中卒フリーライターほぼ無職。

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「被害者だって想像すれば被害に遭うことがわかるから落ち度はある」と言う人へ

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世間で刑事事件が取り上げられて、必ず出てくるのが

 

「被害者にも落ち度があるよね」

 

と言う人。被害者側を叩く人。ただ、叩いているという意識はないのかもしれない。より詳しく書けば、こんな言い方をする人がいる。

 

「加害者が悪いのは大前提として、被害者だってちょっと想像すれば被害に遭うことがわかるし、防ぎようもあったんだから、落ち度はあるよね」

 

この発言に対して、言葉を選ばず感想を述べるなら胸くそ悪い。

 

この発言の意図は何なのだろう。被害者に対して「あなたにも落ち度があったことを忘れないでね」と教えてあげるためだろうか。

 

そう考えている人に聞きたい。被害者が被害を受けた後に「自分がこうしなければ被害に遭わなかった」と自分を責めて、後悔しているだろうと思わないのかということ。被害に遭わなければ、こうしなければと被害者を一番責めているのは被害者本人だと思う。だって、被害に遭わなかった自分に戻りたいって思うでしょう。

 

落ち度があるとするなら当然自覚し、それを後悔してやまないはず。そんな人に「落ち度を教えてあげる」必要などない。そんなのそれこそちょっと想像すればわかる。想像力が欠如しているのはどちらかと思う。

 

いや違う、「被害を受けないための問題提起だ」と言う人もいるかもしれない。たしかに防犯意識という問題提起かもしれない。ならば別の言い方をすれば良い。「どうしたら私たちは犯罪を防げるのか」「どうしたら自分で身を守れるのか」。自分で考えて、その意見を述べれば良い。

 

すでに被害に遭った人に対して、「こうすれば被害に遭わないのに、それをしなかったから落ち度はある」と指摘したところで、被害に遭ったことは変わらないしむち打つ行為にしかならない。問題を考えているぶっているだけの自己満足に過ぎない。

 

それも違う、「思ったことを言っただけ」なんて言う人もいるかもしれない。個人的には心の中でどんなことを思っても良いと思う。どんな卑劣なことを思ったとしても、その心の中の動きを咎めることは誰にもできない。

 

ただ、実際に口にすれば、その影響がプラスにもマイナスにも働くことは忘れてはいけない。発言するとはそういうことだ。ましてただしゃべるだけではなくて、SNSやブログへの投稿は一生残る。発言は撤回できない。一度言ったことは変えられない。

 

その上で「被害者に落ち度がある」と言うならば、傷ついている被害者をそれ以上に傷つけても構わないから自分の意見を述べたいということだ。人を傷つけることを厭わない人間は、むしろ加害者側の立場ではないのか。被害者を公正に論じるどころか、加害者意識のある自分を守るために被害者の立場を貶めようとしているように思える。

 

「被害者に落ち度がある」発言にいろいろ理由をつけても、結局心根はこうなのではないか。自分の中に「被害者だって悪い部分があった」という考えがあり、その意見は世間から非難を受けることはわかる。それでも発言・発信することによって共感してくれる人を得て、「やっぱり私の考えは間違ってなかった」と安心したいだけ。

 

ただ、そう言っていた人が犯罪の被害に遭うこともある。本当に自分に落ち度がないのに被害者になってしまったとしても、自分がしていたのと同じように「被害者にも落ち度がある」と言う人がたくさん現れるだろう。

 

だから私は言いたい。被害者に落ち度はない。加害者が悪い。自分を責める必要はない。被害者であるあなたはもう十分に傷ついたのだから、これ以上自分を傷つける必要はないと。

 

もちろん、全てのことに当てはまる意見ではないかもしれません。思考停止して主張することではありません。でも、そう声をかけられる人でありたいと思うのです。発言することの意味を重く捉えよという自分への戒めも込めて。

 

 

aoikara

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