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寿司と天ぷら ふたりの神様 最後の約束|職人というより神の対話を見たような心境

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今日は前置きは割愛。

 

2017年に5月14日(日)に放送されたNHKスペシャルを拝見しました。タイトルは『和食 ふたりの神様 ー最後の約束ー』。なんだかね、見終わった後の感想としては「すごいものを見てしまった」という気分なんです。

 

 

番組の概要・あらすじ

寿司の神様と言われていて、御年91歳という年齢で今でもカウンターに立ち、『すきやばし次郎』で寿司を握る職人・小野二郎さん。ミシュラン史上最高齢の三つ星シェフであり、2014年に当時のアメリカ大統領のオバマ氏が、安倍首相との会食に訪れたことでも有名です。

 

かたや天ぷらの神様と言われていて、早乙女哲哉さんは70歳。『みかわ 是山居』で食材のおいしさを最大限に引き出し、計算し尽くされた天ぷらを揚げる。

 

この二人、実は30年来の仲で、互いの店を行き来している。そんな二人の関係を追ったドキュメンタリーです。

 

見たキッカケ

まず、二郎さんは『二郎は鮨の夢を見る』という海外の映画で知りました。そのときから気になっていた方。早乙女さんは、プロフェッショナルの特別番組で知りました。10代が弟子入りするという内容で、和食料理人を目指す女の子が訪れたのが早乙女さんの店でした。

 

「なんとなく知っている方」というのが、番組を見た理由の一つ。

 

もう一つは、職人の仕事ぶりを見たいという思いがあったから。私は過去にとある職人を目指していたことがありました。しかし、到底私がやれるようなことではないという思いで挫折しました。「一つのことを極める」「徹底する」。職人のそれは私には難しすぎました。

 

今でも憧れはありますが、なろうとは思いません。なれない人間なんです。なれる努力ができない人間なんでしょうね。

 

でも、やっぱり職人さんたちの仕事ぶりを見ていると胸が高鳴ります。『プロフェッショナル』とかも好きなんです。そんな傍観者として、見てみたいと思ったのです。

 

なんて格好いい職人なんだろう

まず、二人とも最高に格好いい職人なんです。所作が美しくて、見飽きない。いつまででも見ていられる。仕事ぶりにうっとりしてしまうんです。

 

二郎さんの寿司を握るのに無駄のない動き、ネタへの気遣い、シャリへの気遣い。早乙女さんの食材がおいしく揚がる瞬間を見極める息づかい、そのために裏付けされた知識の数々。見ているだけで、すごい。食べたら、実際もっとすごいのでしょう。

 

ただ、二人の性格というのは対照的なんです。二郎さんは、休みの日もいろんな店に食べに行き、何とか寿司に昇華できないかと常に寿司だけのことを考えている真面目な人。一方で早乙女さんは、ダンディーにおしゃれな服を着こなし、お姉さん方がいるお店で冗談を飛ばすチャーミングな男性。お二人とも、素までも素敵な職人なんです。

 

なんて素敵な関係性なんだろう

そんな対照的な二人ですが、唯一無二と互いに認め合うライバルであり友達。30年前に二郎さんが早乙女さんの店に天ぷらを食べに来て感銘を受けたことがキッカケで、早乙女さんも二郎さんの店に来てそのおいしさと日々進化していることに驚いて以来、お互いの店を行き来しているそうです。

 

早乙女さんは週1ペースで、二郎さんは季節の変わり目に、お互いの店で食べ合っているのだとか。

 

お互いの寿司と天ぷらを食べる間、二人は何の言葉も交わしません。ただ、できあがった最高の瞬間を逃すまいと、さっと口に入れて食べるだけ。互いに作業が見える席で、じっと見つめて、どんな様子かわかるほどに。何も言わないけど、食べて理解し合う。黙って食べて、黙って帰り、自分の店でまた自分の食と向き合う。

 

