中卒フリーライターほぼ無職。

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【映画】『ある天文学者の恋文』感想 隠したい姿こそ“愛”じゃないか

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愛は気軽に語れない。愛を語るのは気恥ずかしい。心の準備ができていないときに愛と真正面から向き合うと、圧倒的で驚いてしまう。受け止めきれないと思ってしまう。でも、失ってから自分の心にぽっかり空いたものがあって、それが愛だったと気づくこともある。

 

普段は恥ずかしくて愛なんて語るのは避けてきたけれど、愛について深く考えてしまう。そんな映画でした。

 

あらすじ

著名な天文学者エドと彼の教え子エイミーは、皆には秘密の恋を謳歌していた。しかし、そんなエイミーの元に突然届いたエドの訃報。現実は受け入れられないエイミーだが、彼女の元にはその後もエドからの優しさとユーモアにあふれた手紙やメールや贈り物が届き続ける。エドの遺した謎を解き明かそうと、エイミーは彼が暮らしていたエディンバラや、かつて二人で時間を過ごしたイタリア湖水地方のサン・ジュリオ島などを辿りはじめ、そこで彼女が誰にも言えずに封印していた過去を、エドが密かに調べていたことを知るが―。

 

感想

“倫理観”について

不倫という話題で世間が賑わうことも、しばしば。最近は社会的制裁も厳しい。私は不倫に反対派。なぜなら自分がされて嫌だから。たぶん不倫してしまったら、そんな自分も嫌だから。シンプルにそれだけ。

 

不倫した人間をひどく責めて罵倒するつもりはないけれど、「不倫した人」という冷めた目では見てしまう。

 

だから、物語で不倫とか禁断の愛がどんなに美しく描かれていても、同じような冷たい目で見てしまうことはある。個人的な倫理観で、物語に入り込めないこともある。

 

この映画の題材は、たぶん“愛”。だけど、不倫。あまり望ましくはない。やっぱり「不倫じゃないか」という先入観で、見てしまう。それでも見て行くうちに、不倫というフィルターを通さずに、物語として描きたい“愛”を受け入れて観ることができたと思う。

 

ただ、私がエドの家族だったら…と考えると心をかきむしられそうになる感情があるのも事実。映画の展開は、あまりにもエイミーとエドを美しく描きすぎではないか、とは思った。悪い意味で、美しすぎる。

 

実際の登場人物だとしたら、彼の友人でもある医師の気持ちが一番近い。でも、その医師が出てきたシーンで、私は彼ではなく、エイミー側に立っていた。「そんなこと言わないでよ」と、エイミーの代わりに言ってやりたくなった。

 

たぶん、愛を感じてしまったからだ。不倫に潔癖な私がこんな感想を抱くなんて。私が一番驚いている。

 

二度に分けて観た理由

エドが亡くなった後にも、エイミーに次々と何かが届く。エドはなんて鋭い人なんだろうと最初は感心したけれど、だんだんと怖くなった。どれだけ愛していたのか、とてもよくわかるシーンなのだけれど、あんな膨大の愛は少し恐ろしい。そして、じわじわと重い。

 

物語の核心部分に触れる前に、ちょっとヘビーだなと思って、途中で観るのを止めてしまった。

 

それから時間が過ぎて、私にもいろんなことがあって、人生観とか将来に対して考えるようになって、恥ずかしい部分まで言うと、ちょっと愛について考え出して。さらに最近は米津玄師さんの「Lemon」にハマりまくっているというのもあった。

 

要は、この映画を観るベストな状態を作り出してしまった。ふいに続きを観てみようと思って、見届けたくなって、そして見終えた。

 

前よりもすんなりと、前はできなかったけどエイミーに私を落とし込んで、観ることができた。

 

隠したい姿こそ“愛”じゃないか

感情的になって取り返しのつかないことってあるよな。見えないものなんてとてもあっさり。人間関係もそう。

 

ただ、エイミーの“取り返しのつかないこと”には意味があったのだと思う。もしかしたら、エドはそこまで計算していた?と思わせるほど。実は抜けた所もあるから、狙いはどうだったかはわからないけれど。

 

エイミーが見てしまったエドの姿は、本当に痛々しかった。元気で知的でユーモアがあって大胆な姿しか知らなかったから、あんな姿があるなんて。風のようにいつの間にか去ってしまったから、その裏にあるものを全く想像していなかった。

 

そんな情けない自分を見せたくない、死んだ後にもただエイミーに笑顔になってもらいたい、そんなエドの想いが見えて、隠したがっていた姿にこそ私は愛を感じた。私もエイミーと同じように見ていられなくなりそうだった。画面がにじんで、その正体を隠してくれて助かった。

 

エイミーはまた巡り会う

途中から出てくるある人物が気になっていた。エイミーにとても協力的で、理解してくれる人。「気になる」は作り手の意図だったのだろうか。その人物は、最後のシーンにもつながり、余韻を持たせてくれる人だった。

 

エイミーが結局どうしたのか、わからないまま物語は終わる。個人的な見解としては、エイミーは次に進んだんじゃないか、と思った。それがうまくいくかはわからないけど、きっと次に進むだろうなと感じた。

 

じゃあ、今まで見せられてきたものはなんだったのと、皮肉屋な私が聞く。まあ私の中の8%くらいの存在だから、私の大部分にその意見はない。だから、皮肉屋な私に言い聞かせる。

 

エイミーが感じているエドへの愛は永遠だし、また違う愛を見つけても、すでに持っていた愛が嘘になるなんてことはないんだよと。

 

エドから受けた愛は、エイミーにとってかけがえのない大切なことであるのは間違いない。でも、また巡り会うのだろうと思う。それが人間だから。

 

その証拠に、エイミーは悲しんでいた自分をとても客観的に見つめていた。「これが私」ではなく、「あの頃の私」を見つめている目に見えた。颯爽と歩く姿はとても清々しかった。

 

個人的な蛇足

最近、ブログが書けていなかった。ドラマを見たり、本を読んだりしても、このブログに感想を書くことはなかった。でも、この作品を見て感想が書きたくなった。「書きたい」という気持ちを少し取り戻せたことに、感謝したい。

 

 

aoikara

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