中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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樹木希林という人は、

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樹木希林さんの訃報を知り、悲しいaoikaraです。今日書かせていただきたいのは、

 

樹木希林さん

 

についてです。

 

 

私は正直、語れるほど樹木希林さんという人を知らないと思います。素晴らしい女優さんだということはもちろん存じ上げていますが、樹木さんが出演された作品はあまり見たことがありません。

 

きちんと見たことがある作品は『駆込み女と駆出し男』くらいでしょうか。他の作品も「見たいな」と思っている作品は多いのですが、腰が重い私ですから映画をあまり観に行く機会も少ないのです。

 

樹木さんを一番最初に知ったのは子どもの頃で、フジカラーのCMで「お正月を写そう♪」の着物姿でした。当時は樹木希林さんという女優さんだとは知らず、フジカラーのCMに出ている人、というイメージだったように思います。

 

そして、2011年頃に夫の内田裕也さんはまあいろいろありましたから、その際にご夫婦だと知って非常に驚きました。取材への対応や言葉の紡ぎ方を見て、なんて肝の据わった女性なのだろうと思った覚えがあります。

 

その後は、バラエティに出演されていたのをよく見ていました。とてもマイペースで、話すことは独特で、何時でも予想できないものだから「おもしろい人だなぁ」と感じていました。おそらく、樹木さんを人として魅力的だなと感じていたのでしょうね。

 

好感が持てる、というような感覚とは違うんですよ。なんというか…先ほども書きましたが「おもしろい人だなぁ」というか。言葉を選ばないなら「変な人」。良い意味で。そして私は「変な人」が好きなのです。だから、樹木さんも好きでした。

 

 

樹木さんに対して漠然とした印象と、浅い知識しかない私でしたが、訃報を目にしたときには文字通り言葉を失いました。一瞬、時が止まったような。

 

もう5年も前から全身がんだと知ってはいましたが、それでもいつも目にするのはお元気でマイペースで文句を言いながら周りを困らせる、楽しげな姿ばかりだから、どこか「まだまだ元気だろう」と思っていました。

 

最近になり、体調を崩されたと婿の本木雅弘さんがおっしゃっていたニュースを見て、心配に思っていましたが、それでも“死”とはなんだか結びつかなくて。ああ、本当に逝ってしまわれたのかと、じわじわ認識しながら、ものすごく寂しさがこみ上げてきました。

 

そして、ブログに樹木さんのことを書こうとしたのです。しかし、よくよく考えてみると、樹木さんが全うされていた女優としての姿を、私はほとんど知らないなと気づきました。そんな私が、樹木さんについて語って良いものかと感じ、書くに書けませんでした。

 

 

 

そんな折、とある番組が放送されました。2018年9月26日にNHKで放送された、『“樹木希林”を生きる』という樹木さんの密着番組でした。これは見なければと思いました。なぜか、私は樹木さんの深い思い入れがあるようなのです。自分でも不思議です。

 

2017年の7月から4本の映画撮影をする樹木さんに密着していました。密着しているのは一人のディレクターで、過去に地方の局員としてドラマを演出し、樹木さんに出演してもらったことのある方でした。

 

芸能事務所に所属していない樹木さんは、スケジュールもご自身で把握し、撮影現場まで自分で車を運転して行きます。なんともカッコイイクラシックカーと、おしゃれな私服姿で、ハイセンスだなぁと感じました。

 

仕事の依頼が来たら、樹木さんがギャラ交渉もします。「私そんな安いの~?」なんてのけぞっても見せます。

 

撮影でのメイクさんに「どうしますか?」と聞かれて、「私に聞かないで。あなたが思うようにやって」と厳しい口調で言います。少しぴりついた空気になったかと思いきや、「大丈夫よ、責任なんて取らせないから」とくだけた口調で(それでも愛想のない感じが樹木さんらしいのですが)言い、メイクさんも表情を和らげます。

 

衣装や道具を自分で用意して、お金をかけることに眉をひそめてもいました。撮影中のご飯の支度をてきぱきとこなし、手間取っているスタッフに手荒く指図したりもしていました。

 

おそらく、気が利きすぎるばかりに、気を遣いすぎて疲れて、気を遣えない人のフォローをしてぼやきを言ってしまうのだろうなと感じました。とても、気遣いの人なんですよ。

 

出演する映画『万引き家族』では、どんな人でも家に招き入れてしまう老婆について、「なぜ家に入ってくるのを簡単に許すのか」という点で、理解できないと是枝監督と話し合っていました。

 

老婆の背景として、夫に捨てられたという過去を作り、夫とデキた女の子どもに金をせびりに行くというエピソードが追加されていました。「なぜ」が言葉として語られなくても、老婆が人を招き入れる説得力は十分に語られているように見えました。

 

2017年7月から4本の映画を撮影することを予定していた樹木さんでしたが、その後の予定を全く入れていませんでした。そのことについてディレクターが尋ねると、樹木さんは「体が追いつかない」と答えました。「エネルギーは年齢を重ねるとどんどん湧き上がってくるが、体がそうはさせない。それが年を取ることなんだわね」というような言葉だったように思います。

