中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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頭の上をミサイルが飛んでいった朝が2度あって思うこと

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北海道在住のaoikaraです。

 

仕事をしていなかったこの1ヶ月。個人的に変わったことは体重と皮膚の乾燥具合で、さりとて代わり映えのない日常でした。もせず。

 

ただ、衝撃的なことはありました。

 

目を覚ます朝

8月29日(火) 午前6時2分

 

仕事をさぼって寝坊している私にとっては、びっくりするほどに早い目覚ましが鳴りました。今まで聞いたことがないけたましい音が鳴り響いて、何事かとスマホを見ると

 

「ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい。」

 

東北地方にミサイルが飛んでくるらしい、というJアラート。寝ぼけていた頭がすっと目を覚ます文言。次にやってきたのはどどどどどと心臓が鳴り止まない恐怖

 

「死ぬかもしれない」

 

という恐怖が頭の中を支配して、どうしたら良いのかわからずおろおろするだけだった。自宅は頑丈な建物なんかじゃないし、地下なんかないし、どうしたら良いんだと。

 

とりあえずテレビでNHKをつけると、真っ黒な画面に赤色でばっと印をつけられて、「国民保護に関する情報」なんて白い文字で書かれている。恐怖を煽るような色で、「あ、戦争が始まるんだ」「死ぬんだ」ってそんな風に思ってしまった。

 

もうわけがわからず泣いて、とりあえずと思ってクッションで身を守ろうとしたけど、意味がないとわかってテレビを見ながらやっぱりおろおろするしかなかった。「死にたくない。何もしていないみじめな自分だけど死にたくない」とずっと祈っていた。そばにいない大切な人にメッセージを送ろうと言葉だけは遺しておいた。

 

続報が出るまでの時間はとても長く感じた。

 

午前6時14分

 

ミサイル通過

 

と速報が入る。でも、信用できなかった。何の保証がされているのかと。ずっと怖くて怖くて怖くて…テレビ画面が普通の状態に戻るまで怖くて動けなかった。大丈夫だとわかって、また少し泣いた。でも、北海道上空を飛んでいったと知ってぞっとした。

 

北海道以外の人が「北海道で良かった」と書いているのを読んだけれど、怒りは感じなかった。私もそう思ってしまったから。どうか別の場所に飛んでいってほしい、と。すごくひどいことだなとわかりながらも、そんな風に思ってしまった。

 

「破壊措置は行われなかった」という“破壊措置”という言葉も妙に怖かった。なんだ破壊措置って。怖い。

 

その日から変わったこと

日本にミサイルが来るとしたら、たった4~5分しかないことを知って、絶望した。私がおろおろしていた時間にすでに死んでいるんだと。ものすごく怖かった。

 

周りを見渡すと、そんなに恐怖を感じた人がいないような気がする。Jアラートを聞いた人も、あのテレビ画面を見た人も。指定された地域にいなかった人はなおさらあの恐怖は伝わらないのかも。そもそもそこまでビビっているのは私くらいなのかな、と思うくらい。

 

私はそれから夜なかなか寝付けなくなった。あのJアラートの音が怖くて仕方ないから。またあの朝が来るのかと思うと呼吸が浅くなって、考えないように考えないようにとしていた。

 

1回じゃ絶対に終わらない、またすぐにやってくると思って、じゃあどうしたら良いのかを調べることにした。ミサイルが落ちてきたときのシミュレーションの図をTwitterで見かけた。撃たれた時点で詰んでるんだということだけはわかった。

 

ミサイルの近くにいたらもう痛みも感じずに死ねるだろうと。悔いは残る人生だし、恐怖しかないし、まだまだやりたいこともたくさんあるから正直嫌だ。でも、そうなったらもう仕方ない。そういう場合には、あまった時間で大切な人に言葉を遺すことにした。

 

距離的に助かる場合もある。でも、核やその他の化学兵器があればめちゃくちゃ苦しんで死ぬことになる。そうならない方法もおそらくない。これまた詰んでる。やっぱり大切な人に言葉を遺すしかない。もしかしたら電話できる余裕はあるかも。

 

もし核なんかなくて、ミサイルだけで、距離的にギリギリ助かるなら、なるべく安全な場所に逃げたい。窓のない部屋が良いらしいのでお風呂場に逃げ込むことにした。とはいえ何か飛んできたら怖いので、頭を守る何かしらを持ってすぐに逃げようと考えた。

 

いつでも脳内はシミュレーションしていた。ミサイルがまた来たらこうするんだ、と。実際に試すことはないけれど、脳内での避難訓練を何度もしていた。

 

そして、2度目はやってきた

すぐに来るだろうと思っていたよりもすぐではなかった。でも、やっぱり2度目はやってきた。

 

9月15日(金) 7時

 

Jアラートの音。スマホには「ミサイル発射」の文字。また北海道も入っている。

 

やっぱり体は恐怖で震える。それでも前のようにおろおろはしない。スマホと枕を持って、飛び出すようにお風呂場へ避難して、頭を枕で守って身を隠した。「絶対に大丈夫、絶対に大丈夫」って言いながら。7時5分くらいには、もう来ているなら落ちているはずだからって思ったりして。

 

