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【読書感想文】東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』本当の犯人の見つけ方

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「どちらかが彼女を殺した」

 

推理小説やドラマでよくある展開。「犯人はどちらかだ」と絞られて、解き明かしていく。ただ解き明かした結果、こんな結末が待っているとは全く予想もしていなかった。むしろこの結末は現実に近いのかもしれない。

 

※ネタバレも含んでいます。
※結末に関わるないようについても触れています。

 

あらすじ

最愛の妹が偽装を施され殺害された。愛知県警豊橋署に勤務する兄・和泉康正は独自の“現場検証”の結果、容疑者を二人に絞り込む。一人は妹の親友。もう一人は、かつての恋人。妹の復讐に燃え真犯人に肉迫する兄、その前に立ちはだかる練馬署の加賀刑事。殺したのは男か?女か?究極の「推理」小説。 

出典元:内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

死んだ妹、その理由を知りたい兄に共感

小説というのにはいろんな登場人物が出てきて、誰に共感できるとかできないとか自然と考えてしまう。この小説では、死んでしまった妹とその真相を追い求めて必死に動く刑事の兄に共感してしまう。

 

そして、妹を裏切った元恋人の男性と、その男と結ばれた親友の女性には共感できない部分がある。

 

と書くと一方的に正義と悪があるようにも読めてしまうが、そういうことではない。読んだ後は感情的に「共感できる」「共感できない」と二つに分かれていたが、落ち着いた今はそれだけではない。

 

人の心はわからない。もちろん移ろうこともある。結婚していたわけでもない恋人から、その親友に出会って心変わりしても仕方がない。人間だから。元恋人は心が揺れてから彼女とは疎遠になったけれど、きちんと正直に思いを伝えて別れを告げた。その誠意はある。

 

二人とも「別れてから交際を始めた」と言っており、それが真実だとしたら「裏切った」わけではないのかもしれない。結果的に恋人を奪われたとしても、人によってはそれを祝福できたり、区切りとして気持ちを切り替えることもできるのかもしれない。私はしないけど、そういうのもある。

 

だからといって、そうできない女性を責めることはできない。ここに出てくる“妹”も、感情が不安定になって二人の仲を引き裂こうとしたり、過去を明らかにして脅そうとしたりしていたが、それは仕方ないと思う。

 

人の何かを壊せば、その相手から壊される。恋人と親友の仲を引き裂いた元恋人も、親友とその恋人の仲を引き裂いた親友も、自業自得で因果応報だと思ってしまう。

 

だから、この妹が親友を脅し元恋人との仲を引き裂こうとしたことは、確かに醜いことかもしれないけれど、私はその気持ちがわかる。それを信じたくない兄の気持ちもわかるけど、そうなってしまうだろうなと、でなければ殺されたりなんてしなかっただろうなと思う。

 

そんな兄は警察官ではあるが交通課で、殺人事件の捜査をする刑事ではない。だからこそ警察にも秘密にしながら、自分の手で犯人を捕まえてその復讐をしたいと思うのも当然だと思う。暴走して途中から「それは思い込みじゃないかな」と止めたくなる気持ちも出てきたけれど、心情的には十分に理解できる。

 

仕方ないよな。でも、仕方ないと許せない人がいてもこれまた仕方ないよな。そんな色んな感情のどろどろしたものがこみ上げてくるような小説だった。

 

加賀恭一郎は心に寄り添いっぷりを存分に発揮

私が最近はまっている『加賀恭一郎シリーズ』でもある今作には、おなじみ刑事の加賀恭一郎が登場する。

 

とはいえ、今回の視点は基本的に“兄”であり、加賀は他者としてしか描かれていない。しかし、だんだんと重要な人物になってくる。土足で踏み込んでくるわけではないのに、さりげなく懐に入り、いつのまにか心に寄り添っている。

 

そんな、加賀の心に寄り添いっぷりー変な言い回しになってしまうがーが発揮されていた。それが、この物語の最終的な救いになっていたように思える。

 

個人的に予想した結末と現実

『どちらかが彼女を殺した』というタイトルから、「どちらも彼女を殺した」あるいは「どちらも彼女を殺していない」という結末かと個人的に考えていた。

 

犯人は元恋人の男性か。あるいは恋人を奪った親友の女性か。そういう描き方だったので、一方ではなく二人の共犯なのではないか。「どちらか?」で一方だけが犯人だったとしたら、ありきたりでつまらないなとも思ったから。

 

そして、実はどちらも彼女を殺してはおらず、彼女は殺されたように見せかけて自ら死んだのではないかとも考えた。兄が抱いた不審点も全て彼女のトリックだったのではないかと。元恋人と親友を死ぬ少し前に呼び出していたのも、彼女が二人に罪を着せるだめだったのではないかと。実際に、彼女はこんな空想をしている。