 

台本について語っていた話も印象的でした。樹木さんは撮影が終わって、翌日に次の作品の撮影に行きます。切り替える方法についてディレクターが聞くと、台本を捨てるとおっしゃっていました。人について名残惜しいと思わないから、物ならもっとだと。

 

ディレクターの男性は、ただただ樹木希林さんを撮影していました。映画の撮影に密着するために、車で樹木さんに拾ってもらい、撮影が終わったら車で送ってもらい。

 

樹木さんは独特の言葉で自分のことや、夫婦に対しての考え方、また映画について語っていました。人に聞かせる言葉、そして内を見透かされているような目だからでしょうか、ディレクターが自分の内を話し出すんですよね。

 

主に家庭での不和についてでした。詳細は明かしませんでしたが、どの家庭にもあるような、夫と妻のすれ違いのこと。私はつい奥さん側の気持ちになってしまって、自分の夫が別の人にこんな風に明かしていたら嫌だなとか、テレビで放送するのかとか、はらはらするような気持ちで見てしまいました。

 

そのうち、この密着について、樹木さんは段々といらだちを見せるます。「何を撮っているのかと」「手応えを感じない」「自分を撮る理由がわからない」というようなことを。要は自分は撮られるような人間ではないという、卑下でしょうか。

 

樹木希林という人が魅力的で、それをただ撮っていたいだけなんだと、うまく伝える方法はいくらでもあったはずです。しかし、このディレクターの方がなんというか、口下手なんですよね。見ているこっちがもどかしくなってしまうくらい。だから、話してみても、樹木さんは納得しない。

 

しばらく時が経ち、2018年に入ってから、ディレクターは再び樹木さんに呼ばれます。それは、とある新聞の取材現場でした。取材が終わった後、樹木さんはご自身のカルテを見せます。それは、全身に癌が転移したカルテ。そして、余命が今年いっぱいだと宣告された話もなさっていました。

 

樹木さんは、この密着について「見所」として持ってきたのだとおっしゃっていたように思います。密着の主題として、「樹木希林の最期」というテーマを与え、演出してくださったのかなと感じました。いろんな方に余命について話していたようでもありますが。

 

またしばらく経ち、ディレクターは樹木さんの自宅に呼ばれます。そのときの樹木さんはとても痩せられて、体が一回り小さくなったようにも見えました。杖がないと歩けない状態でした。

 

家にお医者さんを呼び、最期について話し合っていました。いつもは海外にいる娘さんもいて、樹木さんは特別にしないで、いつものように家にいないで自立してほしいなんて笑いながら話し合っていました。

 

ディレクターが話を聞くと、今までお世話になった人たちにも挨拶回りをしているようなことをおっしゃっていました。

 

そのとき、ふと思い出されたことがありました。『ぴったんこカンカン』という番組で、4月か5月だったでしょうか、樹木さんが自宅を紹介されていたんですよね。亜澄アナウンサーとの掛け合いが、いつものように面白かったことを覚えています。

 

見ている当時はそんなこと少しも思わなかったのですが、あれは樹木さんにとっての最後の挨拶だったのではないかなと。今までお世話になった人や番組の方に向けての、はなむけだったのではないかなと。そんなことみじんも感じさせなくて、いつものように面白いことを言って、文句を言って、いつもの樹木希林で。

 

樹木さんは名残惜しさなんかないとおっしゃっていましたが、そんなことをされたら、こっちが名残惜しくなってしまうじゃないですか。

 

密着に戻ります。どのタイミングだったかは覚えていませんでしたが、浅田美代子さんの映画についても印象的でした。10代の頃から知っている浅田美代子さんに、代表作があればと思って、プロデュースも兼ねて映画製作をしたようでした。

 

バラエティでも紹介なさっていたのですが、公開がずいぶん先でした。樹木さんが生きてらっしゃるうちに、という気持ちだったのかもしれません。浅田さんのお祝いに、唄を歌って皆を楽しませていた樹木さんが、本当に楽しそうでした。

 

また、ディレクターは樹木さんに呼ばれて、今まで撮影した分を見せてほしいと言われます。そして、ディレクターは今まで撮影してきた分の“樹木希林”という人の映像を見せるのです。

 

いつも、ちょっと厳しい面持ちの樹木さん。見透かされているような目をしていて、映像もその目でじっと見ていました。しかし、そんな樹木さんが自分の姿を見て、表情が変わったのです。

 

笑顔に。

 

それは、私が今まで見たことがない、樹木希林さんの表情でした。誰を演じているわけでもない、樹木希林さんの笑顔。柔らかくて、温かくて、愛らしい笑顔でした。

 

表情が一気に和らいだような樹木さんの顔を見て、なぜか私は涙があふれてしまったんです。これは、私は、どんな感情なのだろう。自由で素のままでいるような人で、鋭さや厳しさを強く感じていたのだけれど、なんだか樹木さんが本当に持っているあふれるような優しさを見たような気がしたからでしょうか。