早乙女さん曰く「寿司を食べに行ってるわけじゃない。おやじさん(二郎さん)の生き様を食べに行ってる。1つの寿司に100も200も込めてやるという思いを見に行く」だそうで、見ているだけでそのすごまじさを感じました。

 

お互いに「100までやろう」と約束しているそうです。お互いがいることでお互いを高め合う、91歳と70歳という年齢になっても、まだなお思う。その関係性が本当に素敵だな、格好いいなと思いました。

 

いつまでも「高めたい」というその意欲

老いにあらがえないジレンマ

ただ物語のなかで、二人の関係性をゆるがす事態が起きてしまいます。二郎さんの病気。狭心症になり、昼間の営業を休まなければならなくなったのです。二郎さん自身も、手が乾燥してご飯粒がくっついたり、所作がうまくいかなかったり、老いをひしひしと感じていました。

 

昼間休んでいても二郎さんは退屈で、仕事をしたいと思う。でも、仕事をすれば体が限界を超えてしまう。その、ジレンマ。仕事中は絶対に座らないと決めていて、椅子があっても座らなかった二郎さんですが、座ってしまった。その老いにあらがえない姿が、本当に切なかったです。

 

「高めたい」という意欲を常に持っていて、頭がしっかりしているだけに、あらがえない老いという現実が、本当に切ない。

 

それでも「まだ高められる」ために努力する

でも、二郎さんは発想を変えます。「ご飯粒が手に着くなら何度でも手を濡らせば良い」「所作がままならないなら、今までより手数を増やせば良い」と。

 

現状維持でも難しい状態で、「今以上」を目指すために、それ以上の努力をする。これってものすごいことだと思うんですよ。

 

その努力は常人にはできない

努力にはいろんな段階があると、個人的に考えています。何かうまくなりたい、上手になりたい、そう思って始めることは何でも努力しますよね。二郎さんのように寿司という料理であったり、スポーツだったり、勉強だったり。

 

最初は努力した分だけ成果が出て、楽しい。でも、いつもやっていたような努力だけではなかなか成果が出ない時期が訪れます。ここで挫折してしまう人がいる。これが第一段階。普通の人はここ止まり。私もここの人間です。

 

努力をしても成果がでないときに、別の方法を考える人もいます。アプローチを変えて、いろんな努力をする。そして、また成果を出す。何かにぶち当たったときに、またいろんな努力をして成果を出そうとする。これがある意味のプロフェッショナル。

 

そして、あらがえないこと、つまりは体や伸びしろの限界がやってきたときに、ついに終止符を打つのが第二段階。スポーツ選手が体の衰えで引退する、などはこの段階。

 

どんなに努力をする人でも、現状維持をしようとしても難しい状態になることがあります。それだけでなく、周りはどんどん先を行く。追いつくどころか後退してしまう。そこで「終わり」にするのは、むしろ自然なことです。

 

でも、二郎さんはその上を目指そうとするんです。体が老いても、今までの経験値からそれをカバーする努力を導き出して、実践する。そして、今以上にもっと高めようとする。

 

現状維持をするのさえやっとなのに、それ以上を目指して絶対に実現させるんです。その努力は今までの比じゃないくらい大変なことのはず。その努力の仕方がわかり、そして努力できるということが、もう常人では考えられないことなんです。

 

ライバルを失いたくないという思い

先を行くからこその切なさ

二郎さんが病気になって店を休みがちになったことを、早乙女さんも知っていました。それでも、二郎さんの店に通っていました。いつも通うのは昼の営業終わり間近。昼間に二郎さんがいなくなってからも、ずーっとルーティーンとしてそれを変えずに通っていました。会えなくて寂しいけど、それが決めたことだからと。

 

二郎さんが病気になって「俺は130までやるから、おやじさん(二郎さん)も100までやりなよ」と声をかけたそうです。チャーミングな早乙女さんらしい言葉。でも、それは本当に早乙女さんが願っていることなのでしょう。

