中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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書いて、書いて、書きまくって、書き続けていくしかない

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私は今、フリーでライターという仕事をしている。新卒フリーランス、なんて言葉を最近聞くけれど、私は中卒フリーランス。

 

才能があるから進学しないでフリーを選んだ、とかいう格好いいものではない。学中卒という学歴で引きこもりがちな人生で、外の世界にトライする勇気もなく、だかこそフリーという選択肢しかなく、結果的に今はフリーライターになったというだけだ。

 

ダメダメな人生で、何にも長続きしなくて、自分はなんてダメなんだろうと何度も何度も思ったけれど、“書く”仕事はなんとか続けてこられた。

 

高校中退→無職→予備校中退→無職→専門学校中退→無職→フリーライターという、無職にサンドイッチされた今のところの人生。だから、ブログのタイトルも「中卒フリーライターほぼ無職。」。

 

それは、今までの人生が「ほぼ無職」という意味と、「これからもいつ無職になるかわからない」という不安が込められている。それは、「ライターとして今後もやっていけるのだろうか」という不安が、いつもどこかにあるから。

 

 

今はライターの仕事をさせてもらっていて、すごくありがたい。本当に本当に感謝して、真摯に取り組んでいる。書くことが好きな私としては、すごく楽しい仕事でもある。

 

でも、ライターとしては立ち止まっているなと思っている。

 

以前、「あなたのライターとしての強みはなんですか?」と聞かれた。それに、答えられなかった。そして、今も答えられない。聞かれたときから、もうずいぶんと時間が経っているのに。

 

真摯に誠意を持って仕事に取り組もう、という気持ちはずっとある。私の強みと言えることは、それくらいしかない。でも、仕事を依頼する側からしたら、「真摯」とか「誠意」とかは最低限のことで。全然、私の個人的な強みにはならない。

 

私のライターとしての強みってなんだろう。悩む。私はいろんなことに興味があって、だからといって何かを深く掘り下げられるほどの強い興味ではなくて、行動に移せるほどの熱意もなくて、何か一つに絞るという勇気もなくて…。

 

 

 “強み”がある人は、人としても注目されている。ライターという職業で名前や顔が売れている人も多い。有名なライターの人たちは、強みを発揮して、“自分”を売って、人としての魅力も発揮して、“文章”だけじゃなくて“人”としてのファンまで作る。

 

でも、私は、“私”ではなくて“私の文章”にだけ興味を持ってくれたらいいと思ってしまう。私が自分のことを発信するのは、私が有名になりたいからではなくて、パーソナルな部分を見せて興味を持ってもらって、それが仕事につながったらという思いがあるから。あとは自己満足。

 

自分自身が有名になりたいなとは思わない。影響力を持つようなインフルエンサーにならなくてもいい。私は私で自分のことが好きだし、自分の価値観を認めてくれて、興味を持ってくれる人がいたらうれしいけど、それは数人とかでかまわない。「もっとたくさんの人に存在を知ってほしい!」とも思わない。

 

でも、仕事で悔しい思いをすると、影響力があったり有名だったりすると、もっと違うんじゃないか、認めてもらえるんじゃないか、と思ってしまうときもある。だから、有名になるために努力した方が良いのかと悩むこともあった。

 

とか思いつつ、結局何かしているわけじゃない。強みを作ろうとか、有名になろうとか、何もしていない。

 

だから、ただ悔しいだけ。悔しい理由は必ず自分に原因があるのに、そうじゃないって見て見ぬふりして、別に理由を見つけて「私じゃどうにもならないなら、仕方ないや」って諦める方法を見つけただけ。

 

 

こうやって悩んでいると、だんだんと他人の文章が読めなくなってくる。ああ、読めないって。これ以上読んだら、自分がみじめになってしまうって。

 

強みがあるあの人たちも、憧れられるあの人たちも、有名なあの人たちも、すっごく良い文章を書くって思い知らされてしまうから。どんな理由よりも、魅力的な文章を書くから、書いてきたから、それがわかってしまうから。

 

そうやって目をそらす。情けない。素晴らしい文章から遠ざかってしまう。そうしたら、自分が素晴らしい文章を書くことからも遠ざかってしまう。

 

嫉妬だ。だいたい自分がケチをつけているのは、その人への、その文章への嫉妬なんだ。悩みの種も、「どうして自分はうまくいかないんだろう」も、自分がないものを持っている人たちに対する嫉妬でしかない。

 

 

そんな嫉妬にさいなまれていたら、今度は書けなくなってくる。今度は書けない理由を探し出す。「最近ちゃんと食べてないから」「眠れていないから」「仕事が忙しいから」「パソコンが重いから」…全部事実ではある。

 

でも、今すぐに改善しようと思えば、できることばかりなのに、しないのは“書けない”理由がほしいから。全部、逃げてる。

 

悩んで泥沼にはまっているときって、「答え」が欲しくなる。優しい人が「話を聞くよ」「何かアドバイスできることがあれば」と言ってくれる。いろんな答えを教えてくれたりする。

 

そうやって具体的な「答え」を聞いたくせに、「でも…」って理由をつけて、結局やらない自分がいる。やらない言い訳を探してるなって、自分で気づいてしまう。ふと、書くことをおろそかにする“理由”や”良い言い訳”が思いついてしまう。

 

 

あーあ、なにやってんだ。

 

 

「強みのあるライターにならなければ」

「何かを極めなければ」

「魅力的な人間にならなければ」

 

いろんな焦りと迷いの中にいて、ぐるぐる考えて、結局何もしない。考えることに満足してしまう。これでいいのか?いやダメだろ。ダメだから、嫉妬するんだろう。

 

今の状況で、急に強みができるわけじゃないし、何かを極められるわけでもないし、面白い人間になれるわけでもない。

 

じゃあ何をするかって、書くしかない。だって「どうなりたいか」はわからないけど、「書きたい」ことだけは絶対的な気持ちなんだから。

 

書いて。まだ書いて。書きまくって。書き続けていくしかない。

 

強みがなくて、何かを極められなくて、人間的な魅力がなくて、悔しがるなら、書けないことや、文章の未熟さを悔しがれ。スタートラインに立ててないことを悔しがれ。書くことへの努力をしてから、悔しがれ。

 

書いていくうちに、自分の強みや売りを見つけられるかもしれない。文章に“自分”がにじみ出て、それが魅力的な文章になるかもしれない。何者にもなれないかもしれない。

 

でも、書くことはできる。

 

とにかく書くことだけは怠らず、誠意を持って書く。書いて、書いて、書きまくって、書き続けていく。それだけは、自分に約束しよう。どんなライターになるかは、その後についてくる。たぶん。

 

だから、「書く」ことが、ライターとしての私の迷いであり、決断だ。

 

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