中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

スポンサーリンク

【読書感想文】東野圭吾『悪意』「書けなかった」が動機ではないか

スポンサーリンク

 f:id:aoikara:20180727144519p:plain

この本のタイトルは『悪意』という。もうそこから、筆者の手の平の上で転がされていたなんて、誰がわかるのだろうか。

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

人はなぜ人を殺すのか。
東野文学の最高峰。
人気作家が仕事場で殺された。第一発見者は、その妻と昔からの友人だった。
逮捕された犯人が決して語らない「動機」とはなんなのか。
超一級のホワイダニット。
加賀恭一郎シリーズ

 

感想

また、騙された

ミステリーを読む時には心構えをしている。「絶対に騙されないぞ」と。たくさんの本を読み経験を積むことで、具体的なトリックがわからなくても、叙述トリックには慣れてくる。「この流れはこの人間が犯人だろう」と、だんだんとわかってくる。

 

もちろん今回も「騙されないぞ」と意気込んで読んだ。最初の章が、殺された人気小説家の友人であり、事件の第一発見者となった人物の手記。ここで私は心の中でほくそ笑む。「私はこのパターンを知っているぞ」と。

 

小説は事実ばかり書いてあるわけではない。主観の文章ならなおさらだ。手記であるならば、その人物の思惑が入り込み、嘘をまるで真実かのように語ることもある。これは、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』をモチーフに作られたドラマ『黒井戸殺し』を観て、知った手法だ。

 

したがって、最初からこの手記を書いている人物が犯人だろうと踏んだ。手記では、殺された人物について、特別な感情を抱いているわけではないフラットな友人関係だというような書き方で、動機などないことを匂わせたい雰囲気を感じた。

 

ただ、隠そうとしてもにじみ出る殺された者の人物像がある。性格であったり、周りとのトラブルが複数あったりと、穏やかではない人物。タイトルにもなっている「悪意」のある人物。だからこそ、手記を書いている人間も殺意を抱いたのだろうと、動機を探る。

 

次の章では、刑事の加賀恭一郎が「犯人は彼だ」と考えていることがわかり、私もよしよしと思っていた。結果、手記を書いていた人物は犯人として逮捕される。

 

さまざまなものが発覚していき、私の中である一つの動機が導かれる。そして、動機は予想通りだった、はずだった。

 

私も非常にスッキリした気持ちだったが、物語の中で加賀が何やら違和感を抱いていた。その違和感を解消するために、殺された人物と殺した人物の関係性を探る。それぞれの生い立ちと人となりを。

 

そして、導かれた答えではない、全く違う結末が用意されていた。まさにどんでん返し。

 

その真実がわかっても、何やら私の心の中はもやもやとしている。「そんなはずはない。だって、殺された人物は…」と、思い込ませる一文が最初の手記の中にあったと、加賀は説く。

 

無意識のうちに埋め込まれたその固定概念は最初から最後まで変わることなく、真相が発覚してももやもやとしていたこの感情の正体が、「騙されたいたからだ」と気づく。それを知ると、今まで見ていた景色が180度異なることに気づく。

 

そう、「悪意」というタイトルであるということから、すでに騙されていたのだ。やられた。また騙された。まだまだ読み手としても未熟だ。しかし、とても清々しい。だから東野圭吾作品は面白い。本当にすごい。

 

この作品の「悪意」とは

「悪意」というタイトルのこの本の中で、どの感情のことを指しているのかと探しながらも読んでいた。真実に気づくまでは、殺された人物の“悪意”なのかと思っていた。この悪意のせいで、誰かの殺意に火を付けて、殺されてしまったのだろうと。

 

しかし、その悪意は全くなかった。作られたものだったのだ。むしろその真逆だ。では、この物語における悪意とは何なのか。

 

犯人が殺すためにした行動すべては、悪意そのものだ。全ては自分のためにという目的を持って、殺してまでさらに相手を陥れるような行動は悪意の塊だ。

 

しかし、殺したいと思うほど憎んでいた相手に対する感情は、悪意とは少し違うように思える。誰から見ても悪い人間ではない、むしろ殺した相手の過去を守ろうとさえした人間に対して、これほどの悪意を向けられるのは何なのか。

 

敵意、の方が近いような気がする。理不尽な、という修飾語を付ければなおさら。もっと言うなれば、「気に食わないもんは気に食わない」という作中にも出てきた言葉の通りなのだろう。その感情自体は理解できるが、それを殺意にしたのは気に食わない相手ではなく、気に食わないと殺した人物そのものだろう。

 

しかし、犯人は真意を語らない。事件を解き明かしたのは、本人ではなく加賀だ。おそらくはそれが正しい結論なのだが、結局のところ犯人の真意はわからない。犯人である人物は何度も自分の思いを明かすように手記を書いているのに、一度だってその本音を書かなかったのだから。

 

小説家を目指していた犯人が、言葉ではなく殺人という方法でしか自分の感情の消化の仕方がわからなかったのであれば、やはり書き手としては未熟なのだろう。小説家になりたいのなら、書くべきだった。書けなかったから、殺した。それが動機のような気もする。

 

加賀が「人の心に寄り添う刑事」になった理由がまた一つわかった

「加賀恭一郎シリーズ」を順番に読み、今作まで来た。大学時代の加賀は教師になると言っていたが、次の作品ではすでに刑事だった。その理由がわからず、なぜだろうと思いながら物語を読み進めてきたが、今作で明らかにされた。

 

加賀はおそらく人一倍自分に厳しい。それは幼少期のある出来事が関わっていることを、すでに私は知っている。(一番最新の作品を読んでいるから)剣道を極めていることも、己への厳しさにつながっているように思う。

 

そんな生き方をしてきた加賀は、強い人だ。大学時代で仲間だと思っていた人たちの関係が脆く崩れ去っても、そこで心が折れることもなかった。

 

▼そのときの話がこちら

www.aoikara-writer.com

 

自分に厳しく強い人だからこそ、他人にも求めてしまうのだろう。それは悪いことではない。求めることで、強くなる人もいる。しかし、人間は思っているより、脆いし弱い。それがまだ10代の子どもであればなおさらだ。

 

だから、加賀は教師という仕事で失敗をしてしまった。強くなれと求めすぎてしまった。考え方は間違っていない。その方法で成長する子どももいるだろう。しかし、相手の心に寄り添うということを置き去りにしていたのもたしかだ。

 

その悔やんでも悔やみきれない過去があったからこそ、警察官になったとき、誰よりも心に寄り添う刑事になったのではないかと思う。

 

幼少期と、大学時代と、教師時代と、すべてが今の加賀につながっている。きっと、物語上では描かれない姿も、すべて今の加賀につながっているのだろう。

 

強い加賀の弱さと、優しい所以を知れた。また加賀の魅力を知ることができた。次作も楽しみだ。

 

 

aoikara

スポンサーリンク