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西郷どん 第21話「別れの唄」感想 吉之助が一番自分の気持ちをわかってない?

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ちょっとした別れでも寂しくなってしまうaoikaraです。駅とか空港とか、ああいうところで人と別れるのは寂しいな。

 

というわけで今回のテーマは、つらい別れ…

 

西郷どん 第21話「別れの唄」感想

 

です。

※個人的な感想なので辛口なコメントを含みます。
※ネタバレもしていますので、まだ内容を知りたくない方はドラマを見てからどうぞ。
※ネタバレ記事はしばらくお休みします。時間ができたら追加します。

 

▼西郷どん 第20話「正助の黒い石」記事はこちら

www.aoikara-writer.com

第21話「別れの唄」あらすじ

西郷吉之助(鈴木亮平)が奄美大島に来て2年。島で結婚した愛加那(二階堂ふみ)との間に男子が生まれる。吉之助は名乗っている菊池源吾の名から、「菊太郎」と名付けようとするが、龍佐民(柄本明)はいつか薩摩に戻る吉之助の子は「菊次郎」にするようにと諭す。薩摩に戻ることを否定する吉之助だったが、子の名前は菊次郎に。

 

その頃、薩摩の国父・島津久光(青木崇高)のもとで頭角を現していた大久保一蔵(瑛太)の尽力により、吉之助に召喚命令が下る。そんな一蔵が島にやってきて、その事実を一蔵に告げる。が、吉之助は愛加那を思い、島に残ると言う。

 

愛加那も吉之助がいなくなってしまうことに戸惑いを隠せず、寂しさを感じていた。島に残るつもりの吉之助だったが、先代の薩摩藩主・島津斉彬(渡辺謙)から受け継いだ短刀を目にした瞬間、気持ちは薩摩へと傾いていた。

 

そんな吉之助の気持ちに気づいた愛加那は姿を消す。龍佐民の元にいて、なんともう一人、吉之助の子を身ごもっていた。吉之助は愛加那を説得し、愛加那も涙ながらに吉之助との別れを受け入れた。

 

吉之助が島から出ていく日、愛加那をはじめ島民たちが吉之助を見送る。奄美大島に代々伝わる「別れの唄」を歌いながら。そして、愛加那は母として二人の子を抱えながら、強く生きていくー。

 

GOODポイント

  • 吉之助が愛加那に花冠を持っていったシーンにキュンとしました。ああいうことされるとうれしくなっちゃうな~吉之助ナイスだわ~。

 

感想

吉之助はつらい“別れ”ばかりで切ない

ようやく絶望から立ち直り、生きる希望を見いだし、愛に溢れる幸せな生活をしていた吉之助…だったんですが、幸せは長く続きませんでした。うーん、切ないなぁ。

 

どうして吉之助はいきなりすぎる別ればかりなんでしょうね。いや、吉之助に限らず、人生ってのは覚悟しての別れの方が少ないのかな。

 

立て続けに両親が亡くなり、命を懸けるほどに尊敬し忠義を誓っていた主君・斉彬も亡くなり、そして初めて愛した女性とその子とも別れねばならず…。つらいなぁ。

 

激動の時代である幕末ですが、西郷隆盛ほどドラマチックな人間はいないのではないか、というくらいに次から次へといろんなことが起こりますよね。それでも省略しているくらいだし、ものすごく濃い人生。突然やってくる大きな喜びもあるけど、その分苦しみも大きいように思います。

 

吉之助が一番自分の気持ちをわかってない?

吉之助って自分よりも他人のことを第一に考える人間なんですよね。自分を犠牲にしてでも、何とか助けようと尽くせる人。だからこそ、自分の奥底にある本音に気づくことが苦手なのかもしれないなと思いました。自分の気持ちに一番鈍感というか。

 

今回も、正助に薩摩に戻るよう言われていましたが、自分の意思として「大島に残る」と言いました。愛加那を妻にすると決めたときから、本当にそう思っていたのでしょう。「残る」と言ったときも、真意からそう言っていたと思います。

 

でも、“いつか”でしかなかった“薩摩へ戻る”ということが本当に起きて、考える部分はあったと思います。正助が「戻ってこられるように何とかする」という言葉を実現してくれたのも素直にうれしかったと思いますし。

 

そして、斉彬からの短刀を目にしたときに、もう気持ちが動いてしまったのではないかなと思いました。愛加那に対する言葉も表情も優しく、島に残る行動も取ってくれている。でも、愛加那が言うように心が薩摩に行ってしまっていたんでしょうね。それを本人が気づけていなくて。

