中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

スポンサーリンク

母の得意料理

スポンサーリンク

f:id:aoikara:20171121200224j:plain

今週のお題「得意料理」

 

料理というのは母から子へ、子から孫へ、受け継がれていくものと聞く。しかし、私は母の料理を受け継いでいない。

 

理由の一つに、母から料理を教わったことがほとんどないことが挙げられる。ほとんど、と言うと語弊があるかもしれない。物心ついてホットケーキの作り方や米の研ぎ方は教わった。10歳頃にはカレーや味噌汁の作り方も教えてもらった。

 

ただ、それぐらいだ。それ以外の料理はおそらく教わっていない。教わらなくても、自分の勘と、本やネットで見るレシピを参考にして、食べられる味に仕上げるというスキルが備わっていた。それが私なりの料理として現在進行形で身についている。

 

だから、母は母、私は私、それぞれの料理を作る。

 

理由のもう一つに、母の味覚が独特だということがある。母も、母の母から料理を教わっていない。母の母が事情によりいなかったからだ。母もまた、私と同じように自分なりに料理を模索してきて、自分なりの味を確立していったのだ。

 

だからなのかはわからないが、驚くような料理にすることがある。具体的に書くとニッチすぎてバレてしまいそうなほどだ。例えば、フェイクを交えて書くと、オムライスのケチャップライスが醤油ご飯だとか、親子丼は必ず豚だとか、牛乳が嫌いだからシチューを作るときも入れない(もはやシチューではなくポトフ)とか。

 

別に不味くはない。それはそれでおいしい。ただ、私としてはその料理のスタンダードを知らず、全く違うものを「これが〇〇という料理」と言われて出されていたので、幼い頃は信じ込んでいた。給食や外食で「〇〇って全然違うじゃないか!」と気づいたのだ。多くは母のオリジナルよりも、スタンダードな味が好きだった。

 

要するに母と私は味覚の好みも異なるらしい。だから、それぞれの味に特化して、各々の料理を作るのだ。

 

しかし、母の料理はおいしい。本人は料理が苦手だと言うが、私はうまいと思う。包丁の使い方も慣れているし、魚も種類のよってはさばけるし、レシピがあればだいたいおいしい。

 

ときどき味覚に合わない「おや?」という料理もあったけれど、人によっては「おいしい!」と絶賛する味だと思う。好みの違いで好き嫌いはあったものの、食べられないほど不味いと思った料理は一つもないのではと記憶している。

 

だから、母に「得意料理は?」と聞くと、「うーん…」と答えられないと思うが、食べている私としてはたくさん答えられる。母の料理は独特だが、おいしい料理も多いのだ。

 

例えばブリ大根。とろとろの大根とブリがたまらなくおいしい。母のこだわりなのかみりんや砂糖を全く入れないという味付けも、白いごはんが進んでおいしい。餃子もおいしい。母の餃子は肉より野菜が多く、いくらでも食べられる。野菜のうまみがじゅわ~っと広がるのだ。

 

天ぷらも好きだ。私は揚げ物が苦手だが、母はうまい。からっと揚げる。びしょびしょになったことは一度もない。鶏肉のから揚げも好きだった。お弁当に入っている、粉で味付けしたから揚げが好きだった。冷えていてもおいしかった。今でも私は、あつあつのジューシーなから揚げより、ちょっぴりパサついた冷たいから揚げが好きだ。

 

ミートソーススパゲティも好きだ。母のミートソースはセロリが入っていて、少し癖のある味付けなのだ。ソース感より具材感のするたっぷりのミートソースはスパゲティより多めで、最後にソースだけすくって食べるのも好きだった。ハンバーグもおいしい。私が作ると肉感が強くなるが、母のはパン粉が多いのかふっくら柔らかい。家庭的な味付けも良い。

 

そして味噌汁。私が作るとどうしてもすかすかとした味になる。母が作ると、ほっこりと温かい。何が違うのだろう。昔は出汁をとっていた母だが、今は顆粒だし。私も同じ材料で作っているが、なんとなく違う。

 

思い返すと、好きな料理がたくさんあった。私にとっての「母の得意料理」なのだ。

 

母は計量などはしないし、レシピというレシピもない。だから、参考にできない。私が同じように作っても、たぶん同じ味にはならない。母だから出せる味なんだろう。

 

それでも、母の料理を食べられる数は着実に減っていく。あまり言わないが「おいしい」と言おう。「お母さんは料理上手だよ」とも。そして、私が「おいしい」と思った料理について、作り方やコツを聞いてみよう。たぶん母は「感覚」なんて答えるから、今度一緒に作ってみよう。

 

そして、私も母と同じように作ってみたら、母の得意料理が「私の得意料理」になるかもしれない。一度目は「私の味」にしかならないかもしれない。でも、この先長い人生で何度も作れば、料理の経験値も上がって「母の味」になるかもしれない。

 

そういうのが、料理を受け継いでいくということなのかもしれない。

 

 

aoikara

スポンサーリンク