力がないのかな…ないんだな。

 

「自分が認める多様性しか許さない」感にもやもや

LGBTというのは昔から存在していた人たちで、別に最近のことではないんですよね。最近になって、やっと同性婚が認められるとか、パートナーシップ制度とか、社会が追いついてきたってだけの話。

 

それでも日本では同性婚は認められていません。同性婚なんてなくても制度はあるよという人はいますが、そういうことではないというか。国や社会に認められていないということだから、そこに生きづらさを感じるのは当たり前だと思うんですよね。

 

自分に置き換えて考えてみたら、「結婚したい?養子縁組で良いじゃん。憲法とか法律が認めてないのは、自然の摂理に反してるよ」と国に言われているようなもの。社会的な立場として疎外感があるわけだし、それを発言にしたら差別にもなるでしょう。

 

生まれてきた性の差異だけで「権利を与えられないのは仕方ない」というのは、すごく前時代的な印象を受けます。私は現在の結婚と同性婚の違いは性別だけなのだから、法律で認められたら良いのになと思っています。

 

杉田議員はLGBTに「生産性がない」「税金を使うべきではない」 と発言していることから、その多様性を国として認めるのが嫌なんだと思います。その発言について「問題ない」と言った自民党議員もいるそうで、杉田議員は「自民党の懐の深さを感じます」と受け止めています。

 

たしかに、性に対する考え方は議員にとってさまざまあり、まさに多様性。杉田議員は「多様性を認めない」主旨の発言をして咎められないのは、「多様性を認めている」団体のおかげだからって、すごくいびつというか矛盾というか…。

  

国会議員に女性がなれているのは多様性の進歩だとは思わないのかなぁ。「多忙な国会議員なんかやってたら子どもを産み育てる時間がないから生産性がない」とか、「国会議員で産休・育休とか生産性がない」とか、言ってるのと同じなのにな。

 

時代によって虐げられてきた“性”という意味では、女性もマイノリティだったわけで。女性の社会進出が認められて議員になった人が、セクシャルマイノリティを批判するって、私はわけわかんないです。

 

生産性を考える

“生産性がない”人だらけ

「子どもを作ること」が生産性だとしたら、杉田議員は他の人も「生産性がないから税金を使う必要はない」と思っているのでしょうか?例えば…

  • 独身
  • 子どもを作る能力がない人
  • 子どもを作らなかった老夫婦

子どもは除く。成長して大人になったら子どもを作る可能性がありますからね。ただ、これ私たちの国の首相も当てはまってしまうんですよね。杉田議員の生産性が「子どもを作ること」だけ言うのだとしたら、自国の首相にも「生産性がない」と同じように言うのでしょうか。

 

あ、私も入ってますね。独身で子どもがいませんから。マジですか。私納税してるし、健康保険料払ってるし、年金も払ってるし、微々たるものだけど生産性あると思っていました。該当しないみたい。オーマイガー。

 

生産性は「子どもを生む」だけで完結しない

そもそもの話ですが、杉田議員が生産性を指す「子どもを生む」ためには、男性と女性のカップルだけがいれば良いわけではないですよね。

 

子どもができて、病院に行く。医療関係者のサポートがいる。医療器具を作るために技術を費やした会社や人がいる。子どもを生むための制度を知るために、役所に行く。保健師さんらからのアドバイスを受ける。いろんな場所に行くために交通機関もいる。

 

また、「子どもを生む」だけでは終わりません。大人になるまで「育てる」必要もあります。地域や医療のサポートも必要です。幼稚園から小学校、中学校、高校、大学、それに関連するありとあらゆるものが関わってきます。

 

結婚に「生産性」を求めるのは、社会のためでしょう。その社会とは、全ての人が少しずつでも相互に関わり合い、形成していくものです。一組の夫婦が子どもを産み育てるために、上記に挙げただけでも多くの人が関わっていることがわかります。それ以上に多くの人が関わっています。

 