 

このディレクターの方は、口に出して言葉にするのは下手な人でしたが、彼が撮影した樹木さんの姿は、樹木希林という人の魅力を雄弁に語っていました。

 

愚痴ったり文句を言ったりして、独特で、毒っぽくて、ユーモラスで、真剣で、激しくて、冷静で、愛すべき人の姿がそこにしっかりと写されていました。

 

そんな演出家としての彼の力を買っていたからこそ、樹木さんは密着を許したのかなと思うほどに。樹木さんの「私なんか撮っても…」という問いに対して、映像が何より物答えになっていました。

 

樹木さんも「こう見ると撮っていて“面白くない人”ではないわね」と回りくどく褒めていらっしゃいました。

 

そして、樹木さんは4本目の映画、最期の作品に出演されます。ドイツの映画で、年老いた老婆を演じてらっしゃいました。「ゴンドラの唄」を楽しげにおぼろげに歌う、とても短いシーン。それでも目をそらさせないような存在感で。

 

撮影が終わると、樹木さんはいつものように一人で帰ります。一人で現場に来て、一人で現場から帰る。杖をつきながら、ゆっくりとした歩みで。そこで、密着番組は終わりました。

 

 

とても陳腐な感想なのですが、やはり樹木希林という人はすごいなと思ったのです。生きることも、死ぬことも、演じることも、全てが生活の中に流れていくようで。そんなことは難しい。生きることも、死ぬことも、演じることも、たいていは特別だと感じてしまうもの。

 

そうではないのが当たり前の姿なのかもしれませんが、それができるのは、とても稀有な人のように思います。

 

ドキュメンタリーを見てから、樹木さんのことをもっと知りたくなりました。世に出ている情報を集めたりしました。

 

長年出演なさっていた富士フイルムでは、樹木希林さんが出演されたテレビCMを特別公開しています。

 

特別公開:樹木希林さん出演TVCM | 富士フイルム

 

 

私が子どもの頃に見た、富士フイルムの樹木さんがいました。懐かしさと、見たことがなかった昔のCMを見て、逆に新しさを感じたりもして。演じているユーモラスな姿も素敵なのだけれど、“樹木希林”として出演したCMも本当におしゃれ。

 

限定公開ではなく、ずっと公開していてほしいなと思います。

 

 

樹木希林さんと内田裕也さんという夫婦についても、ぼんやりと考えました。例の事件があったとき、私も“世間の声”と同じように、なぜ内田裕也さんと別れないのだろうと思っていました。けれど、今はもう疑問には思いません。

 

夫婦の在り方は、夫婦それぞれにあって、正解は誰にもわからないのでしょう。樹木希林さんにとって、内田裕也さんとは夫婦でありたかった。だから、夫婦だった。

 

不思議な形ではありましたが、もはや誰も「なぜ結婚しているの?」「どうして離婚しないの?」と聞くことはありませんでした。そういう夫婦なのだと納得さえしていたのです。

 

それは、“夫婦の在り方”という固定概念があるようにと、皆が無意識に思っている琴をとっぱらうような、なんだかとても素晴らしいことのような気がしたのですが。素晴らしいと持ち上げるのも、樹木さんに対して失礼な気がするのでやめておきます。

 

私は、その感情はもう“愛”を超越したものなのではないかなと思っていました。それでも、樹木さんは病床で裕也さんに会いたがっていたとか、机の中に裕也さんからの恋文を大事にしまっていたりとか、そんな話を聞くと、樹木さんは裕也さんを愛してらっしゃったのだなと思うのです。きっと、それも愛だった。

 

 

そして、いろんな方が樹木さんを思う言葉を聞いたり読んだりするだけで、私は目頭が熱くなるのを感じます。なぜなのでしょう。なぜ、私がこんなに思い入れがあるのか、私でも不思議です、本当に。

 

樹木希林さんについて書こうと決めたとき、タイトルを書こうと「樹木希林という人は、」という書き出しにしました。その後になんと続けようか、考えました。しかし、うまくまとまらない。どう表現しようか、とても難しい。

 

だから、「樹木希林という人は、」に続けたい言葉は、この長い長い文章全てです。樹木希林さんは短くまとめられるような人ではないのです。

 

最後に、弔辞として宛てた、万引き家族など多数作品でお仕事をなさってきた、是枝裕和監督の言葉を引用させていただき、この記事の終わりとします。

 

人が死ぬとはその存在が普遍化することだと考えています。

今回のお別れはあなたという存在が肉体を離れ、あなたが世界中に普遍化されたのだと。そう受け止められる日が、残された人々にいつか訪れること心から願っています。

引用元:樹木希林に是枝裕和が弔辞捧ぐ「私と出会ってくれてありがとう」、全文掲載(写真44枚) - 映画ナタリー

 

きっと、私は樹木希林さんという方がとても好きでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

aoikara

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