中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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そっちの「あたりまえ」は、こっちの「あたりまえ」じゃないぞ

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あたりまえ体操ってどこに行ったんだろうと思っているaoikaraです。COWCOWは好きです。関係ない方向にいきそうなので、話を軌道修正します。今回のテーマは…

 

あたりまえ

 

についてです。

あたりまえって何よ

言いたいことはタイトル通りなのですが、

 

そっちの「あたりまえ」は、こっちの「あたりまえ」じゃないぞ

 

と、私は思っています。

 

たとえば、私は朝起きて夜寝るのがあたりまえだと思っているけど、そうではない生活を送っている人は世の中にたくさんいる。そっちのあたりまえはこっちのあたりまえと違うし、こっちのあたりまえはそっちのあたりまえと違う。

 

のだけれど、そうはいかずに「あたりまえ」がぶつかる戦争みたいなのがありますよね。軍事的な意味ではなくて、「あんたがおかしい!」「おまえが間違ってる!」って、だいたい「あたりまえ」のぶつかり合い。

 

「あたりまえ」を言い換えれば「〇〇が正しい」。つまり、軽いテイストで正当性を主張する言葉なんですよね。でも、本当は自分の「あたりまえ」に過ぎなくて、自分と違う人がいて違う「あたりまえ」があっても、それは否定すべきことではないと思う。

 

でも、そうはいかずにぶつかりあってしまう。

 

目玉焼きに何かける?

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目玉焼きに何をかけるか、意見が分かれることが多い。醤油、ソース、マヨ、塩コショウ、ケチャップ…まだまだある。

 

冗談で「醤油とかありえん」「ソースはないわ~」と言うことはあっても、本気で相手をたたきのめしてやるまで自分の調味料の素晴らしさを語ってやろう、という人はまあいない。

 

この目玉焼きに何をかけるか問題は、こっちの「あたりまえ」はそっちの「あたりまえ」じゃない。それでもいいよね、という例のひとつな気がします。そして、本当はいろんな物事がそうあるべきではないか、と思ったりもするのです。

 

でも、現実では「あたりまえ」と思い込むことで、弊害が生じているように感じます。

 

あたりまえのすれ違いはどこでも

仕事でも

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たとえば、レストランにて。店員さんがお客さんにメニューを聞くとき。メニューを略語で言ったり、長すぎる言葉をつらつらと並べて、まるで呪文のようになっている人がいる。

 

初めて訪れた人にとっては「???」で、何を言ってるか聞き取れない。そちらは毎日のことで「あたりまえ」の言い方は、初めての人にとっては「あたりまえ」ではないので聞き取れない。

 

仕事のやりとりをしていても、細かい手順やスケジュールや書類やらどんな風にやっていくのか、それぞれの会社でスタンダードが違う。それでいて、フリーランス(しかしていない人間)からすると、そもそもの会社のスタンダードさえわからない。

 

調べればわかること、と言われそうだけれど、調べても出てこないような細かいことでもあたりまえのように提示されることもある。それが正しいのか間違っているのか、何から何まで聞いて良いのか、わからないのだ。

 

仕事のやり方って、すごく「あたりまえ」がまかり通っていて。そこに入ってくるならあたりまえのように自然に吸収しなさいよ。あなたの努力で。ってぶっきらぼうなところがある気がする。

 

そこでついていけない人にはかまっていられないのもわかるけれど、なんとなく置いてけぼりだ。

 

プライベートでも

たとえば、恋愛なんかで「好きだったら“愛してる”と言うのがあたりまえ」「好きなら毎日彼女に連絡するのがあたりまえ」など、あたりまえと思い込んでいることが多い。心の中で明文化していなくても、潜在意識で考えている。

 

その思い込みがすれ違いのきっかけだ。

 

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  • A「どうして“好き”って言ってくれないの?」
  • B「好きなんて言わなくても、好きだから付き合ってるんだろ」

たまによく聞く会話。Aは「好きなら“好き”と言う」のがあたりまえと思っているし、Bは「好きだから付き合ってる」のがあたりまえと思っている。

 

