中卒フリーライターほぼ無職。

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ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」感想 名シーンというなら全ての瞬間のこと

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名作といわれているものをきちんと見ておきたいと思うようになった、aoikaraです。この作品もその一つ。

 

今さらですが、今回のテーマは…

 

ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」感想

 

です。

 

 

ドラマの概要

片山恭一の大ベストセラー小説をドラマ化。2004年公開の映画もヒットし“セカチュー”ブームを巻き起こした「世界の中心で、愛をさけぶ」。最愛の恋人を亡くして以来17年間心を閉ざし続けた主人公・朔太郎が、彼女の思い出と向き合い、未来へ踏み出すまでを描く。ドラマでは原作を基に、オリジナルストーリーで贈る。


主人公・松本朔太郎(=サク)の高校時代を山田孝之、17年後の朔太郎を緒形直人が演じ、現在と過去が交錯しながらストーリーは展開する。ヒロイン・廣瀬亜紀役には人気女優の綾瀬はるか。このほか、三浦友和、桜井幸子、手塚理美、松下由樹、仲代達矢ら豪華俳優が脇を固める。

 引用元:世界の中心で、愛をさけぶ|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル]

 

 

きっかけ

「名作」と呼ばれていて、名前を聞いたことがあって、なんとなく概要は知っていても、見たことがないドラマや映画がたくさんある。

 

私はミーハーだから「話題だから」「みんなが見たから」で惹かれることもよくあるし、見ることもあるけど、同時にあまのじゃくなので「自分が見たいときに見るから」と意地になって見ないこともある。

 

でも、そんなことをして一生見なくなってしまうかもしれない、だから一つ一つちゃんと見てみようと思い始めていたのが最近のこと。

 

そして、命について考えたいと思ったのも最近のこと。

 

そんなときに目にしたのが『世界の中心で、愛をさけぶ』で、今すごく「見たい」と思った。

 

 

「セカチュー」ブームは、子供の頃の記憶としておぼろげに覚えている。原作の小説が発行されてから20年近く経った今までの間に、何度となく作品の名前を聞いた。ドラマ化や映画化もされていて、綾瀬はるかさんに山田孝之さん、長澤まさみさんに森山未來さんと、今でも名だたる俳優さんたちが演じていたことも、知っている。

 

あの名シーン、空港で「助けてください」と主人公のサクが叫ぶ場面なども、目にしたことが何度かある。当時はみんな見ている、みんなが夢中になった、そんな作品の一つ。

 

でも、私はその“みんな”じゃなかった。今の今になるまで、私は見たことがなかった。理由は先に書いたように、私があまのじゃくだったからだと思う。気になっていたけれど、でも見たいと強く思わなくて、思っていたのかもしれないけど意図的に無視して、「私のタイミングで」が“今”になった。

 

綾瀬はるかさんと山田孝之さんの組み合わせは、実はとても好きで、ドラマ『白夜行』はおそらく3回か、4回ほど見た。あのドラマは本当に好き。

 

俳優ではなく人物としての二人は、明るくて天然な綾瀬はるかさんと、正体不明で素がわからない山田孝之さんと私は勝手に捉えている。でも、『白夜行』では、どちらの素も忘れてしまうほど、演じる人として「すごい」と思う作品だった。

 

その二人の始まりが「世界の中心で、愛をさけぶ」のドラマで、自分が知っている『白夜行』の二人だけで十分だと意地になっていたのかな。でも、見たい。今、見たかった。

 

まぶしすぎる青春に胸がヒリヒリする

第1話と第2話は、途中何度も止めながら見た。時間の都合ではなくて、私の胸が何度も詰まって、そのたびに一時停止した。主人公の高校時代が描かれているのだけど、いろいろとまぶしすぎて、私は勝手につらくなってしまった。私は高校を中退している。ドラマに出てくる“高校時代の青春”、こういうの全部したことない。

 

全部、は言いすぎかな。ちょっとはしてる。ちょっとは青春ってのがあった。でも、このドラマの青春が100だとしたら、私の青春は2くらいかな。高校に限定したら。もう少し前まで遡れるなら、40くらいにはしたい。

 

好きな人とカセットテープで交換日記のようなことをするとか、自分が好きな子を友達も好きとか、友達の恋を応援しながら自分の気持ちには嘘をつけないとか、なかったな。時代が違うとかじゃない。これって普遍的なことだ。普遍的なことが、私にはなくてヒリヒリする。

 

