豆腐メンタルどころかドミノなみにメンタルがデリケートなaoikaraです。
たとえがわかりづらくて失礼いたしました。
今日のテーマは
炎上
です。
先日、キュレーションサイトのMERYが炎上しました。
お店などで食事を取り分けるルールについて解説した記事なのですが
女の子なら出来ないと本当に恥ずかしいから。
女の子ならやらなきゃいけないことだから
と書いてしまっていることから
「女だから取り分けなきゃいけないの?男尊女卑じゃない?」
「こういうのは同性から一番嫌われるタイプ」
「食事くらい自分でとれ」
と大炎上してしまった、という話です。
取り分け問題、個人的には「どっちでも良いのでは?」
まず取り分け問題ですが、私はどっちでもいい派です。
どちらかというと取り分けなんかしなくても良いし、女がするべきと思っている男性がいるなら「自分でやれよ」と思います。
その方が自分が欲しいもの食べられるし、効率的じゃないですか。
ただ、やりたいと思っている女性がいるなら否定しません。
それはもうモテテクとして通用しないとは思いますけれどね。
でも、ただ取り分けたい人っていますよね。
なんか、やたら取り分けるのが上手な人。
そういう人にはむしろ「おまかせします~」って感じです。
でも、敵対視はしません。
「あいつ、とりわけなんかしやがって!」とはならないです。
だからどっちでもいい、なんです。
内容は別に悪くない。むしろ役に立つ
この記事を実際に読んでみましたが、キレイに取り分けられる人はこういうテクを使っているのか~と為になりました。
こちらですね。
目上の人に気を配ったり、嫌いな物がないか確認したり、串料理のときの配慮とか、こういうのがスマートにできる人ってたぶん気配り上手。
モテるとか、頑張ってる私を見て!じゃなくて、自然とできる人って、たぶん普通にステキな人だと思います。
ほかにもスプーンとフォークってこんな風に使えるのか~とか面白いです。
私としては炎上騒動を知った後に見たので、そこまで気にはなりませんでした。
「女だからやらなきゃ!」とは思わずに「今度友達と食事するときやってみよ~」ってくらいに。
個人的には、ですけれど。
それも正しい。あれも正しい。人や価値観によって違うだけ
MERYのなかにも全く対照的な記事があるんですよね。
これ。
同じ媒体でも全く反対の内容の記事があるんです。
私はことわざみたいなものだと考えています。
昔、そんな話が聞いたことがあって。
たとえば…
- 二度あることは三度ある
- 三度目の正直
という二つのことわざ。
この二つのことわざは反対の意味ですよね。
では、どちらかが間違いなのかというとそうではない。
ことわざという大きな世界にこの反対の2つがあることで、体をなしていると。
つまり、何においてそうなのか、立場や状況によって物事の意味あいは変わりますよね。
時と場合によって、どちらとも真実なのだということです。
それと同じで、世の中には尽くすことが好きな女性がいます。
そういう人は取り分けることを好めば良いでしょう。
ただ取り分けるのが好きなだけの人も、そうすれば良いのです。
「それは時代遅れ」と言う人は、そうしなければ良いだけ。
人によって価値観が違うわけですから、正しさなんて異なるわけです。
どちらもそれぞれの真実なのだと思います。
最大の問題は“女の子なら”と断言してしまっていること
私はこの記事の内容は間違っていないと思います。
ただし「女の子なら」というのは違うのかなと。
たとえばこれを「女性だからやらないと!」ではなくて「できたら好感度が上がる!」というテイストだったら、炎上はしなかったと思うんですよね。
引きはたぶん弱いと思いますが。
取り分ける派、取り分けない派がいて、そのどちらもいていい。
その上で取り分ける派をクローズアップした記事、なら良いのです。
ただ「女の子なら出来ないと恥ずかしい」は取り分けない派を否定しちゃっていますよね。
相手を否定して自分を肯定するって、わかりやすいテクニックですがよっぽど上手に使いこなさないと誰かを傷つけてしまうのだと思います。
私も否定して肯定、やっている気がします。反省ですね。
MERYのターゲット層はおそらく10~20代前半くらいだと思います。
書き手はその世代がついクリックしたくなるようなタイトルをつけたいでしょう。
「女の子なら出来ないと本当に恥ずかしいから。」
なんてあったら「ちょっと気になる!」と思わずクリックしてしまう人もいるでしょう。
実際に炎上するほど見られたというわけですしね。
書き手と読み手はどうしたらいいの?
書き手としては勘違いされたり、誰かを否定して肯定する、傷つける文章は避けるべきなのでしょう。
ただ、受け手としても一歩引いて見るくらいになった方がよいかもしれません。
全女性に発信してるんじゃなくて、その媒体のターゲットを狙ったものだと前置きした上で見る、というような。
しかし、インターネットという全世界に公開される場では、その全体がターゲットでもありますよね。
そうであれば、やはり書き手が誤解されない文を書く必要があるのでしょう。
いろんな方向に配慮しながら記事を書く、うーん…難しい。
ライターとしては炎上したくないよ!怖いよ!
ちょっと前、どんどん叩いてください!なんて記事を書きました。
▼関連記事
でもなーうーん。
私が自分の記事でこんな炎上したら落ち込みますね!
だって炎上してないのに胃が痛むんだもの。キリキリキリ…
私も好き勝手なことを書いています。
でも、私はテクニシャンでもなければ恋愛マスターでもなくて、ファッショニスタでもありません。
調べてみて「こういう提案」「こういう考え方」もある、と興味を持っていただけるように伝える仕事をしていると思っています。
それを全否定されたら…つらいなぁ。
つらい。
まあ、言い訳です。
書くというのはそれだけ責任が大きいのです。
もっとそういう意識を持たないとってことですね。
結論:炎上したら考える
この炎上騒動を見て、自分も炎上したらどうしようとか考えてました。
でも、そもそも炎上するだけの発信力がありません。
炎上したとしてもたぶんその対応に失敗します。
その失敗を踏まえて反省点を生かすことになるでしょう。
だから、そのときにまた考えます。
書き方を考える良いキッカケになりました。
今後も頑張ります。
炎上したときはこれで学ぼう…。
良かったらポチッとください。
励みになります。
aoikara