中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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“やさしさ”の理想と現実

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今回の記事は、sora(ソアー)の「#やさしさってなんだろう」キャンペーンに参加しています。

 

soar-world.com

 

けっこう以前に告知されたキャンペーンなので、まだ続いているのかは不明ですが、書きたいなぁと思ったので。今年最後に書かせてください。テーマは、

 

やさしさ

 

です。

 

一人で考える“やさしさ”

私が思う「やさしさ」ですが、

 

自分と相手を思いやり、寄り添うこと

 

と考えています。

 

自分だけではなく相手も

相手だけではなく自分も

 

というのが私の“やさしさ”のキーポイント。

 

どういうことかというと、自分にばかりやさしい人は、自分ばかり優先して、誰かが傷ついていることに気づかないこともあります。

 

逆に相手にばかりやさしい人は、自分を犠牲にして、自分の苦しみを置いてけぼりにして心が重たくなってしまうこともあります。

 

だから、自分にも思いやり、寄り添う。相手にも思いやり、寄り添う。

 

自分を認めることは、他者を否定することではないし。他者を認めることは、自分を否定することでもない。

 

どちらかを優先しなくたっていい。一緒に生きていく方法を考えればいい。

 

だから、やさしさの終着点は「共存」なのだと思います。違う人と違う人だから、あたりまえにぶつかることの方が多いです。それで自分が我慢をして相手を優先させたり、相手に我慢させて自分を優先させるのではなく、お互いに共存する方法を考える。

 

互いにやさしさを持っていれば、つまりは、互いに思いやり寄り添えば、全く違う人間だって共存はできると信じています。

 

私は「やさしい人が好きだな」と漠然と思っていましたが、それは「私がこの世界に住んでもいいよ」って思ってくれてるような人だからなのかもしれません。「一緒に住んでいいよ」と。

 

簡単にうまくはいきませんが、そんな「やさしい世界」があるといいな。大きな世界を一つにするのは難しいけれど、友人や恋人、家族というような、小さな世界で「やさしい世界」があれば、逆境の多い広い社会でも生きていけるのかもしれません。

 

二人で考える“やさしさ”

私が一人で「やさしさってなんだろう」と考えてから少し経ち、恋人とケンカをすることがありました。きっかけは覚えていないほどに、とてもささいなことで。

 

私は相手が傷つくかもしれないと思った言葉を飲み込み、そのせいでさらにややこしくなりました。私は、私の“やさしさ”として、相手を傷つけたくないからこそ、口から出そうになった言葉を、あえて言いませんでした。

 

しかし、彼は「言われなくても思っていたという時点で、そちらとしては言ったことと気持ちの上では同じ。もし言ってこちらが“それはない”となったら、それまでのこと。二人で関係を築いていこうとしているなら、お互いのことは言おう。言わないのはやさしさじゃない」というようなことを言いました。

 

私は、私なりのやさしさを否定された気がして、とても悲しくなりました。やさしくしようと思ってやったことが、結果的に彼が望まなかったとしたら、それは私の落ち度です。しかし、私がやさしさを持って接したこと自体は受け止めてほしい、と思ったのです。

 

でも、逆の立場になって考えてみて、彼の気持ちに気づきました。彼が思ったけど言わなかったことがあったとしたら、もどかしい気持ちがするのはたしか。彼の中でもやもやとしたままで、その状態で関係を続けても、途中でもやもやが不満になってこぼれてしまうかもしれません。そのときに初めて「ずっともやもやさせていたのか」と気づき、いたたまれない気持ちになるだろうと。

 

そして、私は「相手を傷つけないためのやさしさ」と言ったけれど、本当は自分が傷つきたくなかったし、これで関係が終わりになるなんて嫌でした。彼にやさしくあろうとしたのは本当だけれど、相手へのやさしさより、自分を優先したやさしさだったかもと思ったりもしました。

 

もっと前から「お互いに言いたいことは言い合おう」と決めていたことを、破ったのは私の方。それに、自分が傷つかないために、やさしくしようとしてやさしくなかった。そう受け止めて、ちゃんと話し合って、仲直りしました。今はもやもやはありません。

 

やさしさの理想と現実

「やさしさってなんだろう」と考えていたはずの私なのに、恋人とのケンカのように、人にやさしくなれないことばかり。いつだってやさしくありたいとは思っています。そのベクトルが違っていたり、本当にやさしくなれないときもあったり。

 

やさしさというのはたった一人のときに生まれることはなくて、対ひとだったり、対ものだったり、関係の中で生まれるもの。

 

一人で考える「やさしさ」は、頭の中で考える、いわば理想。それが対ひと、対ものになり、関係の中でうまれるのが、現実。私は理想を思い描きながら、現実の中での「やさしさ」に挟まれていたのかな。

 

でもね、だからって理想が悪いってわけじゃない。何事にも理想がないと、やっていけない。理想のために努力する。だから、現実と向き合って、やり方や見方を変えたりして、理想に近づけていこうとする。

 

きっと、それぞれが考える「やさしさ」の理想は千差万別。全く違うものでしょう。それは、一人一人の現実が全く違うから。この社会に多様性があるように、やさしさにも多様性がある。だから、きっと何が正解というのはない。

 

この社会の多様性と向き合っていく方法を考えるのと同じように、やさしさの多様性も考えていく必要があるのだと、私は思います。

 

たとえ100人いて100人全て違う「やさしさ」を思っていたとしても、「やさしさ」という共通の価値観によって結ばれている。それはとてもやさしい社会ではないでしょうか。

 

だから理想を持って、現実と向き合って、とことん考え抜くことが大事。だからこそ、やさしさとは、「やさしさってなんだろう」と考えることから始まるのではないでしょうか。

 

 

aoikara

 

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