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伊坂幸太郎「マリアビートル」を大嫌いな人へ贈りたい

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本はやっぱり紙が良い、aoikaraです。漫画はタブレットでも読めるんですけどね。なぜだか小説は紙が好きです。なぜでしょう。というか、前もこんなことを書いた気がする…。

 

今日のテーマはこちらです。

 

今週のお題「プレゼントしたい本」

 

前回の記事の続きですね。ざっくり書くと、プレゼントをするのが苦手な私。そして本を紹介するのも苦手な私。おそらく大切な人に贈るから粗相をしたくないという見栄があるからだ。

 

それなら嫌いな人へ贈る本を考えてみよう!

 

と考えた結果、伊坂幸太郎さん作の「マリアビートル」が思い浮かんだというわけです。

 

大嫌いな人とは、過去にいるいくつかの人たち

誤解をされないように言い訳をしておきますが、今現在私の身の回りに憎むべき人はいません。実情でもこのライターという仕事をさせてもらっている環境でも、本当に良い人ばかりで「私は運が良いな~」「こんな良い人たちばかりで良いのだろうか」と思ってしまっているくらいです。

 

大嫌いな人、というのは昔出会った人たちのことです。学校に行かない私に対しておまえは頭がおかしいと言ってきた人、理由もなく私を無視して存在しないもののように扱うのに周りには笑顔を絶やさない人、自分の間違いを認めず私を責め立てた人。

 

よく考えればたいしたことがなくても、そのときの私はその人たちに囚われていました。今は完全に“思い出”の人たちですが、それでも二度と会いたくはないです。でも、そんな人にこそ読んでもらいたいなと思ったのが「マリアビートル」です。

 

伊坂幸太郎さんも「マリアビートル」も、もちろん大好き

 

さらに誤解されないように、取り繕うつもりもなく、私は伊坂幸太郎さんの作品が好きです。「マリアビートル」もその一つです。伊坂さんの作品は登場人物が多く、別の場所で別のできごとがあって、それがつながっていたりいなかったり、という感じ。

 

だから、何度読んでも新鮮でドキドキしながら読んでしまう。書いていても「これまた読み直したいな」なんて本がざっくざっくと出てきます。

 

では、なぜ「マリアビートル」を大嫌いな人へ贈りたいのか。

 

「マリアビートル」とはこんな話

幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの元殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利き二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する――。

amazonの商品ページより引用

 

元殺し屋「木村」の息子を傷つけたのは、天使のような悪魔の笑顔を持つ「王子」。この「王子」がろくでもない。自分の目の前で人が死んでしまった現場に遭遇し、自分には人を殺す権利がある。バレなければ良いのだ、なんて考えている。

 

そして、誰でも意のままに操ることを楽しんでいました。しかし、それを邪魔したのが「木村」だったのです。自分のことは絶対なのだと思う王子は木村の息子を傷つけ、その復讐のために王子のもとへ向かった木村だったのですが、逆に王子の罠にはまってしまいます。

 

「どうして人を殺したらいけないんですか?」


この王子はさまざまな人に問いかけます。

 

「どうして人を殺したらいけないんですか?」

 

と。無垢な子供のように。純粋に疑問を持つ幼い子供のように。しかし、皆同じような答えをすることにうんざりしつつも、自分以外の人間なんてそんなものだと思うための材料にしたがっているのです。

 

そこで、同じ作者の「グラスホッパー」という作品でも出てきた「鈴木」の答えが実に面白い。最初は殺人とは悲しいことだと、切ないことだと、説きます。「ありきたりな答えだな」と言葉に出さずとも心で思うつまらなそうな王子に対して、鈴木はあくまでこれは個人の考えだと告げます。そしてこんなことを問いかけます。

 

「僕がここで君に小便をかけたら、どうする?」

「僕が君のその服を全部脱がせて、裸にしたらどうする?」

 

世の中にはさまざまな禁止事項があるのに、王子のような子供は「どうして殺人はいけないのか?」ということだけを聞いてくる。本当に知りたいなら、ほかの禁止事項についても聞くはずだと。だから、そんな質問をするのは大人を困らせたいからに過ぎない。

 

さらに鈴木は続けます。

 

「殺人を許したら、国家が困るんだよ」

 

殺人が許されている世の中で経済は動かない。それでは国が困る。国が命を守るふりして、国が困らないために法律で殺人を禁じているに過ぎないと。倫理的な理由がなければ、法律で決められているから以外の答えはないと。

 

実際に読めば、もっとわかりやすく書いてあります。私はこの論理にものすごく納得しました。私は幼い頃に「どうして人を殺してはいけないの?」なんて思いませんでした。だってそれはダメなことだから、としか考えていなかったからです。

 

しかし、殺人を問わず嫌なことをする人というのは「どうしてそれをしてはいけないの?」「答えられないくせに」と思っている節があるでしょう。

 

しかし、それはその人自身が崇高に考えていることではなく、誰もが考えたことのある通ってきた道に過ぎない。それを得意げに語っている王子はひどく哀れだと感じました。

 

王子の思い通りになんてならない

その答えを聞いても王子は苛立つだけ。それでもまだ自分の思い通りになるだろうと考えています。しかし、それもすぐに打ち砕かれてしまうのです。自分が予想だにしないことが起こり、何がどうなっているのかさえわからない。

 

全て意のままに操っていると思ってきた王子は、大勢いる人達の一人にすぎないと。思い知らされているかはわかりませんが、読んでいる側としては十分にそれが伝わってくるのです。

 

勧善懲悪がやっぱり好き

全ての人とは言わないけれど、嫌な人というのは王子と似た部分がある気がします。それが崩壊していくのが「ほら見たことか」と思ってしまうのです。大嫌いな人が負かされる姿を想像してスカッとするのは性格が悪いのかもしれませんね。

 

要するに嫌な奴がアイデンティティーを失って、ぼこぼこにされるのにスッキリするという話。水戸黄門みたいなものだ(一緒にするのは乱暴ですが)。勧善懲悪なんですよ。

 

嫌なやつに対して「自分がすごいと思ってても、たいしたことないんだからね」って言いたいのかもしれません。

 

好きな人たちにも勧めたい

この本ではほかにも別の事件が起きます。そこに出てくるキャラクターたちも魅力的で、作品としてとても面白いです。だから、実は私の大好きな人たちにも勧めたい本です。

 

私の大嫌いな人にプレゼントしたところで、なんとも思わないかもしれないでしょう。でも、なんとなく私はそれで十分な気もしてしまうし、なんだったら読むだけで晴れやかな気持ちになれるのです。

 

なので嫌なやつに出会って悩んでいる人へ、この本を読んで「嫌なやつってたいしたことないんだな」と思ってもらえたら幸いです。あれ、プレゼントする人が最終的に変わってしまいましたとさ。

 

※小説からいくつか引用させていただきました。

 

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