中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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私にとって笑点は歌丸さんだった

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「みなさん、こんにちは。笑点の時間がまいりました。司会の歌丸です。どうぞよろしく」

 

誰もが知っている笑点のテーマ曲のあとには、観客席の中央にいて、演芸を見て。

 

「さあ、お待ちどう様でした。大喜利のコーナーです」

 

大喜利の時間になれば、テーマ曲最後の調子に合わせて扇子をぽんと置き、からっとしながら響きの良い声で始まる。私が記憶しているそこには、いつも桂歌丸さんがいた。

 

私にとって笑点と言えば桂歌丸さんだった。大喜利をやられていた頃はリアルタイムで見たことがなかったのだけれど、司会をなさっているときはよく見ていた。毎週日曜日の午後5時半にはテレビの前に準備して、笑点を見て笑うのが習慣になっていたこともあった。

 

2016年に司会を降板(笑点を卒業)されたときは、「一つの時代が終わるんだな」と感じた。何十年も生きているわけではないのに生意気なことを思ったものだなぁ。それでも思ってしまうくらい、歌丸さんと笑点との結びつきというのは強かった。

 

降板するというだけで、歌丸さんが笑点の司会ではなくなってしまうというだけで、とても寂しく感じられたのに。逝ってしまわれるなんて。

 

私は楽太郎さん時代から、6代目円楽さんとのやりとりが大好きで。円楽さんは時事ネタもさらりと言う知的さを見せながら、歌丸さんを「死んでる」だの「骸骨」だのとさんざんにいじる。歌丸さんも、円楽さんを「腹黒い」と評判を貶めて、自分のことを罵倒したらば容赦なく座布団を奪う。

 

仲が良いからこその容赦ない罵倒はまあ楽しくてたくさん笑った。後に円楽さんが、笑点に入ったときにネタに悩んでいて、「俺のことでいいから」と歌丸さんが言ってくださったというエピソードも大好き。

 

今でも歌丸さんは「楽さん」と読んでいたし、楽太郎さんと呼ばれていたことらの親しみを感じたし、先代の圓楽さんという存在もあったのかな。二人会もしていたし。仲が良いというより、やっぱり円楽さんは歌丸さんをとても尊敬していたように思う。

 

円楽さんとのやりとりは大好きなのだけれど、思い返してみると司会といて他のメンバーの良さも引き出していたよなぁと。それぞれの笑いを上手に引き出して、鋭くツッコむのもうまい。間も上手で。

 

そう考えるとそもそも笑点がすごい番組なんだな。50年以上続く長寿番組というのもすごいことだけれど、内容がほとんど変わっていないところがすごい。まずは演芸、そして大喜利という形はずっと同じ。

 

大喜利というのもただの大喜利と少し違っていて。まず座布団制度が面白い。うまいことを言えば座布団贈呈、ダメなら没収。古典的だがわかりやすい。世界のどこにもそんなお笑い制度はない。日本にだって笑点以外にはないだろう。大喜利番組のポイント制とは違って、没収もあるシステムが面白い。

 

問いに対して面白いことを言うだけでなく、メンバー同士や司会、座布団運びとのやりとりまで込みで笑いが生まれる。そのために一人一人のキャラ付けがしっかりしているから、個性もあるし緩急にもなる。司会者にごまをすれば座布団贈呈、罵倒すれば没収。無茶苦茶だけど、面白い。

 

公正に笑いを審査するんじゃなくて、人間味も含めて面白さがあるんだろうな。そして、初回から出演していた歌丸さんの人間味っていうのが、やっぱりそのまま笑点ってものに染みこんでいるんだよね。

 

2016年の笑点引退会見のときかな、笑点ってのは陰惨なことをやらないっておっしゃってて。小さな子どもからお年寄りまで、家族みんなが笑って見ていられるような番組でありたいというようなことを。

 

たしかに時事はやっても悲惨なことは話題にしない、それを笑いにはしないのが笑点。笑点を見る時間だけは、みんなが心から笑える時間なのだなぁとしみじみ思う。

 

とまあ、私は『笑点』の歌丸さんしか知らないわけで。多くの落語家や周囲の人は、「落語家としても素晴らしかった」のだと語る。

 

