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【読書感想文】村田沙耶香『コンビニ人間』私たちはみんな〇〇人間

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こんなに理解できない小説の主人公は初めてかもしれない。犯罪者とかでもなく、日常を生きている人のはずなのに。それでも読み終わった頃には、主人公に肯定的になっている自分がいることに気づく。不思議な読書体験でした。

 

 

▼文庫はこちら

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。 

引用元:内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

主人公を分析する

この小説のページをめくり、読み始めたときのインパクトといったらなかった。この主人公、古倉恵子は人とは違う。いや、人間はみんな他人とは違うのだけれど、そういう意味の違いではない。赤や青など色の話をしているのに、いきなりハンバーガーが出てきたような、そんな「違う」だ。

 

最初に鳥が死んでいるときにどうしたかというエピソードで、私の頭に思い浮かんだのは「サイコパス」という単語。ケンカを止めたいなら、その人を殴れば一番早いと行動したエピソードで、思い浮かんだ言葉は確信に変わっていく。

 

この小説の中の言葉で表すなら「異物」だろうか。

 

 

 小説を読んでいると、視点となる人物と同化しているように感じることがある。感情移入しすぎて、同じように怒り、同じように悲しむように。ただ、この小説ではそういったことがいっさいなかった。

 

いや、共感したくないと心の中で拒絶しているのだろうか。恵子という人物に抱いた「サイコパス」という印象から、共感してはいけないと恐れていたのかもしれない。ただ、理解できる部分は少なかった。小説としてはとても面白いのだけれど。

 

 恵子に対してうらやましいなと思う部分はあった。「怒らない」という性格。また、恵子は人と違うからこそ、指摘されたり白い目で見られたりもする。ただし、そこに傷ついているような描写もなかった。

 

ひどい言葉を投げかけられていたりすることもある。私の方が傷ついてしまうような気持ちになるのに、恵子はそこで傷ついてはなかった。あるのは疑問と違和感だけ。社会に所属する上での居心地の悪さがあったとしても、そこに悲しさはないように感じた。

 

つまり、恵子は怒りや悲しみを抱かないのだろう。私は感情的で、すぐに落ち込んだり怒ったりするので、メンタルの強さーと言って良いのかは疑問だがー少しうらやましいと思ってしまったのだった。

 

けれど、きっとそれが恵子が「異物」と思われてしまう理由なのだろうなと、納得もした。人は物理的に叩かれたら体が痛い。心も同じように痛くなる。しかし、恵子は体の痛みを感じても、おそらく心の痛みを感じないのだろうと思う。だから、周りが驚いてしまうようなことをする。

 

居心地の悪さを感じないほどもっと図太ければ、他人から蔑まれても堂々と生きて行けたのに。馴染もうとする努力ができ、器用さもある人なだけに、その狭間にいるような。

 

主人公についてここまで考えさせられる小説というのは、とても珍しいかもしれない。

 

この世は地獄か

この小説は現代社会の黙認されているような“ルール”を突きつけてくる。

 

大人になるまでに恋愛をしていなければならない。いい年になったら結婚しなければならない。子どもを生まなければならない。そうでなければ良い仕事に就いていなければならない。アルバイトで生活するなんてありえない。TPOにあった格好をしなければならない。話し方も相手に合わさなければならない。

 

そして、ルールではないけれど、不快に感じる状況も受け入れなければならない。

 

ルール違反を犯す人を忌み嫌わなければならない。悪口はコミュニケーションでなければならない。女を下に見ている癖に抱きたいを思っている男の存在を知らなければならない。

 

世の中の認めなければならないけれども、なんとも言えない不快感が襲ってくるような出来事が、小説の中に凝縮されている。読みながら、私の心にもグサグサ刺さる。同じ出来事に対しても、私が主人公の恵子と全く違う心模様を抱くのも、なんだか面白い。

 

ただ、この世はこんなに大変なのかと見せつけられるようで、苦しくもなる。

 

あまりにも違う世界

 恵子が見ていた世界と、恵子ではない側から見た世界というのは、まるで違っていた。恵子は自分の状況が最悪だったとしても、きちんと事実を受け止めているよう見えた。あくまで恵子側から見ると。