つまり、生産性とは社会にいる全ての人たちがいて、初めて成り立つものなのではないでしょうか。その社会にいる人の中にLGBTがいたとして、生産性に変化はなく、ましてや「生産性がない」なんてことはありません。

 

同性婚は子どもを作れないから生産性がないというのは、極論を言えば、子どもを生んでも虐待で殺してしまった夫婦の方が「子どもを作れる」のだから生産性があると言っているようなものです。それは違う。そんな人たちに生産性があるとは思えない。生産性で語るべき理論でもないですが。

 

同性婚は子どもを作れないから生産性がないというのは、それこそ生産性がない考え方だと私は思います。

 

結婚と生産性

結婚をして子どもを作るのは義務ではない

結婚をする目的として、子どもを作ることと考えている人はたしかに多いです。

 

内閣府がおこなった平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」によると、20~30代の未婚男女が結婚したい理由として最も多いのは「子どもが欲しい」でした。複数回答ありで、全体の70%の未婚男女がそう回答しました。

 

しかし、それと同等の70%の割合で理由として挙げられたのが「家族が欲しい」。つまり子どもと限定せず、家族が欲しいと考える人も同じだけ多かったのです。結婚すれば夫や妻となり、家族となれるわけですから、結婚するだけで目的を達成する人もいるということ。

 

他にも

  • 「好きな人と一緒にいたい 」:68.9%
  • 「老後に一人でいたくない」:49.3%
  • 「両親や親戚を安心させたい」:49%
  • 「やすらぎが欲しい」:47.2%

なども理由として多く挙げられています。

 

もちろん「子どもが欲しい・子どもを作る」のも大きな目的と考えている夫婦は多いですが、それだけではないという実態があるわけです。

 

また、結婚に関する憲法の条文では…

 第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】

① 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

②  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 出典元:日本国憲法

とあるだけ。子どものことは、この中の“家族に関するその他の事項”でしょうか。しかし、それは義務として求められていることでなく、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」であって、別に子どもを作ることは義務化されてはいません。

 

また、結婚に関する法律(民法第七三一~七九一条)も読みましたが、結婚したら子どもを作るなんていう法律はありません。

 

多くの夫婦の目的や理想の形はさまざまです。それは子どもに関することでも同じ。もちろん子どもを生むことを目的とする夫婦がいても良く、そうじゃない夫婦がいても良いと私は思います。

 

恋愛感情と結婚と生産性

人それぞれ、結婚したい理由や結婚相手に求める条件があります。(結婚したくない人も含めて)経済的に豊かだからだとか、顔が好みだからとか、一緒にいて安心するとか。どんな理由であれ、お互いに了承して対等な関係性を築いていけるならどんな理由だって良いと私は思います。

 

いざ結婚をして、子どもを作るためには性行為が必要になるでしょう。黙っていても子どもはできません。必要不可欠なことです。ただ、性行為というのも目的は一つではなく、愛情確認だったり、性欲の解消だったり、支配欲・独占欲だったり、いろいろあります。これもお互いに了承して対等な関係性であるという前提なら、どんな理由でも良いでしょう。

 

結婚し、性行為をし、子どもを作るという一連に流れには、【恋愛感情】という前提があるのではないか、と私は考えました。仮定・仮説とも言えるでしょうか。

 

先述もしましたが、平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」によると、「結婚したい理由」を調べた結果、20~30代の未婚男女の68.9%が「好きな人と一緒にいたい 」という回答でした。

 

また、同じ調査の「結婚生活を送る上での不安要素」という項目では、「配偶者と心が通わなくなる・不仲になること」が最も多く57.1%となりました。つまりは、恋愛感情が薄れてしまうことへの不安が大きい、ということですよね。

 

杉田議員の言う子どもを作ることだけに特化した生産性というのは、ただ恋愛感情で絶対にあるわけではありません。そもそもの結婚を目的としていない恋愛もあります。結婚も必ずしも子どもを作るわけではありませんし、性行為だって同じです。

 

生産性という目的もあるけれど、決してそれだけではない。生産性を求めない結婚を否定してしまうのは、ひいては恋愛そのものを否定してしまうのではないかとも思ってしまいます。それは人間を否定することではないでしょうか。