こんなのなくて、したことなくて、誰かにとっては「いいな、こんな青春してみたいな」とか、「ああ、昔こんなことがあったよね」とか、淡い気持ちで見られるシーンを、「もう一生、こんなことはないんだな」「できなかったんだな」と気づかされなきゃいけなくて、勝手にちょっとつらくなった。

 

この作品って、失う重さを思い知らせてくれて、当たり前の日常がとてつもなく幸せなことを伝えてくれる。日常がとても素晴らしく、輝いているように描いている。それは、こちらも見ていて清々しい。

 

でも、たとえば高校時代の青春とかだけでなくて、好きな人がいるとか、両思いになるとか、大切な友達がいるとか、いいことだけでなくて悪いことにも本気になれる友達がいるとか、理解のある先生がいるとか、自分のことを本気で思ってくれる両親がいるとか、なんかすごく理想的で、すごく完璧に近い日常の幸せを描いているように思う。

 

この“当たり前”ってけっこうハードルが高くて、私は“高校時代の青春”に胸をヒリヒリとさせてしまったけど、それ以外の何かしらにも、自分の中にある共感が出てこなくて胸がヒリヒリしてしまう人もいるんじゃないかな、と思った。

 

だからって恨みがましく思うわけではなくて、ドラマの中だからこその美しく描かれていることに、見ている人間としては心が洗われていくような感覚がある。ヒリヒリはするけど、でもちゃんと、うるおしてくれる。

 

見ている人がどんな人でも置いてけぼりにしない。少なくとも、私はこのドラマの中にどっぷり浸かれた。いろんなことがわからない私でも。だからこれを読んで、怖がって見ないでおこうという選択肢にはならないでいてくれるとありがたいなと思う。

 

 

でも、愛おしくて

そんなヒリヒリしながら見ていて、現代の主人公が生きるのをつらそうに生きている姿もしんどくて、途中何度か見るのを挫折しようかなと思った。そんなの無理して見る必要はないけど、よくわからない使命感というか、なんだか「見なきゃ」と思って最後まで見た。

 

だんだんと登場人物たちが愛おしく見えてきたから。苦しくて、しんどくて、ざらっとしているところから、だんだんと角が取れてくるというか。明るくて、楽しくて、ひやひやしながらも嫌ではなくて、愛おしくなってきたから。

 

特に、綾瀬はるかさん演じる亜紀がかわいすぎた。最初は、やっぱり“優等生”然としているから、気の強そうな、凜とした雰囲気がある。それもそれで、魅力的だった。

 

だんだんと、綾瀬さん本人の柔らかさみたいなものが、サクと仲が深まることによって出てくるという演出意図なのか、演技プランなのか、すごく素のような部分が見えてきて、かわいかった。

 

亜紀が「あ、私、好きって一度も言われたことない!」と気づいて、期待するような目でサクをじっと見つめるのも、まあかわいかった。サクが気まずそうに距離をあけて座るんだけど、それにぴょんと近づいてくる、離れる、近づく…を何度も繰り返すのが微笑ましかった。

 

そういえばたしかに朔太郎は「好き」とそれまでに一度も言っていなかったのだけど、言わなくてもサクからは亜紀への「好き」があふれ出してるから、そんなこと気づかなかった。それってすごい。「好き」って言わなくても伝わる「好き」を演じられるって、描けるってすごい。

 

それからの後の展開で、サクが亜紀の「サクの好きなところランキング」をマネする形で、「亜紀の嫌いなところランキング」を言うところで、「それ以外は全部好き」っていう強さも良かった。キュンとした。

 

だからこそ悲しくて

みんなを好きになってきてから、愛おしく思えてきたから、終盤に向かっていく展開に今度は別のしんどさがやってくる。でも、「見届けなければ」という使命感は強くなるし、今度はもうつらくて止めようという気持ちではなくなっていた。

 

亜紀が病魔に蝕まれていって、どんどん絶望に近づいていく。身近だからこそ受け止められないのはサクだけじゃなく、亜紀の父親も、母親も。亜紀本人も。受け止めなきゃいけない、受け止めたくない、みんな我を失っている姿がすごく正直だった。

 

それでも父はたくましくて強くて、母は優しくいつだって味方で、サクは愛にあふれていて、亜紀は強く生きて。

 

若くて、まだ子供で、だからこそまっすぐて、熱くて、なんだか全てが刹那的だった。

 

死の準備なんてできないよね。現実になっても受け止められないよね。

 