7時7分にはミサイルが通過したとの続報。それでも怖い。少し経ってから場所を移動して、テレビで確認した。黒い背景に白い文字、赤いインパクトの画面はやっぱり悪趣味だなと思いながら。

 

怖いのはね、たしかに怖かった。怖かったけれど、1度目より怖さが減っていた。2度目だって体は震えていたけれど、でも、なんだか大丈夫だって思う気持ちが1度目より強かった。

 

これは“慣れ”なんだなと思うと、すごく怖かった。こんなことに慣れたくないなと。

 

個人的に思うこと

ミサイルを撃った理由として、相手にしているのが日本ではないことは理解している。北海道に落とすなんてことはないということもわかる。でも、万が一ということもあるし、何を考えているかわからないし、落ちない可能性だってゼロじゃない、とビビリな私は思ってしまう。撃たれたら死ぬかもしれない、という思いは消えない。

 

2度目のJアラートを受けて、何も行動しなかったという人もそれなりにいるらしい。たしかに朝のあの時間はただ仕事の準備をしたり、出勤していればそれを止めることはない。日本ってある意味すごい国だなと思う。ミサイルが頭の上を飛んでも、数時間後にはいつもの日常をスタートさせなければならないのだし。

 

国の偉い人たちが「最も強い言葉で非難した」と言っていたけれど、ぴんと来ない。私が感じた恐怖を、国を動かす人たちは1mmも感じていないと思う。「怖いね」って戦争映画を見ているのと変わらない。脅威なんてリアルには感じていないのだろう。私も含めて。

 

そして、世の中でそういうことが常時行われている国もある。国なんて守ってくれなくて、そもそも国なんてなくて、一歩外に出れば死ぬかもしれないという世界はたくさんある。そんな人に比べたら私なんて被害者でもなんでもない。戦争を知らず、ただ怖がっているだけの人。

 

明確な意思を持って殺そうとしているということが何より怖い。殺しても良いような数の一人だと、それだけ弱い立場にあるという状況も怖い。

 

怒りも感じた。どうにかしてほしいと思った。その“どうにか”には凶暴性もあったと思う。一瞬だけど、たしかに私の中で暴力的な思いも生まれた。結果的にはそれは違うと思ったけれど。

 

北朝鮮だってミサイルを飛ばすと決断を下した人ではない人の方も多いはず。多くがそう望んでいるかといったら、そんなこともないと思う。国を攻撃しても、関係のない人民の命を奪うだけ。その行為は私が感じた恐怖を同じように与えるだけで、やられたことをやり返しているに過ぎない。それは全然望ましくないし、とても嫌だ。

 

じゃあ、黙って見ているのか。黙って攻められるのか。それも違う。でも、国際社会で経済的な制裁を加えればことは収まるのか。収まらなかった結果が2回目の発射。他国は打つ手がないのかしら。わからない。

 

自国に戦力を持ってほしくはない。戦力は抑止力ではなく、宣戦布告にしかならないと思う。じゃあ攻め込まれて良いのかと言われると、全然嫌だ。だから、防衛をなんとかしてほしい。

 

核ミサイルが撃ち込まれるなら、逃げられる場所を作ってほしい。核シェルターでも地下室でも良い。ミサイルを迎撃する高度なレベルでの何らかの方法を作ってほしい。

 

結局、止められることなんてできないし、それを迎え撃つ措置もないというのが現状なのかな。国民ってすごく弱いんだなと。いざというときは犠牲になるだけ。死んだその一人一人を大切に思う人がいて、その一人が貴くて、それを大量に奪ったということに対する怒りよりも、その行動そのものが非難されるだけ。死んでもただの数字にしかならないんだなと。悲しいよね。

 

国民を本当に大切に思っているなら防衛を今からでも何とかしてくださいってこと。でも、差し迫ったこの状況では現実的に無理。だから、自分でできることをするしかない。できる限りの方法で身を核すしかない。悲しいよね。

 

とりあえず今の状況では死にたくない。明確なのは「死にたくない」ってこと。後悔しないように生きるしかないのよね。

 

自分が「死にたくない」と思うなら、他人のその意思も尊重すべき。そうするためにどうしたら良いのか、個々ではわかるはずなのに、大きな組織になるとややこしくなる。正義の大義が変わってしまうから。

 

せっかく核を持っていない国なんだから「核を持つのはやめて」って大きな声で言えたら良いのにね。

 

いろいろ思うけど、私は未だに怖いし、Jアラートの音も聞きたくない。何度聞いても慌てふためくと思う。そうしないための方法はわからない。私の声なんてノイズみたいに届かないし。

 

ただ死にたくない、生きたいだけなのに、理由なく命が奪われていくのはたぶんどんな状況だって理不尽なんだよね。病気でも戦争でも。止められるなら、止めたい。

 

「全うした」と思える人生であってから終えたいよ。ただそれだけなんだけど。それさえも叶わない世界だってたくさんあるから、もしかすると当たり前のようでおこがましい願いなのかもしれないです。いろいろ考えさせられます。また何度もあるのかな、あるんだろうな。つらい。とりあえず、今日を生きられることに本当に感謝したいです。

 

そんな8月と9月でした。本当にもうやめてほしい。

 

aoikara

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