 

一方で、結婚は恋愛感情が前提ではない場合もあります。同じ調査で「結婚に対する考え方」の項目で、「結婚と恋愛は別だ」と答えた人は、未婚既婚問わず20~30代の男女で52.3%。過半数を超えています。ちなみにこの割合が最も多いのは、20代の既婚女性で63.2%でした。

 

同じ調査の「結婚相手に求める条件」では、未婚の男女に調査した結果、「価値観が近いこと」が75.6%で最も多くなりました。次いで「一緒にいて楽しいこと」:74.5%、「一緒にいて気を遣わないこと」:73.5%、「金銭感覚」:47.4%となり、その次が「恋愛感情」:40.9%と半分以下でした。

 

「価値観が近いこと」「一緒にいて楽しいこと」「一緒にいて気を遣わないこと」も恋愛関係の延長線上にあって気づけることと言えるかもしれませんけどね。ただ、恋愛感情がない場合もありえます。

 

恋愛感情があって子どもを作らない結婚もあり、恋愛感情はないけど結婚をして子どもが欲しいという人もいるでしょう。恋慕としての愛情はなくても、家族としての愛情や人としての尊敬に変化していくこともあります。

 

今の制度でも結婚に対する価値観はさまざまで、さまざまな夫婦がいます。その目的を一国会議員が定めるべきことではありませんし、さまざまな結婚を認めていくのが多様性のある生きやすい社会なのではないでしょうか。

 

結婚の生産性を高める極論

結婚が社会のために必要で、それは子どもを作るという生産性のためだとしたいなら、そういう制度にしたら良いと思います。

 

極論を言えば、遺伝子を調べて優秀な子を作れる男性と女性を組み合わせて、ときが来たら子どもを作りなさいという法律でも作れば良い。それが一夫多妻制とか多夫多妻でたくさん子どもを作れば良いだけです。確実に生産性は上がります。杉田議員の言う生産性とは、そういうことではないでしょうか。

 

しかし、そうならないのはなぜか。さまざまな要因があります。大きいのは倫理観とか道徳観とかなのかもしれません。子どもを作る性行為が、単なる生産性のためではないことも、一つの要因なのかもしれません。

 

とはいえ、これは過激な極論です。結婚は結果として子どもを作ることにつながっているだけで、そもそもの感情をたどれば全てが子どもを作ることにつながっているわけではないと言いたかったのです。

 

同性婚も制度次第で“生産性”は高まる

そもそも、生産性という言葉選びが悪いですよね。「子どもを作ることすなわち生産性」はあまりにも意味を限定しすぎています。

 

先述したように、社会は関わっている人全員で形成して生産性を高めていくものです。子どもを作ることも生産性ではありますが、それだけでは社会は成立しません。LGBTの人も社会にいるということが生産性であり、子どもを作ることをサポートすることにもなっているはずです。

 

また、同性婚しても養子を取ったり、代理出産してもらったり、子どもを持つことはできます。それを採用するかどうかの議論はきちんとすべきとして、要するに制度によっては、杉田議員の言う“子どもを作る=生産性”を高めることはできます。しかも、国会議員というのはそういう制度を作っていく側の立場のはずです。

 

その可能性を無視するのは、単にLGBTを批判したいだけのように思います。

 

杉田議員が論じたいのは生産性ではなくジェンダー論

杉田議員は少子高齢化を危惧し、同性愛や同性婚という制度があることで、より少子化に拍車がかかるのではと懸念しているそうです。性別というのは、男性と女性に分別されてます。杉田議員は男性と女性だけで良いのに、新しい人権を作る必要があるのだろうかとも述べています。

 

はっきり言えば、私はそうは思いません。

 

いわゆる体というのは男性と女性に分かれます。が、中には表現体としても性別がない人もいます。どちらでもない、という人もいるのです。同性愛というのは性的嗜好ではありますが、自分でコントロールできるわけではありません。