 

二郎さんは早乙女さんより20歳も年上。いつでも一歩先を行き、「いつか追いつきたい」と思っている人が、先にいってしまうだろうことを、早乙女さんが誰よりもわかっていました。もしそうなってしまったら「永遠に追いつけない」と早乙女さんは言います。

 

「だから踏みとどまっていてほしい」と話した後、早乙女さんは目からこぼれるものを押さえられませんでした。それでもカメラに顔は向けまいと、涙をぬぐい、顔を見せぬまま去って行きました。

 

あのあらがえない切なさは、見ていても胸が苦しくなりました。とても、とても切ない。

 

早乙女さんの粋な心使い

そんな早乙女さんは、二郎さんに手紙を書くことにしました。「30年お互いに切磋琢磨してきた。次の100歳に向けて、一度二人でお茶しませんか」そんな手紙。

 

早乙女さんが二郎さんを案内したのは、とある江戸時代の画家の作品が見られる場所。80歳を超えてもなお、描き続けていた画家だそうで、羽をカマキリにむしり取られても、懸命に羽ばたこうとする蝶の絵を、早乙女さんが二郎さんに解説していました。

 

その後には「仕事をして死ねたら本望」という二郎さんに対し、「おやじさんはスノコの上だから良いけど、俺は油だから熱くて嫌だよ」「おやじさんを追い抜くためには、衣を顔に付けて、その後油に倒れるくらいしないとダメだ」なんて楽しく会話。

 

見ていて笑顔になってしまうような、いつもは黙っている二人が雄弁な姿。とても、早乙女さんの人柄が出ている、粋な“お茶会”でした。この心使いも、二郎さんが考え方を変えるキッカケになったひとつなのではないかなkと感じました。

 

二郎さんの寿司を食べて、本当にうれしそう

春、いつもの通り早乙女さんが寿司を食べに行くと、そこには昼営業なのに二郎さんの姿が。意外なことで早乙女さんもうれしい声を上げて、笑顔になって話しかけてしまうほど。

 

でも、二郎さんが寿司を握りだしたら、またいつもの境地へ。ただ黙って、握っては食べ、握っては食べの世界にすぅっと変わっていくんです。

 

でも、食事を終えた後の早乙女さんは本当にうれしそうな笑顔でした。「変わらないね!あの調子なら100までいけるね」なんて大きな口をあけて笑って。それを人づてに聞いた二郎さんも「あの人はそういうことを言う」なんて笑いながら「お互いに高め合っていける」と、うれしそうでした。

 

もはや現実とは思えない神の領域

顔を合わせば話が尽きないほどに楽しく会話できる二人なのに、職人として食に向き合ったときは、食でしか対話しない。そして、それをお互いが理解し合っている。この関係性って、この二人以外ではありえないんですよね。寿司の神様と、天ぷらの神様の二人だから。

 

その姿はもはや神の領域で、見ている側としてはなんだか現実感がないんです。映画とか小説とかのフィクションではなく現実なのに、なんだかそれ以上のものを見せられているような。神の対話を見ているような、そんな気持ちになりました。

 

二人しか理解し合えない世界をそうではない人間が見た感想、なんでしょうねこれは。人として仕事をする職人、なんですけど、あのお二方がやっていることは本当に神様のような領域。そんな風に感じました。

 

くだらない私の目標

私はとてもくだらない人間で、職人の「し」の字も語ってはいけないような人間です。そんな私ですが、何か目標を立てたいと思いました。その目標を叶えたら、二郎さんの寿司と、早乙女さんの天ぷらを食べに行きたいと、そういう目標ができました。

 

二人の店で食べられるような収入を得られたら、とかそういうんじゃなくて、生き方に胸を張れるようになったら、かな。そういう目標を探したいですし、その目標に到達して「さあ食べに行こう」と言う日まで、お二人には長生きしていただきたいです。

 

 

 

 

 

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