 

悪い見方をしてしまうと、全て他人に流されているようにも見えるんです。でも、それは他人に寄り添い優先するからこそ、自分の気持ちがどこにあるのかわからなくなってしまっているから。最終的に薩摩に戻ると決意したのは吉之助自身なので、悔いのない決断であってほしいです。

 

愛加那は強い

私が愛加那だったら、あんなに強くいられないと思います。いろんな意味で。

 

薩摩に戻ってきたほしいと言った正助に対して、面と向かって「旦那さんは戻らんよ!」とも言えないし。あれも強さだと思うんですよね。怖いから「そんなのはありえない!」と言葉に出して安心したいところもあるとは思うのですが、強さもある。

 

そして、この島に残ってほしいと吉之助に言う。言ってもらって、本当にうれしそうに満面の笑みを浮かべて。あんな幸せそうな顔を見たら、吉之助としては「薩摩に戻る」なんて言えないだろうなと胸が苦しくなるほどに。

 

最後には別れの唄を歌って、夫を送り出す。もう戻ってくるかもわからないのに。二人の子どもも抱えて。それでも、最後には笑顔を取り戻してたくましく生きて。西田敏行さんのナレーションが「気張れ!」と言っていましたが、本当に「頑張れ!」と応援したくなる気持ちでした。

 

私だったらなぁ、強くなれない。一緒にいたいけど残ってほしいと伝える勇気もない。聞き分けの良いフリをする。そして、きっと見送ることもできない。ひとりぼっちになってさめざめ泣いて、しばらくは何もできない。

 

愛加那自身の強さでもあるし、吉之助の妻であり、子の母であるという強さなのかもしれません。これが最後の別れになってしまうのはあまりにも切ないです。史実がどうなのかはわかりませんが、また二人に再会の時がありますように。

 

出会いの唄が別れの唄になるなんて

この物語の最初は、吉之助と愛加那に初めて子どもが生まれるところからでした。その子を祝福するは、出会いを喜ぶようにも聞こえました。「朝花節」というそうです。

 

汝(な)きゃが 先々 果報(かふ)なくとぅ あらしたぼれ

「あなたの未来に幸せなことがありますように」

 

 

その唄を、吉之助との別れを悟った愛加那が歌うんですよね。それは別れる人を応援するような、心を込めて見送るような、そんな別れの唄。ああ、同じ唄なのにこんなにも違って聞こえるのかと思い、切なさに胸がきゅっと痛くなる思いでした。

 

「別れの唄」があることに胸が痛む

吉之助が舟で大島を出て行くときに、島民たちが唄を歌うんですよね。「行きゅんにゃ加那」という唄だそうです。

 

行きゅんにゃ加那

我(わ)きゃくとぅ忘れて

行きゅんにゃ加那

出発(うたち)や出発(うたち)ゃが

スラー 行き苦しゃ

 

戻(むどぅ)てぃもれ

お役目果たせば

戻(むどぅ)てぃもれ

妻子(とぅじくわぁ)の元(むとぅ)ちゃ

戻(むどぅ)てぃもれ

スラー 戻(むどぅ)てぃもれ

翻訳すると、このような意味だそうです。

あなたは行ってしまうのですね

私のことを忘れて

あなたは去って行くのですね

離れてみると

心が苦しいのです

 

戻ってきてください

お役目を果たしたなら

戻ってきてください

妻と子のもとに

戻ってきてください

戻ってきてください

 

まさに今の愛加那の思いを歌ったような唄で。大島にはこの唄が残るほど、多くの人が出て行ってしまったのだなとも思いました。島に流された男と島の女が出会い、男が出ていって帰ってこないというような。

 

そんなことが何度も何度も繰り返されて、唄になるほど積み重ねられたと思うと、その分の思いに胸がしめつけられます。

 

次回:誰ぞ西郷どん!

3年ぶりに薩摩に戻ってきた吉之助だが、久光に進言をして怒りを買ってしまう。一方、有馬新七たちが何やら不穏な働きをして…。その中には吉之助の弟・信吾の姿もあった。

予告を見て、「西郷どんって呼んでくいやい!」って弟のおまえが言うんかーい!ってなりました。そういえば吉之助は「吉之助さあ」とか「西郷様」とか呼ばれていますが、「西郷どん」と呼ばれることはあまりありませんよね。まさかの弟の呼ばれ方なのか!?次回も気になります。

 

 

aoikara

 

西郷どん 第22話「偉大な兄 地ごろな弟」記事はこちら

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