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【読書感想文】七月隆文『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』どんな世界でも「二度と会えない」切なさは変わらない

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どんな世界でも、いくつになろうとも、人を想う心が同じなら、「二度と会えない」切なさはきっと同じなのだろう。その切なさを知っていて、やってこないでほしいと思うからこそ、この本を読んで胸を締め付けられるような思いになってしまった。

 

 

※かなりネタバレを含みます。展開を知りたくない方はこの先は読まないようにしてください。

 

あらすじ

京都の美大に通うぼくが一目惚れした女の子。高嶺の花に見えた彼女に意を決して声をかけ、交際にこぎつけた。気配り上手でさびしがりやな彼女には、ぼくが想像もできなかった大きな秘密が隠されていて―。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」奇跡の運命で結ばれた二人を描く、甘くせつない恋愛小説。彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み返したくなる。  

隠喩元:内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

少し辛口な、とても個人的な感想

この作品を読み純粋に涙したということを前提として、そこに至るまでには時間がかかったという記述もしておく。読んだ本に対して、全てをポジティブに受け止められたわけではないから、他の本と同じように良い感想だけ書くのはフェアではないと思ったので書いておく。

 

あまり否定的なことを書くのは好みではないけれど、嘘も書きたくないから、という気持ちで。

 

文体であったり、表現の仕方だったりは、あまり得意なものではなかった。描写がライトノベルやアニメっぽいのかもしれない。ライトノベルやアニメを否定しているわけではなく、「小説を読むぞ」という気持ちなのに、別の世界観に無理やり連れてこられた感覚に慣れなかったのだと思う。最初から「ライトノベルを読むぞ」「アニメを見るぞ」という気持ちなら、おそらくすんなりと表現を受け入れられただろう。

 

好きになった女性を四六時中手を変え品を変え褒めまくっていたり、女性を見る着眼点も、少し苦手だなと感じられた。相手のことを思うというよりは、自分の感情ばかりなのがいやだったのかもしれない。人は恋をすると、その相手のことばかり四六時中考えてしまう、という描写だったのかもしれない。

 

誰もが羨むような女性が、割と凡人な男性に惹かれる、という描写も無理やり感があるというか。たいていの物語は「なんでこんな人に惹かれるの?」と思いながらも、物語が進んで人物を知っていくうちに、読者も人柄に惹かれて納得できるのだが、あまりない。「すごく素敵な女性がなぜか自分を好きになってくれた」という設定のご都合主義に感じる。なんだかもやもやした。

 

この物語には運命的な意味合いがあるからこそ惹かれたとはわかるので、最終的にはもやもやは解決するのだが。

 

物語の中で絶賛されるほど、女性に魅力も感じられなかった。男性は彼女のことを何度も何度もいろんな形で褒めるのだけれど、個人的に彼女を「素敵だな」とは思えなかった。

 

男性も男性で、彼女が“初めて”のフリをしていたということにもやもやとした感情を抱くところで、でもその“初めて”も相手は自分なのに?と突っ込みたい気持ちになった。男性の気持ちもわからなくはないが、彼女を責めても意味がないのに、自分しか見えなくてイライラとした。まあ、彼は最終的に自分の過ちに気づいてくれるのだけれど。

 

単純に主人公の男性とその恋人となる女性の、どちらも私は惹かれなかったから、読みにくかったのかもしれない。トリックは面白いし、物語としては感動したけれど、人物には惹かれなかったという不思議な感覚。

 

これは個人的な感覚なので、“私は”苦手だっただけだ。多くの人に愛されている作品で、すらすらと読めている人ばかりなので、苦手意識を持つ人の方が少ないと思う。なので、これから読む人が「読みにくいのかな」と不安に思う必要はないだろう。安心して読んでほしい。

 

否定的なことばかりでごめんなさい。ここからは、きちんと「いい!」と感じた部分を書きます。本当に「いい!」とも思ったので。

 

どんな世界でも「二度と会えない」切なさは変わらない

この物語がどういう世界観なのかは知っていた。タイトルで小説に惹かれ、本を原作とした映画が公開され、どんな話なのか調べているうちにネタバレを見てしまったのだ。先に展開を知りたがるというのは、私の悪い癖だ。

 

トリックを知っているので、“きみ”の急な感情の変化や、謎めいた行動についても、理解しながら読んでいた。順調に。初めて読んだ本ではあるが、トリックを知っているので初めて読んだときほどの新鮮さは感じないままに、読んでいた。

 

それでも私は、読み終わったときに泣いていたのだ。胸が締め付けられて、感情が絞り落ちるように、じわっと涙が流れていた。あまり得意ではない作品ではあったのに、純粋に涙してしまったその感情を、きちんと自分で理解できていた。

 

