「ク~リスマスが今年もやってくる~♪」
竹内まりやさんの歌声をBGMに、ケンタッキーフライドチキンを幸せそうに頬張る綾瀬はるかさん、というのが私のクリスマスのイメージ。今はケンタッキーのCMが高畑充希さんになり、時代はめくるめく。
メリークリスマス。本日は12月25日、クリスマスです。クリスマスだけど、クリスマスらしいことは何もしていない。
強いて言えば、昨日シュトーレンを食べたことくらいかな。あと最近は「真っ赤なお鼻の~」を繰り返し歌ってた。一回頭にこびりつくと、なかなか頭から離れないのが、私の頭の不器用なところ。
そしてどうぶつの森のアプリのクリスマスイベントかなり頑張った。他のアプリでも。あれ、意外と私クリスマスしているのかも。クリぼっちの達人だ!
今日はブログでクリスマスについての記事を書こうと思っていたから、せめて気分を盛り上げようと、クリスマスの洋楽をBGMにカタカタとパソコンを打っている。アカペラの歌が良い感じで、ちょっと感傷的な気分に。
ただ、クリスマスを祝おうという気概もなければ、「クリスマスなくなれ!」と嫌う感情もない。「あ、クリスマスだ」という気持ちと、クリスマスを祝って幸せそうな人たちを見て微笑ましくなる気持ちがある。
誰かが幸せだからって、妬ましく思ったり孤独を感じたりするわけでもなく、純粋に幸せな気持ちになれる。幸せだなぁとほのぼのと。
クリスマスのために考えたことと言えば、「クリスマスをテーマにどんな記事を書けるかな」だ。もうクリスマスなので、記事はトレンドから遅い。私が見据えているのは年末年始とその先だ。なんだったらバレンタインもすでに見据えている。
感情的に「絶対にクリスマスを祝いたい!」みたいなことがなく、どこか遠ざかってしまっている自分がいるのに気づく。そこに寂しさもないというのが、ちょっと寂しい。
クリスマスを祝うのは、どんな人たちだろう。やっぱりカップルかな。一応私にも恋人がいて、何年か前はプレゼントをもらった。ボディクリームめちゃめちゃ愛用した。良い香りだったなぁ。
ただお互いにプレゼントは贈り合わないのが基本だから、それ以降はないし、私も寂しさを感じるわけでもない。もちろん、もらったらとってもうれしいんだけどね。プレゼントがないから「愛されてない!」とかは思わないということ。
世の中のカップルは楽しく過ごしているのかな。遠距離で一緒に過ごせないから、そこはうらやましいな。でもクリスマスだから特別に寂しいというわけではなく、割と常に寂しいからな。「けっ」くらいは言うけれど、幸せなのは大いに結構で、微笑ましい。
となると、クリスマスを祝うのは小さい子どもがいる家族なのかなと思う。クリスマスのご馳走を作って、ケーキを食べて、“サンタさん”がやってきて。そういったツイートとかブログ記事を読んで、私まで幸せな気持ちになる。心がほっこりするよね。
私も子どもの頃は家族とお祝いしたなぁ。クリスマスっぽいご馳走があって、うちはフライドチキンじゃなくてちゃんとターキー(手作りではないけど)。クリスマスケーキは手作りしたこともあった。両親はちょっと良いスパークリングワインを飲んでいた。
あれ、とてもおしゃれ感あふれてない?インスタ映えしそうな感じの記述になってしまった。そこまでではないか。良い所ばかり書きすぎたかしら。ケーキは買わずショートケーキだけのこともあったし、飾り付けもなくて生活感まるだしのダイニングだったし、家庭感あふれるクリスマスだった。まあでもそれが幸せなのかもしれない。
思えば最後に私の家に“サンタさん”が来たのは、10年以上前のこと。希望のプレゼントが届いたこともあれば、届かなかったことも。届いたプレゼントはおもちゃ箱に眠っていたり、今でも大切にしている品もある。子どもが背伸びして頼んだものだから、今の私が持っていてもおかしくない品もあった。私の子どもの頃のセンス、ナイス。
希望ではないプレゼントが届いたときは、ひどく落胆したわけではないけれど、子供心に「違うなぁ」みたいな気持ちはあった。今親に明るく文句を言って、「うるさい!」と返せるくらい平和で、心の傷なんかにはなってない。
希望通りではなく、ちょっと違うってのも我が家らしいというか…。例えばこのキャラクターのこのクマのぬいぐるみが良いと言っているのに、全く知らないクマのぬいぐるみとか。
たぶん我が家の“サンタさん”は流行に疎く、そのキャラクターを知らなかったのだろう。だから、たぶんクマのぬいぐるみの区別がついていなかったのだと思う。そして、とても忙しくて準備する時間もなかったのだろうと思う。
一生懸命探して見つけたのだろうと思うと、当時は「違う」気持ちでいっぱいだったけれど、今はそのクマのぬいぐるみの顔がもっと愛らしく見えるかもしれない。
子どもを愛してくれる“サンタさん”だった。私が喜ぶ顔を見て、“サンタさん”もきっと笑っていたから。
そして、年月が経ち、サンタさんは来なくなり、私が“サンタさん”となっても良い年齢になった。たぶん、この先の人生で私がもう一度クリスマスに近づくのは、私が“サンタさん”となるときなのだろうと思う。
でも、結婚もしておらず、子どももいない私としては、またクリスマスに近づく想像はあまり浮かばない。これはまた寂しいな。
あ、でもでも、“サンタさん”になる対象は、きっと子どもでなくてもいいんじゃないかな。だったら、私にとって大切な人の“サンタさん”になろうかな。
と、考えたら来年以降のクリスマスが楽しみになってきた。誰にどんなプレゼントを贈ろうか。クリスマスから遠ざかったと思っていたけれど、サンタになれば良かったんだ。たぶん誰でもサンタさんになれるんだ。
というわけで、来年以降はサンタになれるよう頑張ります。残りわずかですが、良いクリスマスを。
aoikara