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【読書感想文】東野圭吾『11文字の殺人』 どんな理由があろうと犯すことは許されない

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人は罪を犯す。ときには罪を犯した人間に同情したくなるような状況もある。それでもやはり犯してはいけない。犯すことは、とても醜い。

 

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

「気が小さいのさ」あたしが覚えている彼の最後の言葉だ。あたしの恋人が殺された。彼は最近「狙われている」と怯えていた。そして、彼の遺品の中から、大切な資料が盗まれた。女流推理作家のあたしは、編集者の冬子とともに真相を追う。しかし彼を接点に、次々と人が殺されて…。サスペンス溢れる本格推理力作。  

引用元: 内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

違和感の正体は真実への糸口

この物語は女流推理作家の“あたし”目線で進んでいく。彼女の恋人でフリーライターの川津雅之が「狙われているんだよ」と打ち明けるところから始まり、そして彼は何者かに殺されてしまう。

 

川津との出会いは、“あたし”の友人で担当編集者でもある萩尾冬子の紹介からだった。元々は冬子が川津と知り合いだった。「素敵な男性と会ったのよ」なんて冬子が川津のことを言うものだから、私は冬子が川津に好意があるのだと思いながら読んでいた。

 

それが川津は“あたし”と恋愛関係になる。ずいぶんと冬子はあっさりと二人の関係を認めたのだなという違和感から、冬子が嫉妬心から川津を殺したのかもしれないと思った。事件を捜査しようとする“あたし”に、冬子がやけに協力的なのも、逆に怪しく感じられた。

 

ところが事件はどんどん広がっていき、次々に殺人が起きる。とても単なる嫉妬心から生まれた殺人では収まりきらないほどに。だから、私の推測はある意味で外れた。

 

そして、ある意味で当たってもいた。私が感じていた“違和感”に、真実への糸口があったのだった。好意がありげな男性と自分の友人がうまくいって、それをあっさりと受け入れた、という違和感。それは始まりに過ぎないのだけれど、全ての真実にもつながっていた。

 

加害者には憎しみを込めて、被害者には同情的に

推理小説は犯人やトリックを解き明かす醍醐味がある。つい、犯人である加害者は悪い人間だと思い込んでいて、殺された被害者は人生を奪われた悲劇的な人物だと同情的になってしまう。

 

その思い込みから、すでに真実を見つけることがから遠ざかってしまうのだろう。それなりに東野圭吾作品を読んできて、騙されないぞ、思い込みは禁物だ、と思いながら読んでいるはずなのに、やっぱり騙される。私は忘れることと、騙されることに関しては天才なのかもしれない。

 

つまりは、そういう思い込みから、やはり今回も見抜けなかったという話だ。

 

どんな理由があろうと犯すことは許されない

推理も奥深く、物語としても深く考えさせられて、とても面白い作品だと思う。ただ、一点解せぬことがある。もっと言うなら「私はそうは思わない」ときっぱり言いたい箇所がある。

 

事件の真相には、とある無人島で死んだ竹本という男の真相が関係している。竹本は船の転覆事故で溺死したと思われていたが、実は殺されていた。殺された直接的な理由は、溺れている男を助ける代わりに、その男の恋人の体を要求し、男から逆上されたからだった。それをもくろんだ黒い男もいるのだが、それは置いておく。

 

竹本については、事故死かと思われていたが殺されたかもしれない、というようなことが匂わされる。それはあまりにもひどいと竹本に同情的にもなってしまった。そして、終盤で上記の真実が明らかになる。そのときの私は、竹本に対して嫌悪感しかなくなった。

 

私の勝手な思い込みのせいもある。殺されたのになぜか事故死に見せかけられた悲運な男だと同情的だったからこそ、その男の中身が下衆とわかったときに、あまりの落差でより嫌悪感が強くなったのだろうと思う。女癖が悪そう、というような記述もそれ以前からあったのだが、それでも引いてしまった。

 

そして、連続殺人事件の犯人は、竹本の恋人だった。だが、彼女は口封じのために殺されてしまった。それは、竹本が体を求めた女性と恋人の男が、話し合おうとしてもらちが明かず殺してしまったからだった。

 

“あたし”は、女性に問う。自分の恋人が別の女性の体を求めたことを裏切りとは思わなかったのか、と聞かなかったのかと。それは女性も問うたと答える。

 「自分の恋人以外の女を求めた男を、憎くはないんですか――と。でもあの方の答えは違いました。誰にでも長所と短所がある。女性問題では困らされることも多いけれど、いざという時に命賭けの仕事をできるバイタリティをあたしは愛したのだ。それに、彼が求めたのは、あなたの肉体であって心ではない――あの人はそういいました。そして、自分では何もせずに彼を卑劣だという者こそ最低の人間だ、ともおっしゃいました」

女性はこうも続ける。

「今はあたしも……そう思っています」

「あの時三郎さん*1を助けるには、死を覚悟しなければならなかったはずです。竹本さんが自分の命と引き換えに要求したものは、たかが一人の女の身体だったんです。しかもそれは成功報酬でした」

 これを読んだときの私の気持ちは一言、「はあ?」だ。そして「私はそうは思わない」となった。

 

恋人関係はどんなものであろうと構わない。男が浮気をするのを許し、そんな男でも惚れて愛する女がいるのは自由だ。ただ、他人を犯すのを肯定するのは間違っている。

 

たとえ竹本が求めたのが心ではなく肉体だとしても、女性の尊厳を踏みにじっている。恋人とも性行為をしている以上、同じ性行為を心も許していない女としている男は、その恋人の尊厳さえも踏みにじっている。自分のプライドを傷つけないために「そういう彼にはもっと尊敬すべきところもあるから」と言い訳しているようにも見える。そもそも、大切な場に彼女を連れて行ってないじゃないか。そのことを棚に上げて、恋人の卑劣な要求を正当化し、復讐のために殺人を繰り返し、犯されそうになった女性を責めるのはとても醜い。

 

そして、最終的に思いに賛同する女性も解せない。命を賭けて助けようとする見返りを欲しがるのは、たしかに自然なことかもしれない。しかし、自分自身を“たかが一人の女の身体”と表現するのはあまりにもばかげている。それは犯されて良いものではない。たとえどんな女性であろうと等しく素晴らしい存在で、“たかが”と言われるものではない。単に言いくるめられているだけで、殺人まで犯しているのに、自分の存在はあまりにも下に見積もっていて、なんだか悲しいし、醜い。

 

そして、やはり竹本もおかしい。合意のない性行為はレイプでしかない。そんな男を恋人として認めている女性も気持ちが悪い。命を賭ける見返りが欲しいのは気持ちとして理解できなくもないが、あまりにも女性を軽んじていて、ジャーナリストを名乗らないでほしい。自分の中だけの正当性で文を書くな。醜い。

 

罪を犯す人は、犯すなりにそれぞれに理由があるように思う。あまりにも悲劇的で、ときに同情的になってしまうこともある。それでも、犯す様やその感情というのは、ものすごく醜い。どんな理由があろうと、犯すことは許されない。

 

推理小説としては面白い。だけど、強く否定したいことはあった。そういう本でした。

 

 

aoikara

*1:女性の恋人の名前

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