 

変な子どもではあったが、両親は愛情を持って育ててくれた。妹も慕ってくれている。36歳で独身でコンビニのアルバイトしか経験はない。両親は変化を望んでいるが、妹はバイトしかしていない理由や恋愛をしていない理由を考えてくれるなど協力的。コンビニのアルバイトだけが、社会の一員になれて心地いい環境。店長や店員とも仲良くやれている。女友達とも定期的に会う仲。恋愛感情を抱いたことはない。ただ都合よく同棲しているニートの白羽とのことを、周囲は買ってに想像して喜んでくれている。

 

それが現実かと思っていたが、別の角度から見ると、恵子がかなり好意的に事実を受け止めていたことを知る。というより、恵子には悪意がない。悪意のある人間に対しても、傷つくことなく淡々と受け止めるだけ。傷ついて悲しんだり怒ったりもしない。だからこそ、本当はもっともっと悪意に満ち溢れていることを読者の私は知ってしまう。

 

変な子どもだった恵子に対して、両親も妹もずっと「普通になってほしい」と願っていた。コンビニの店長や店員も、陰では恵子をコンビニバイトだけで18年も続けていると悪く言っている。女友達も恵子がどこか普通ではないことに気づいている。白羽とのことを、周囲は嘲笑している。

 

みんなみんな、心の奥に潜んでいる悪意を隠そうとする。ある意味で悪意を開けっぴろげにしているのが、白羽なのかもしれない。人間として大嫌いでものすごく軽蔑をする人物だが、他の人よりわかりやすい。

 

そして、恵子は悪意がない。悪意がないのに、人を傷つけてしまうのだ。悪意を持って人を傷つけようとすることと、どちらが悪なのだろう。

 

この世の中の悪っていったい何なんだろうと、不思議な心地になってしまう。

 

世の中の“当たり前”

他人が当たり前にできていることが、自分は当たり前にできないというのはとても苦しい。恵子は苦しみを感じないと思うけれど。その代わりと言っては変だが、私の生き方にも重なり少し胸が痛んだ。

 

私は中卒で、高校も大学も出ていない。不登校という概念は知っていても、実際にしていた私を前にして、「なんで学校に行けないの?」と聞く人もいる。通うことが当たり前なのに、なぜ当たり前ができないのかと。

 

私も自問自答して、なぜできないのかを考える。言語化した理由はあるけれど、自分の中でも未確定事項で、本当の理由なんてよくわからない。それとなく理由を伝えても、当たり前だと感じている人には、当たり前でないことは理解できないのだ。

 

だけど、私は主人公の恵子ができない“当たり前のこと”はできる。だから、「当たり前にできる側」の気持ちもわかるし、「当たり前にできない側」の気持ちもわかる。そこに深い溝があることも知っている。最近では、溝に橋を架けて「知ってるよ」と優しい人もいることも知っている。

 

価値観の多様化という言葉が好きで、できるだけ世の中もそうなっていってほしいとは思う。しかし、きっと恵子を理解することが難しいように、価値観の多様化というのは思っている以上に難しいのだろう。

 

私たちはみんな〇〇人間

恵子にとって、社会の一員になれるのがコンビニという場所だった。誰だって、社会と切り離して生きていくことはできない。どうしたって、社会と関わって生きていかなければならない。

 

そうやって無理なく、快く、生きていけるのが、恵子はたまたまコンビニだった。それが少数派だから、「頭がおかしい」と理解されず、まるで宇宙人のような“コンビニ人間”と思われてしまうのだろうか。

 

しかし、みんな何かしらの〇〇人間として、社会に属しているのではないか。結婚人間や出産人間、家族のために働く人間、恋愛人間。社会から肯定される側の人たちは、社会から多数派なだけで、誰だってコンビニ人間のような〇〇人間なのだ。

 

だから、コンビニ人間だっていいじゃないか。

 

ラストシーンを読んで、妙に清々しささえ感じてしまった私は、そういう結論に達したのだった。

 

いろんな感情を揺さぶられて、考えさせられて、読みながらも読後も楽しめる本だった。村田沙耶香さんの本を今後も読んでいきたい。

 

 

aoikara

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