そんなサクを厳しく叱る、いつもは怒ることなんてない父親の姿も良かった。初めて父親が感情的になった姿だった。

 

人それぞれ、時間は違って、考えも違って、ようやく前を向けるのかもしれない。前を向けてよかったなと心から思うラストだった。

 

私が好きなシーン

亜紀とサクのシーンはもちろん印象的、それ以外で特に印象深いシーンが2つある。

 

一つは、現代の朔太郎に高校時代の先生が伝えた言葉。

 

「全部忘れなさい!私が覚えているから」

 

これは、別のアキが「忘れるとか、忘れないとかじゃないんじゃないかな」という言葉にもつながってくる。

 

人の死は、生きている人間にとってものすごく重い。まして、大切に思っている人なら、耐えられないほど重い。だんだんと忘れたいくと感じながらも、忘れたくないと思いながらも、忘れられないからつらい。重い。

 

その重さを理解しながら、先生は重さを背負うと言ってくれる。だって忘れられない限り、つらいから。だからこそ「忘れなさい」がすごく優しく聞こえた。自分にはない考えと、強さと、優しさがなんだからもうすごい。

 

 

もう一つは、亜紀の父親。エリート思考で、娘にも厳しくて、最初はちょっと心をざらっとさせる登場人物。でも、きちんと亜紀への深い愛があって、全然嫌な人ではない。すごく立派な大人。弱い部分もある、葛藤もする、人間らしい人。それでいて頼りになる、尊敬できる父親。

 

そんな亜紀の父親なのだけど、サクのこともよく叱る。

 

「人に会ったら挨拶しなさい」

「人前では祖父と言いなさい」

 

怒鳴るようには言わないけれど(殴ってはいたけど、その理由を「やりきれない感情を君にぶつけているだけなんだ」と弱さを明かすのはなかなかできることじゃないなと思った)、諭すように言う。

 

私も昔から親によく言われてきたことで、なんとなく自分の父親や母親に言われているような、そんな気分になって。

 

それこそ今なんて、親以外の大人が他人の子供にとやかく言うなんて、そちらの方が非常識だって風潮がある。それも一理あると思う。他の家庭の子育てや教育に、どうのこうの言う資格なんて誰にもない。

 

でも、たとえば「感謝するときはありがとうと言おうね」とか、「悪いことをしてしまったらごめんなさいと謝りなさい」とか、人としての思いやりはどんな大人がどんな子供に教えてもいいんじゃないか、そうやって社会で子供を育てていくんじゃないか、とも個人的に思っている。全てを切り離してしまうと、子供が孤立してしまうんじゃないか、というこわさもあって。

 

家庭に踏み込まないラインがとても難しくて、一人の大人としては他人の子供を叱るなんて私にはまだできない。いずれ、できるかもわからない。

 

でも、大人として子供に接するというのは、わかりやすく優しくするだけではなくて、厳しくするのも優しさでもあると、亜紀の父親を見て感じた。どこか背筋が伸びるような、すっと染み渡るような諭す言葉は、なんかいいなと私は思う。

 

名シーンというなら全ての瞬間のこと

いわゆる名シーンといわれている、空港のシーンも見た。この作品だけではなくて、さまざまな作品に名シーンといわれる場面はある。涙腺が緩くなった今は、全て作品を見ているわけでもないのに、名シーンを見ただけでぐっと来るときでさえある。

 

今回も、同じように感情が揺さぶられた。でも、これだけが名シーンというのは少し違うのかなと思った。

 

全ての瞬間があって、それでいて印象的なシーンが引き立つというか。ずっと見てきたものがあって、これから見るものがあって、その全てがあるから、特に強く深く心に残るシーンがあるというか。

 

名シーンが生まれるというのは、全てが素晴らしいからこそ、よりそのシーンの素晴らしさが引き立つんじゃないかなと思う。名シーンというなら、全ての瞬間のことをいうと思う。

 

おわりに

最近、生きることや死ぬことについていろいろ考えて、答えは出なくて、何か知れるかなと思ってこのドラマを見たところもあります。このドラマを見て、純粋に感情を揺さぶられながら、それでもまだ考えていることの答えは出ません。

 

それでも、ドラマと、それだけではなく演じてくださった俳優さんたちの姿を見て、なんとなく「生きねば」という気持ちを強くしてくれるような、そんな尊い気持ちかはわからないのですが、とにかく見て良かったと思いました。

 

失ってしまうもっと前に、もっと知りたい、もっと関心を持とうと思います。たくさんのことに。私は生きます、これからも。

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