“ぼく”と“きみ”は違う世界に生きている。いわゆるパラレルワールドのようなものだ。“ぼく”の年月を重ねていくことは、“きみ”の年月を巻き戻すことになる。“ぼく”の未来は“きみ”の過去であり、“ぼく”の過去は“きみ”の未来。二人が恋人として同じ時を過ごせるのは、たった四十日だけ。

 

だから、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』なのだ。

 

同じ世界を生きていれば、積み重ねてきた年月と共に、二人の距離は近づいていく。それが一方通行で、年月は積み重ねていくのに、こちらの思いが募れば募るほど、相手とは離れていってしまう。

 

“ぼく”にとっての初めては、“きみ”にとっては最後になってしまう。

 

似ているテイストの作品として、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』がある。赤ちゃんから子どもに、子どもから大人に、大人から老人になっていく人間が、逆に人生を歩む人物の物語だ。しかし、記憶が消えるわけではない。若返っていくだけで、抱いた思いが消えてしまうわけではない。

 

この作品は記憶から丸ごとなくなってしまう。なくなってしまうという言い方は正しくない。だって、未来で出会う“きみ”は、過去の“きみ”なのだけだから。お互いに。愛し合えるのはたった四十日で、それ以前も、それ以降も二人は他人になってしまう。

 

私は、その事実を知りながら読んでいた。それなのに、“ぼく”が受け入れたくないともがいたり、ぶつかったり、そういう中でずっと“きみ”が気づかないように過ごしていてくれて、”ぼく”が受け止めようと覚悟したのと見て、何というか感情を揺さぶられてしまった。

 

それは、私が、人を想う愛しさと、失ってしまうと想像しただけでも胸が苦しくなるような切なさを知っているからだ。「二度と会えない」ことに抗えない運命は、あまりにも切ないからだ。自分だったら…と考えたら、本当に苦しかった。

 

そこからは、あまり魅力的ではないと思った“ぼく”と“きみ”も好意的に見られて、まるで自分のことのように思いながら読んでいた。ご都合主義などと書いていたが、私の方がよっぽど都合の良い奴だ。

 

どんな世界でも、「二度と会えない」切なさは変わらない。この世界の“死”と同じように、“ぼく”と“きみ”が「二度と会えない」状況に抗えないのは、変わらない。本当に、ただただ切ない。

 

物語のスタートはいつなのだろう

“ぼく”が初めて“きみ”に出会ったのは、当時は気づいていなかったけれど、5歳のときに震災から大人になった“きみ”が助け出してくれたからだった。

 

一方で、“きみ”が初めて“ぼく”に出会ったのは、これも5歳でお祭りの事故から“きみ”が助けてくれたからだった。

 

“きみ”が成長して15歳になったとき、“ぼく”が20歳になった同士の二人が恋人になることを教えてくれる。しかし、“ぼく”が”きみ”と違う世界で生きていることを知ったのは、“きみ”からだった。

 

となると、この物語はどこがスタートなのだろう。“ぼく”なのか、”きみ”なのか。メビウスの輪のように、ぐるぐるとしてたどり着かない。卵が先か、鶏が先か、どっちが先かは答えが出ない運命なのかもしれない。

 

ただ、この小説の始まりとなるプロローグは、20歳の“ぼく”が、電車で見かけた“きみ”に一目惚れするシーン。そして、終わりとなるエピローグは、20歳の“きみ”が最後に出会う“ぼく”を見つけるシーン。同じシーンの互いの目線で始まり、終わる物語なのだ。

 

だからきっと、物語のスタートは電車で二人が出会った瞬間なのだろうと思う。それが、運命の始まりなのだと、私は考える。

 

あまりにも切ないけれど、これはきっとハッピーエンド

彼のもとに、辿り着いた。

 

小説はこんな一文で終わる。“きみ”目線の言葉だ。この後、“ぼく”にとっては初めての出会いで、“きみ”にとっては最後の別れ。あまりにも切なくて、この後に“きみ”は泣いてしまうのだけれど、この一文には悲しさや切なさよりも、達成感のようなものを感じる。

 

共に年を取り、同じ思い出を共有して、人生を歩んでいくことは叶わない恋人同士。そう考えると、本当につらい。けれど、同じ世界にいても、人との出会いと永遠の別れはやってくる。違う世界でメカニズムや期間は大きく違ったけれど、彼らもまた同じように出会い別れたのだ。

 

そして、短い時間でも愛し合い幸せだったことには変わりないし、二人は運命を呼び寄せた。運命のために、その後の人生の再会を全うし、大切に生きた。とても切ないことには変わりないけれど、きっと“ぼく”と”きみ”にとってはハッピーエンドだったのだと思う。

 

このトリックはありそうでなかったもので、全くあり得ない世界観なのに共感してしまうのは万人に共通する感情を揺さぶるからで、そういう対極にある組み合わせとして、唯一無二の作品だと思う。ぐだぐだと文句も書いたけれど、読んで良かったと思えた作品だった。

 

 

aoikara

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