 

どちらかがあたしを殺してくれればいいのに、と。

 

その空想を現実にしようとしたことが彼女なりに復讐だったのではないか、と私は推理していたのだ。

 

ところが、私の予想は裏切られた。そして、ある意味で合っていた。元恋人は殺そうとしていた。が、やめた。親友も殺そうとしていた。が、やめた。だとしたら、死んだのは彼女の意思だったのか。しかし、誰にでも殺せる可能性はある。

 

つまり、真実を突き詰めようともがいていたその先に、「誰が彼女を殺したかわからない」状況が待っていたのだった。これには痺れた。ここまで読ませて予想をさせて、まさかそんな展開が待っているとは。

 

しかし、これは結末の一歩手前だった。どうりで加賀が確信めいた口調で、妹の自殺になるという結末に「それはならない。誓ってもいい」とまで言い切ったわけだ。その先には、きちんと結末が用意されていた。

 

どちらが彼女を殺した?

加賀は「他殺だ」と確信していた。誰が彼女を殺したのかもうわからなくなっていた兄も、なぜ加賀が確信していたのかに気づいた。だから、犯人を殺そうとした。そして、殺さなかった。この小説はそういう終わり方をする。

 

しかし、驚くことにこの小説では犯人の名前が出てこない。“犯人”と書かれているだけで、結末がわからないまま物語が終わるのだ。元恋人か、親友か、その二択しかないのに答えがさっぱりわからない。

 

これは「どちらが犯人でしょうか?」という個人に答えを委ねる小説なのか。それも違っていた。実はきちんと読めば、小説として犯人の答えが出ているのだ。

 

私が読んだ文庫の解説にもそのヒントが出ていた。それでもわからず解説されているサイトなどを読んで、該当する箇所を読んでやっと納得できた。

 

ただ、それよりも前に私は「どちらが犯人だろう」と読み返しながら、ある記述が気になった。それはラストスパートにかかる文。

 

刑事の兄は妹が殺されたのと同じ方法で犯人を殺そうとしていた。現場には兄と、殺された妹の元恋人と親友、加賀がいる。そして、兄が犯人を確信し、その人物を見て、殺すためのスイッチを押した瞬間のこと。

 

犯人が絶叫した。犯人でないほうも悲鳴をあげた。

 

元恋人も親友も、叫んだ。その叫び方が気になった。一方は「絶叫」し、一方は「悲鳴」をあげた。個人的には「絶叫」という言葉には迫力や野太さがあるように思える。「悲鳴」には哀しさやか細さを感じる。

 

つまり、「絶叫」には男性的な部分があり、「悲鳴」には女性的な部分がある。一つだけだと性別まではわからなくても、二つを対比させるよう並べたときにその違いがわかる。

 

同じ状況になり、「女性が絶叫した。男性が悲鳴をあげた」と表現されたらすごく違和感がある。「男性が絶叫した。女性が悲鳴をあげた」と表現されたらしっくり来る。そして、親友の女性はとても細身なのだ。男性を差し置いて絶叫しそうには思えない。

 

だから、私は犯人が男性=元恋人で、犯人ではないほうが女性=親友なのではと推理した。そして、二択の答えという意味で、その推理は当たっていた。意図的な叙述なのか偶然なのかはわからない。

 

どちらかが彼女を殺した

ただ、全てが終わったときの兄の言葉が心に残る。

 

「どちらかが園子を殺した――それさえわかっていれば充分だったのかもしれない」

 

この言葉は重い。最初は「園子が自殺ではなくて良かった」という、不幸中の幸いを指した言葉なのかと思った。幸いとも言えないだろうが。ただ考えるにつれて、それだけではないようにも感じた。

 

「どちらか」ではなく「どちらも」妹を殺そうとしたことは事実で、妹が自殺するかもしれないというところまで追い込んだ人間。それは実際に殺したという罪と紙一重で、二人とも妹を殺すかもしれなかった人間だということを意味している。

 

だから、兄としては「どちらも妹を殺したのだ」という心持ちなのではないか。それを知れたことが良かったという意味だろうか。良かったというのは適切ではないかな。やはり「充分だったのかもしれない」と、決して好意的ではなく断定的な言い方もできない、そこに心にずっしりとのしかかるような重さを感じた。

 

読み手も油断ができない

本当にきちんと読んでそれぞれの言葉の意味をじっくりと解釈していなければ、この推理小説は読み解けない。流し読みしがちな私としては、「油断せずに読めよ」と言われている気がした。事実、自分の力だけでは読み解けなかったわけで、読み手としてまだまだ未熟だ。

 

書き手として仕事をする以上は、きちんと汲み取れる読み手でありたい。油断せず読もうと再認識させられる一冊だった。

 

以上です。

 

aoikara

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