自分が思い込んでいる恋愛の“あたりまえ”はきっと相手にとってあたりまえではないし、相手の“あたりまえ”も自分にとってあたりまえじゃない。

 

だけど、あたりまえは「言わなくてもわかること」だと思い込んでいることが多くて、なかなか口に出さない。だから、表面に出てきたときに、ミスやらすれ違いやら変に弊害が起きてしまうのだろう。

 

じゃあ、どうしたら良いのか

私が思うに、

 

「あたりまえ」だと思わない

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これしかない。というか「あたりまえ」を取っ払った方が、自分にとってもラク。「普通はこうするよね」「それがあたりまえのこと」と自分自身の視野を狭めて、自分を決めつけると、途端に生きづらい。人に“正しさ”は大切だけど、自分で決めつけすぎて息苦しくなることだってある。

 

「あたりまえ」の固定概念がなくなれば、新たな自分にも気づけるし、相手への思い込みだって減る。

 

「わからない」を言う。

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自分のあたりまえを押しつけるのは、「私はこう思う。だからあなたもこうしなさい」と強制することと同意ですよね。でも、自分と他人は違う。「私はこう思う」は持っていて良い意見。じゃあ、相手はどう思っている?聞かない限りわからない。

 

だから、「わからない」と言って、相手のことを聞くしかない。「私はこう思ってるけど、あなたはどう?」とか、仕事でも「それはどういうことですか?」とか。

 

「わからない」を受け入れる。

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「わからない」ということを言うのに抵抗がある人は多い。子供でも「わからない」といえばからかわれたりして、恥ずかしいことだと思い込んでいて、そのまま大人になってしまう。

 

だから、自分の中でいくつものルールを探して「あたりまえ」を作り、恥をかくことを避ける。どんなことでも「私はわかっている」と思いたいのだ。

 

でもね、いくつになっても新しいことはわからない。人と付き合っていくならその人と同じ人はいないんだから、考え方だって何だってわからない。まずは自分の「わからない」という気持ちを受け入れる。

 

そして、相手の「わからない」も受け入れよう。相手に「こんなのあたりまえでしょ!」と怒りたくなることも、呆れてしまうこともあると思う。でもね、それって本当にあたりまえなのかな?

 

あなたの中の“あたりまえ”を相手に何度も伝えていて、理解してくれないなら、それは「話をちゃんと聞いてない」から怒るべきこと。「自分が“あたりまえ”と思っていることに従わない」ことを怒るのはお門違い。いいなりにしたいのと変わらない。

 

自分も「わからない」し、相手も「わからない」。「わからない」んだから理解し合うためには、「あたりまえ」を取っ払って、自分のことを言おう、相手を受け入れようと思わないと。

 

お互いの「わかる」を増やしていく

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お互いの考えを言っていけば、徐々に当事者同士で「わかる」ことが増えてくる。そうすれば、今までの「わからない」は解消される。

 

でも、関係性が深まっても「わからない」ことはまだまだたくさんある。それはそのたびに「わからない」を伝え合って「わかる」までコミュニケーションを取れば良い。仕事でもプライベートでも、人間関係ってそういうものなんじゃないのかな。

 

と、自分にも言い聞かせながら

私も、いろんなことで自分で「あたりまえ」と思っていることがあります。それが通らないと腹が立ったり、悲しくなったりします。でも、逆に相手からの「あたりまえ」を理解できないときもあるんです。仕事でもプライベートでも。そのときには「そっちの事情を常識として押しつけるなー!」なんて思うわけですね。

 

そのとき、自分だって同じじゃないかと思い返すわけです。あたりまえ同士がぶつかり合ったら戦争しかないですよ。先ほども書きましたが。だから、素直に「わからない」と言って、お互いの「わかる」を増やしていくようにしないと。

 

そっちの「あたりまえ」は、こっちの「あたりまえ」じゃないぞ

 

自分への戒めというか、こう考えた方がラクだな~と思うことでした。以上。

 

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