 

女性が女性を好きになるレズビアンも、男性が男性を好きになるゲイも、男性も女性もどちらも好きなバイも、心と身体の性が違うトランスジェンダーも、進んで選択したわけではなく、生まれ持ったものです。

 

性というのは多様なのだと思います。男性と女性というのがマジョリティなのかもしれませんが、ハッキリと区分されているわけではなくて、グラデーションのようになっているのではないかなと。表現体としての性も、心の性も。そのどこに位置しているかは、人それぞれ違うというだけの話。

 

思春期に揺らぐというのも、それは成長過程だったり、性の認識が難しかったりするだけで。もちろん、大人になってから自認する性が変わることだってあります。それは趣味なんかではなく、そのタイミングで気づけたというだけの話です。

 

そして、太古からLGBTがいるということは、生まれながらにしてLGBTはたくさんいるのです。割合として少ないからセクシャルマイノリティなだけ。杉田議員の言い分だと、周りがそそのかすから存在するだけで、本来は「いない」と断じているような印象を受けて、非常に不快です。

 

「いる」んですよ。心で変われるならこんなありがたいことはありません。だけど、そうじゃない。その苦しみに目を向けられる、耳を傾けられないなら、国会議員なんて辞めた方が良いと思います。何のために議員やってるのかわかりません。

 

個人として性別に対する考えはさまざまあるでしょう。しかし、国会議員ですよ。国を作る人ですよ。差別主義者に政治を担ってほしくはありません。あくまで私の個人的な意見ですが。

 

苦しんだ人へ

わかりあえない人に労力を使わない

LGBTの当事者だったり、社会に対して「生きづらさ」を感じているマイノリティだったり、杉田議員の発言で傷ついた人も少なくないと思います。なかには、撤回してほしいとか、考えを改めてほしいなど訴える人もいるはずです。

  

杉田議員の発言は、本当にひどいと思います。傷ついて攻撃したくなる感情は理解できます。しかし、感情で止めておいてほしいのです。本当に攻撃してしまったら、「これだからLGBTは」と言いたがっている杉田議員の思うツボになってしまいます。

 

そんな人のために卑劣な人間にならなくても良い。ただ、杉田議員という人の多様性は認めましょう。存在そのものを否定しては、同じことをしているだけだから。その上で、関わらない人ゾーンに入れてしまえば良いだけです。Twitterのブロックと同じように、心の中でブロックしてサヨナラ。もう二度と関わりません。

 

批判することで社会を動かすこともあり、それは必要なこともあります。今回のことも変わるキッカケになるかもしれないので、声を挙げてくれる人がいるのは素晴らしいことだと思います。

 

ただ、当事者が心を疲弊したり、犯罪をおかしてしまうのはすごく悲しいことです。そんな人のために労力を使わなくていいなと。もっと自分が居心地の良い場所で、幸せなことをしていてほしいのです。自分のためだけに。

 

社会が変わる方向性に動かしていくのは良いです。ただ、杉田議員に考えを改めてほしいというのは、ぶっちゃけ無理だと思います。この考え方を発信してしまえるという神経は、たぶん変わりません。だから、杉田議員は議員を辞めたら良いとは思いますが、個人を変える労力は意味がないので、そう思える人は自分のために費やしてほしいな。

 

嫌いな人のことを考えるのが一番生産性がない

いろいろ感情的になってしまいましたが、杉田議員の発言でもやもやしてしまう時間が最も生産性がないですね。この発言以来、そしてこのブログを書くまで、ずーっともやもやとして私の生産性がなくなりました。

 

あ、でも杉田議員の言う生産性は子どもを作ることだから、元々私は劣等生でした。これは失敬。

 

結果としては、ブログを書き、さまざまなことを考えるキッカケにはなりました。だから、多様性を認め合っていくことが社会にも広がっていったら良いな。

 

ただ、与党としては批判すべきでは?

