中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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初めてうれしくて涙した日

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私は何度も泣いたことがある。多くは悲しくて、悔しくて。やりどころのない感情が涙としてあふれ出ることが多い。感動して泣くこともある。

 

ただ、うれしくて、うれしすぎて涙するというのは、本当に数少ない。

 

 

初めてうれしくて涙したのは、中学生の頃。部活の大会の団体戦で優勝した日。限定された地域だけで、本当に小さい地区の大会。でも、そんなの関係ないくらい、うれしかった。

 

私も試合に出場していたし、仲間の応援もたくさんした。優勝の瞬間、私は応援側にいた。優勝がもう目の前にあることに、ちょっと震えてもいたし、応援がいつも練習しているような“型”ではなく、本当に熱意のこもった“応援”になっていることも感じた。

 

勝利が決まった瞬間、叫びのような歓声を上げて、立ち上がった。私の横にいた子も、近くにいた顧問も、同じように立ち上がった。たった今、勝ってくれた子たちも、崩れるように、倒れ込んだ。

 

そして、私はうれしくて、うれしすぎて泣いた。初めての感情だった。周りを見たら、みんなも泣いてた。きっと、あのときの私たちは本当に心が一つになっていたように思う。共鳴するみたいに、みんなで泣き笑いみたいになった。

 

帰り道までうきうきとして、迎えに来てくれた母には、落ち込んだフリをして「優勝したよ!」なんて変なサプライズを催した。

 

あのときの情景はなんだか覚えている。はっきりくっきりとはしていないけれど、ぼんやり残像のように。あのときの、何にもかえがたい高揚感は、初体験だったあの感情は、本当に大切なものだった。

 

 

そんな風に、うれしくて泣いたことが、もう一度ある。高校時代。中退してしまったけれど、良い思い出もたくさんある。

 

学校祭で、いくつかの部活が実行委員会を担当する高校で、私はその部活に所属していた。他の部活の人たちとも協力しながら、夜遅くまで残って準備をした。試験の時期も近いから本当に忙しくて、大変だった。

 

しかも、実行委員といっても、表だって活躍するわけではなかった。スケジュールの組み立てとか、照明とか、音声とか、機材の確認とか、ほとんどが裏方。まだ私の部活は表に出る機会はあったけれど、部活によっては本当に裏方だけに徹する作業も多かった。

 

それでも自分たちが作り上げた学校祭で、多くの生徒たちが盛り上がり、楽しそうなのを見るのは、達成感があった。

 

そして、最終日。全ての行程が終了…というときに、一人の生徒がマイクを片手に「ちょっと待てえ!!!」と言い出す。「こんな学校祭にできたのは誰のおかげだ!!!」と。聞いていなかった行程だった。

 

「裏方をやってくれた実行委員のおかげじゃないか!!!」という声と共に、私たちにスポットが当たり、生徒たちが呼応して、歓声を上げて盛り上がる。私たちはきょとんとするだけ。ただ、よく見ると困惑しているのは1年生だけで、2、3年生はニヤニヤとしている。

 

それは、全校生徒が実行委員の生徒たちに感謝を伝える、という毎年恒例で行われている学校祭最後でお決まりの演出だった。だから、2、3年生の先輩達は知ってて、1年生だけが驚いていたのだった。

 

全校生徒が歓声を上げて、私たちに拍手してくれている状況に、じわじわとうれしさと達成感がこみ上げてきた。そして、実行委員同士でたたえ合ってもいた。

 

そばに、別の部活で実行委員を務めている同学年の女の子がいた。彼女は私と同じクラスで、普段はほとんど話さないけれど、実行委員で頑張っている姿をよく見ていた。

 

彼女は本当に驚いた表情で、まだ事態が飲み込めていないようだった。私は彼女の前に行って、「本当に頑張ったよね。良かったね。お疲れ様」と言って、抱きしめた。彼女も私を抱きしめ返して、泣き始めた。気持ちが体温を通して伝わってきたみたいに、私も泣いた。

 

なんでそんなことをしたのかわからない。彼女が今どこで何をしているのかも知らない。もしかしたら、そんなことを忘れているかも。むしろ、その可能性の方が高い。私も、彼女の顔をぼんやりとしか覚えていない。

 

ただ、達成感とうれしさから、共感した気持ちを抱きしめて、涙したのは初めてで、私の心の中に大切な思い出として残っている。

 

 

人が心を動かすのは、誰かと一緒に何かをしているときなのかもしれない。どれだけお互いの目を見合って話し合ったか、ぶつかりながらも、それでも向き合ったか。そして、同じ方向を見て、進めてきたか。

 

そうやって得られたものが、私たちの心の中に共感として通じ合い、心を通わせられるのかもしれない。

 

 

生きるというのは、誰かと生きていくこと。それは、チームワークなのかもしれない。仕事もプライベートもチームワーク。お互いの目を見て、同じ方向を見て、歩んでいけばそこにはかけがえのないものがある。

 

私は生きてきて、いろんな挫折を味わって、人間関係からは割と遠ざかって生きている。それでも一人でいると寂しさを感じてしまうのは、きっと誰かと一緒にいることの喜びを知っているからで、それは誰かと一緒にいたからこそ、うれしくて涙することができると、経験で理解しているからなのかもしれない。

 

生きるためには働く必要がある。働くだけではない時間もある。そのどちらも、誰かと一緒にいられる喜びを感じられたら、本当に幸せなこと。

 

これからは自分以外の“誰か”にも目を向けて、チームワークの喜びを感じる経験をしていこうか。きっと、うれしくて涙するほど素晴らしい気持ちは、チームワークから生まれるものだから。

 

 

aoikara

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