中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

スポンサーリンク

【読書感想文】早見和真『イノセント・デイズ』 私の憤りは、彼女の救い

スポンサーリンク

f:id:aoikara:20190205204242p:plain

ずっしりと重いものが、胸にのしかかってくるような。それがこの本を読んだ感想だった。こんなことが現実で起こったとしたら、あまりにも恐ろしい。けれど、当人はそれを待ち望んでいた。

 

せめて、その人が悲観していれば、私は思いきり憤れた。しかし、そうではなかった。私のどこにも持って行けない感情を、どう伝えれば良いのだろう。

 

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪で、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、刑務官ら彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がる世論の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士たちが再審を求めて奔走するが、彼女は…筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。日本推理作家協会賞受賞。

引用元:内容(「BOOK」データベースより) 

 

死刑を考える二冊目

この本を読む前に読んでいたのは、東野圭吾さんの『虚ろな十字架』だった。偶然、二冊連続で「死刑」が題材である本を選んだのは、ちょっと運命的にも思えた。

 

私はあらすじではなく、“印象”だけで読みたい本を選ぶ。なので、二冊連続というのは、本当にまったくの偶然だった。

 

ただ、どちらも「死刑」は主題ではないように思う。この本は、死刑の重さを問いかけるものだったか。私は、一人の女性の人生を読んだ、と感じた。

 

全ては『イノセント・デイズ』

本作の核となる人物が、田中幸乃、30歳。元恋人の妻と双子の子を殺した罪で死刑宣告を受けた。彼女はなぜ死刑にもなる罪を犯したのか、生まれてから現在に至るまで、その理由が明かされる。死刑になっても彼女を信じてくれる人だけが、彼女の心の支えだった。

 

という本だと思っていた。実際、冒頭はその通りだった。しかし、全く違う。全く違ってしまう。最初は「もしかするとボタンの掛け違いなのかな」と思ったが、それ以上だった。そこに“ボタン”も“服”もなかったかのような。

 

全ては『イノセント・デイズ』だった。本作の中で「イノセント・デイズ」という言葉が出てきたときは、ちょっとクサいシーンだなと思ってしまった。登場人物があまりにも酔いしれて言うものだから。それは作者というより、登場人物がそういう人なだけ。

 

ただ、タイトルから内容を考えるという発想に至らず、やっと出てきた時点でその意味をつなぎあわせて、とんでもないことだと気づいてしまったのだった。

 

みんな彼女の虜

本作に出てくる人物は、皆、田中幸乃に関わっている。ある意味、彼女の“虜”なのかもしれない。良い意味か、悪い意味かは、わからないが。

 

幸乃を取り上げた産科医はどうだろう。彼が自分の方針を曲げたから、彼女が生まれた。彼女が生まれさえしなければ、というのはあまりにも残酷だ。ただ、生まれたときから不幸になる歩みを始めていたのかもしれないと思うと、あまりにも哀しい。

 

義姉は、幸乃と過ごす間に、子どもながらにできることを精一杯した。それ以上、どうすることもできなかった。私は彼女を責められない。

 

中学時代の親友がしたことは、幸乃に罪をかぶせたことは、許されないと私は思った。当時の年齢の自分を重ね合わせれば、本音と建前で付き合う友達が違って揺らぐ気持ちはわからないでもないが、それでもやっぱりひどいと思った。

 

元恋人の友人は、優しい人なのだろうと思う。しかし、なんとなく幸乃に対する感情は、優越感を満たすためのもので、彼女のことを思ったり語ったりするときに、“酔っている”のが嫌だった。何も本当のことが見えていないのに、全て見通しているようで、私は苦手だ。

 

刑務官の女性は、幸乃を知るために、刑務官になったようなものだった。犯罪者の心理に対する好奇心はあったが、幸乃へのそれは“惹かれる”ようなもので、ちょっと違う感情だったように思う。ちょっと違った“酔ってる”感はあったように思う。

 

二人のヒーローは偽善的で好きになれない

幸乃にとって、小さな頃からヒーローと思えるような男の子が二人いた。きっと、彼らが、あるいはどちらかが、幸乃を救ってくれるのだと思った。が、なんというか偽善的だった。ある意味、それぞれの人間らしさが出ていたのか。

 

一方は、今の幸乃と向き合おうとせず、報道の上での、法の言葉の上での、彼女しか見ていなかった。自分の法的立場を使って、できる限りに彼女を救おうとする姿は、全く彼女を見ていなくて、とても偽善的だった。そして、それが彼の人となりで、人間的なのだろう。

 

もう一方は、幸乃を信じていた。それは、幸乃の気持ちを思うと、本当にうれしいことだったように思う。しかし、彼は彼女が不幸になる重大なことをしでかしていた。しかも、彼は母親に暴力を振るっていたし、たとえ彼がどんなに立派なことをしていても、この物語のように純粋に彼女を信じていたとしても、「母親に暴力を振るう奴」という要素は絶対に抜けない。だから、なんだか偽善的で、それが人間的でもあって、もやもやとした。

 

「あってはいけない」という憤りと、“救い”

物語だけれど、リアルのような都合の良さはなく、それでも実に物語的にすれ違って、物語は幕を閉じる。

 

幸乃に下された運命は、「あってはいけない」ことだった。彼女を知っていくにつれて、人生を追うにつれて、その憤りがどんどん強くなっていった。だから、どうか、どうか間に合ってほしいと思っていた。

 

そして、やっと、やっとのことで証明された。しかし、その日すでに、希望が絶望へと変わっていたのだった。間に合わなかった。

 

その顛末を読んだとき、私は息を飲んだ。信じたくなかった。彼女を想っていた人たちのように、私もまた彼女の虜になり、全てを知っている人間として間に合ってほしかった。

 

しかし、彼女が望んでいたことだった。ずっとずっと望んでいたことだけれど、自分ではとうていできなくて、その勇気はなくて、やっと与えられたことを穏やかに受け入れていた。

 

しかも、別のことで他人の罪を被ったことも、友人を守ったと誇りに想っている出来事だった。自分のことを心から信じてくれている人がいると知り、これ以上望むものはなかった。その二人とも、幸乃を裏切っていたのに。その結果が、今なのに。

 

全ての真実を知った読者からすると悲劇でしかないのに、それを我が身に受けてきた彼女にとって救いだった。

 

私の心の中には“憤り”が有り余っているはずなのに、彼女にとって“救い”だったから、この感情を持っていく場所がわからない。読み終わってから、その感情が、ずっしりと心に残るのだった。

 

この顛末に対して「良かった」とは簡単には言えないのだけれど、やっと彼女の望む通りになれたのだとしたら、それを否定することはできなくて、良かったのかもしれないと思ってしまう。彼女が生まれた意味が、そのときに初めて達成されたのかもしれない。

 

でも、切ない。どこで誰かが彼女を犠牲にしないときが一回でもあれば、犠牲にしない人が一人でもいれば、こんな結果にはならなかっただろうと、私は願いたい。それが彼女の救いであってほしい。

 

 

aoikara

スポンサーリンク