私は落語というものを知ってはいても、一人の人間が演るのをちゃんと見たり聞いたりしたことはない。だから、落語については何にも語れない。

 

それでも、歌丸さんが笑点をやめるときにも「落語は続ける」ときっぱりとおっしゃっていた姿勢は今見てもすごいことで。どんなに年を取っても覚えようという姿勢、リアリティと笑いを追求する探究心、すごいよね。落語家としても素晴らしかったんだと、わからないけれどわかる。もう、すごいよね。すごい生き様だよ。

 

ここ最近はニュースで歌丸師匠の名前が出るたびに、ドキッとはしていた。「入院」「退院」そんな言葉の羅列が多いものだから、体調のことが心配で。

 

最近はとても痩せられていたけれど、話す言葉と声はしっかりしていて。まだまだ落語を覚えるんだと、落語をやるんだと、そんな気概に溢れていたし。「もしかしたら」と不安になることはあっても、「やっぱりまだまだ元気でいてほしい」という気持ちがあった。

 

だから、昨日訃報を知ったときは驚いた。本当に「えっ」と声を上げてしまった。次に「あー…」と現実を受け入れるまでに時間がかかって。理解はできたし、誰しも死は訪れるし、そんなことはわかっていてもね、つらいなぁ。

 

寂しいな。寂しいね。きっと日本でお茶の間を一番に笑わせてくれた人だから、そんな人が逝ってしまうというのは寂しいよ。ぽろっと涙が出ちゃうくらいにね。もういないんだな、あの語り口や面白い話は聞けないんだな、と実感すると本当に寂しい。

 

でも、歌丸師匠が亡くなった後でも、歌丸師匠が出ている笑点を見ると、げらげらと爆笑してしまう。だって面白いから。泣きそうになりながらも、面白さが勝つ。思いっきり笑って明るい気持ちになる。それってすごいことだと思う。

 

歌丸師匠の訃報に際して、円楽さんがコメントを出されていたけれどこれがまた泣ける。

旅先、仕事中の為申し訳ございません。とうとう洒落(しゃれ)にならなくなりました。四月五月そして六月二十日にもお見舞いに行って話ができました。

 四月は眼(め)が合うだけ……。前回は笑っていろいろと、下世話な話をして、タタタタ~パパパパ~パンダの宝はパンダ!! としゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました。

 回復してると安心したばかりでしたので言葉になりません。歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、たくさん思い出が多すぎて、どこをしゃべっても一片です。

 だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出、寿命。皆様もそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいてください。ね。

 本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側(そば)に置いてくださってありがとうございました。

 頼る人が居なくなりました……。合掌 六代目円楽

 出典元:桂歌丸さん死去:「笑点」メンバーがコメント発表 - 毎日新聞

 

歌丸さんが笑点を卒業なさったときでさえ、いつにないくらいしおらしく涙を流していた円楽さんだから、大丈夫かなぁと心配だった。心中お察しいたします。本当に洒落にならない…うん。それでもやっぱり噺家です。リズムよく心に届く話をしてくださる。

 

先代の円楽さんが亡くなったときは、笑点メンバーで楽しく思い出話なんかしながら、追悼していたなぁ。あんなに明るく送れるなんてさすが落語家だなぁと、その思い出を笑いにできるのはすごいなぁと感じたことを思い出す。

 

だから、歌丸さんを追悼しながらの笑点メンバーの思い出話を聞けたらな、そこでも笑えたらいいな、なんて思っていた。けれど、円楽さんは思い出を心の中にしまっておくとおっしゃっていて。思い出を語られる機会はないのかもしれない。

 

たしかに、円楽さんがおっしゃるように、思い出の中の歌丸師匠は生きてるんだなぁ。からっとした声と楽しい響きとやりとりは、ずーっと心の中にあるもので。思いながら涙がこぼれてしまったのだけれど、笑うこともできて、それって幸せなことだなぁと。

 

久しぶりに今週の笑点を見ようかな。歌丸さんが出ようが出まいが、歌丸さんが遺してくれた笑点だから。それで思いっきりげらげらと笑いたい。

 

本当に大好きな人でした。笑点も、歌丸さんも、大好きです。ありがとうございました。ご冥福お祈り申し上げます。

 

 

 

 

aoikara

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