中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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ブログ読者数が200人突破!決意表明としての「好きなこと書いたらええやん」

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ライターのaoikaraです。改めて自分の肩書きを述べてみました。そして、この記事でお伝えしたいのは…

 

ブログ読者数が200人突破!

 

やったー!その証拠がこちら!

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※ボタンではなく画像です。

 

この記事をアップする直前とか直後に、また読者が減ってしまう可能性もあるんですが、まあ一度は200人になったということで。自分にとってはなんだか未知の数字です。とにかく、本当にありがとうございます!

 

 

読者数200人到達までの道のり

読者数100人突破という記事を書いたのが、2018年1月10日のことでした。

 

▼その記事がこちら

www.aoikara-writer.com

そして、200人突破したのが2019年2月17日です。記事をアップしているより前のことなので。

 

およそ1年1ヶ月ほど。この1年1ヶ月は、紆余曲折在りながらもマイペースにブログ更新を続けてこられました。続けることが苦手な私が、また一つ達成できたことがあるというのは、うれしいことです。

 

読者数はあくまで目安で、目標として人数を定めてしまうと、目的が違う気がしてあえて強く意識はしていません。それでも、やっぱり200人という数字は私にとって大きく、感慨深いです。って、100人のときと同じようなこと言ってますね(笑)

 

読者が200人にもなれた理由

1人でも、10人でも、100人でも同じ

前も書きましたが、私はブログ互助会とかしているわけでもなく、特別役に立つ情報を発信しているわけでもなく、誰もが心惹かれるような文章を書いているわけでもなく。自己満足に偏りがちで、あまり読者数が増えるブログではないと思っています。

 

それでも、100人を超えて、とうとう200人の方に読者になっていただけた理由はたった一つで。これは100人を超えたときと同じです。

 

どんなにスローペースだとしても続けてきたから。

 

続けることって大事だなと思います。今の私はブログも、ライターという仕事もなんとかですが続けられています。どんなに小さなことでも積み重ねてきたからこそ、今があるなと。

 

たぶん他の人と比べたら、かけている年月に対して、成長は遅いと思います。立ち止まったり、戻ったりすることもありますし。

 

でも、全部ひっくるめて今の自分で、どんなことでも経験値として積み重ねてきたからこそ、できることもあると感じています。その結果の一つに、200人の読者数があったのかなと。

 

決意表明としての「好きなこと書いたらええやん」

“自分が”好きなこと

これまでも、そしてこれからもブログを続けるために、心に留めておきたいことがあります。ブログとは言わず、私が“書く”ことを続けていくための、決意表明みたいなものです。それが、

 

「好きなこと書いたらええやん」

 

あ、私は関西出身ではないので、関西の方から見たらエセ関西弁だと怒られてしまうかも。でも、フィーリングとして、なんだか関西弁だったのです。

 

ブログを書く目的はいろいろあって、それは人それぞれ何だって良いと思うんですよね。ただ一つ大切なことは、

 

自分が好きなことを書く

 

これも前にブログで書きました。

 

▼その記事

www.aoikara-writer.com

ネットに発信するというのは誰かに読んでもらうので、誰かのため何かのためという、他者に向けて書くことも多いです。読者目線というのは、必要な視点でもあります。

 

「誰かの役に立ったら良いな」という気持ちは素晴らしいことですし、そのためにブログを書くのも素敵です。

 

ただ、ブログを続けるとか、書き続けるとなったときには、まず第一に「“自分が”書きたい」「“自分が”続けたい」と思わないと、続かないと思うんですよね。主体性がなくなると、自分がどうしてブログを書くのか続けるのか、見失ってしまう。

 

“自分が”好きなことを書いて、結果的に誰かの心に何か届いたら、それはラッキーだなって。これもまた強制するわけではなくて、あくまで私のスタンスです。

 

これがけっこう難しい

「“自分が”好きなことを書く」というのは、そう思って書いているわけではなくて、書くという経験から自分が獲得した学びです。だから染みるように実感していて、そうやって今は自分で書きたいことを書くようにしています。

 

でも、最近、これって結構難しいことなんじゃないか、と思うようにもなりました。

 

私が「好き」だと思って書いていても、誰にも響かないこともある。

 

「好き」だと思っているのに否定的な人がいて、ちょっと寂しくなる。

 

 「好き」だと思って書いていることが、誰かにとって不快だったりする。

 

なんだかね、ちょっと怖くなるんです。書く前に、「書いていいのかな」って。“私が”書いていいのかな。私が“好き”という気持ちで書いていいのかな。私が“思っていること”を書いていいのかなって。

 

臆病になって、なんだか当たり障りない文章になってしまう。元々、刺激的な文章をタイプでもありませんけど、それでも怖くて“形式的”になってしまっている、と感じることはあります。

 

私はこう思うけど、そう思わない誰かがいる。その誰かの言い分もたしかにわかったり、全くわからなかったりすることもある。わからないからこそ、わかるために知ろうとする。必死に知ろうとする。

 

そんな姿を見て、私のことをよく知っている人から、「相手(読者)のこと、考えすぎじゃない?」と言われたんです。これはブログに限った話じゃなくて、他の人からも「考えすぎ」と言われることがよくあります。

 

否定的な指摘というよりは、心配して言ってくれているんです。たしかにそう。そして、考えすぎて、思考がぐるぐるして、思考力自体が落ちて、何か書こうと思っていた手も止まって、書けなくなってしまう。なんだか関係のない別のことを書いてしまう。

 

でも、今私はこのブログを書いています。これはまさに私の本音。なぜこのブログが書けたのかというと、考えまくった結果、ポンッとある考えが浮かんだからです。

 

「好きなこと書いたらええやん」

 

って。なぜ関西弁で思ったのかは自分でもわからないんですが。包容力のある感じでいて、ぶっきらぼうな感じで。たぶん自分の本音なんです。

 

結局、どうしたって“書く”となると、好きなことしか書けない。“私が”書きたくて、私が“好き”って書きたくて、私が“思っている”から。誰かを傷つけたり苦しめたりしようという悪意でない限り、書いちゃいけないなんてことなんてない。

 

ええじゃないか、ええじゃないか!私の心は幕末がごとく、ある種のレボリューションですよ!ええじゃないか、ええじゃないか!

 

考えすぎてしまうのも、私には想像力があるとも考えられる。いろんな人のいろんな思いに触れると、自分の心がすり減ることも多いですが、同時に新しく知って想像することができるようにもなります。

 

自分は誰にもなれない自分だから、自分という主体でしか文章は書けません。それでも、こっち側とかあっち側とか、想像できる私の文章は、たとえ自分主体だとしても、「考えすぎ」な個性になる。私らしい文章になると思うんです。

 

だから、このブログでも仕事でも、ただ書くだけしか能がない私としては、「好きなことを書く」、それだけです。悩んだ結果、元に戻るという、落語みたいな顛末です。

 

そんなブログだってことで、読んでくださった全ての方への感謝を込めて、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

aoikara

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