自民党の対応の遅さと不味さにがっかり

杉田議員はなぜ「生産性がない」とわざわざ発信したのでしょう。多様な生き方が認められつつあるこの社会で、真逆の意見を言えば反論されることも、国会議員になるくらいの人なのだからわからないことはないと思います。

 

それでも発信したかったのは、「心底思っているから」であり、「賛同する声も少なくはない」と思っていたのではないでしょうか。しかし、これだけ批判が殺到したというのが社会の答えではないのですかね。世に問うた結果、炎上に批判に未だに止んでいません。

 

私が残念だったのは、自民党としてこの騒動後に即座に対応を取らなかったこと。その後に指導はしたそうですが。与党ですしお忙しいのはわかります。ただ、与党だからこそすぐに指導すべきだった。「多様な意見がある」という二階幹事長の見解には、性別の多様性を否定している人間に対する皮肉かとさえ思ってしまいました。

 

その後の二階氏の発言もなんというか、もはやコントというか…。

「こういうことはそんなに大げさに騒がないほうがいいんです。この程度の発言があったからと言って、帰国してからどうだってそんな話じゃありません」

出典元:二階氏「大げさ、この程度の発言で」 杉田水脈氏ら巡り:朝日新聞デジタル

 

熱愛が発覚したアイドルの事務所の言い分かな?“この程度”という発言にも批判が殺到し、その弁明としては…

 

「『この程度』とは、発言者のことであり、LGBTの方々を指して言っているわけではありません。わが党は引き続き公約に掲げたように性的な多様性を受容する社会の実現を目指してまいります」

出典元:二階氏「この程度とは発言者のこと」杉田氏発言巡り補足:朝日新聞デジタル

 

いや、杉田議員のことを「この程度」と言っていたとしても、それはそれで問題なのでは?

 

自民党議員の中には批判したい人もたくさんいると思います。しかし、LGBTに対して否定的に見ている人も多いことが非常に悲しいというか。むしろ、杉田議員の考えに賛同している人さえいて。まあ、いるとはわかっていましたが、本当にいるとがっかり感もあるもので。

 

そういう人たちは、自民党の総裁で、この国で最も権利と権力を持っている総理大臣が結婚しながら子どもはいないという状況に「生産性がない首相だな」と思っているのでしょうか。私は思っていません。ただ、今回の発言を擁護するのは、そう言ってるのと変わらないような。いや、これはストローマン論法かもしれません。気をつけねば。

 

あー、なんというか、社会はとってもいびつです。

 

首相はキッパリと批判してくれたのはいいね

騒動後ようやく、安倍首相もこの件に言及しました。

「人権が尊重され、多様性が尊重される社会をつくっていく、目指していくことは当然のことであろうと思う。これは政府与党の方針でもある」

出典元:首相「人権、多様性の尊重は当然」 杉田氏寄稿で苦言:朝日新聞デジタル

 

はい、ど正論。はっきりと苦言を呈してくれるのは良いですね。ただ、党としては「今後気をつけてね」程度の注意で、発言を問題とは捉えてないのかな…。もやもや。

 

せっかくなら大きく変わるチャンスかもしれない

たしかに子どもが生まれなければ社会は続きません。人間だけでなく動物も植物も、全ての生物が種を残すために子を成すのは、本能かもしれません。しかし、社会が本能だけで動くなら、法律なんていらないはずです。

 

この法治国家では、男性でも女性でもLGBTでも、どんな人間でも平等なはず。それが憲法第十四条の平等権にもあります。

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

出典元:日本国憲法 第十四条 第一項

 

すべて国民には、男性も女性もLGBTも、どんな人でも当てはまるはず。杉田議員の発言は、性別による政治的、経済的又は社会的関係においての差別そのものではないですか。

 

同性婚が認められていない社会は、果たして平等と言えるのか。平等ではないなら、それを是正していく法律ができるのが社会の役割、そして国会議員の方々のお仕事なのではないでしょうか。十分に仕事が忙しいことをわかった上でお願いしたいのです。

 

どんな人にとっても平等である社会になるよう、そういった改革が進んでいくよう、心から願っています。

 

 

 

aoikara

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