最近また、いろんな方の不倫が各方面を賑わせている。巷では溢れているものだけど、すごく大きく取り上げられて、ものすごい勢いで叩かれるようになったのは最近なんじゃないかなーと思う。
私は不倫は否定派。自分もしないし、パートナーがいればその人にもしてほしくない。過剰に叩かれているのは若干怖い。なんでこんなに叩かれたり、悪だと叫ばれるのだろうと思うと、たぶん不倫がフェアじゃない恋愛だからではないだろうか。
結婚・恋愛は需要と供給
個人的に恋愛や結婚は需要と供給の一致によって成り立つと思っている。例えば、80歳の大富豪と、20歳の超美人モデルの結婚。傍から見ると「ワケアリ」だ。私も「おっ、これはこれは…」といろんなことを想像してしまう。
しかし、お互いの利害関係は一致している。大富豪は相手の若さや美しさ(体目当てと言うのかしら)を求めて、モデルは相手の経済力(金目当てと言うのかしら)を求める。まさに需要と供給の一致だ。この二人は、お互いを求めて成り立っている、素晴らしい夫婦関係なのだ。
極端な例だけでなく、よくある結婚もそうだ。私はこの人と一緒にいると幸せになれる、だから一緒にいたいという需要。そして、相手という供給がある。相手も同じ気持ちなら、これも需要と供給の一致だ。
つまり、フェアな状態なのだ。一人の視点に立つと「ん?」と思う需要でも、その供給があって、相手にも求める需要と供給があればフェア。それがどんなに不思議でおかしなことでも、お互いが了承していれば、フェアで素晴らしいカップルなのだ。
不倫はフェアじゃない
ところが、不倫はフェアじゃない。まず、不倫の成り立ちからフェアではない理由をたどっていく。(今回はよくある妻がいる男性が、独身女性と不倫する場合に特化して書く)
不倫する男は、妻の愚痴を不倫相手に言うことが多い。本来であれば、妻への愚痴は、同じ夫としての気持ちがわかる男性同士で打ち明ければ良い。しかし、できない妻=自分が妻選びを失敗した男としてプライドが傷つく。男同士では弱味を見せたくないというのは、プライドが高く、見栄っ張りな人物だということがよくわかる。
夫婦であればね、不満くらいある。誰かに理解してほしいっていう願いも、誰しもが持っている。理解を得たいがために、自分がいかに悲劇的かと見せるために、してもらうために、不満を誇張することもある。でも、聞いている側としては本当だと思って聞く。
聞く人が不倫相手だとして、恋愛というフィルターにかかってしまえば、100%本当だと信じ込む。というか、信じたいのだ。奥さんの愚痴を聞ける=私の方が奥さんより愛されている、私の方が奥さんより優位に立てている、と錯覚できるから。
ある意味で、妻の愚痴や妻には言えないことを聞いてくれてなおかつ無料でいたせて(体の関係)ラッキーな男性と、女としての優越感を得られて愛する人と一緒にいられて幸せな女性、の不倫関係というのは、需要と供給が一致している。では、この二人はフェアなのか?
フェアではないと私は思う。男性としてはすでに自分に同情してもらい、相手の女性の心を満たすために小さな嘘を吐き続けることになる。真意ではない言葉で惑わせる。この時点で不倫相手に対してフェアではない。妻のいる男性に手を出す女性というのも、またフェアではない。
一方が結婚をしていて、もう一方がしていないというのも明らかに立場上フェアではない。では、双方が結婚しているというダブル不倫ならフェアか。いや、お互いのパートナーに対してフェアではない状態になり、歪みが生じる。
関係が進めばよりフェアではなくなる
最初は「結婚なんかしなくても良い」「ただ好きならそれで良い」とかいう割り切った関係でも、思いが募り、時間が経てば関係性は変わっていく。男は情が湧くし、女は執着心が強くなる。
本気で不倫してしまった人ならまだしも、大半が火遊び。奥さん以外の女性に認めてもらうことで、自分はモテると再確認している作業みたいなもの。性欲というのは男性のある種コントロールが効かない部分で(コントロールできている方もたくさんいるけどね)、嫌いではない女性に好意を持たれれば欲を満たす相手として使いたくもなる。
不倫相手に対する「好き」という気持ちに嘘はなくても、並行して奥さんも「好き」なのは変わらない。不倫しても妻は好き。妻は絶対的な存在なのだ。
しかし、不倫相手にとっては、愛する人はたった一人。割り切った関係もあるけど、時間が経てば体だけでなく心まで全て欲しいと思ってしまう。執着心だ。自分と一緒にいない時間は、自分以外の女に当てられていると思うとたまらなく悔しいのだ。
だから、離婚させて、自分が妻になるという次段階に行きたがる。男の全てを手に入れた、という何よりもの証拠だからだ。遊びだけの男性であれば、「結婚」をちらつかせてきた不倫相手とすっぱり切れて、新しい人を作る。それもまた非道だが。
しかし、大半はしない。なぜか。新しく相手を探して、また一から関係性を築いていくのが面倒くさいから。それよりも「離婚は子供が大きくなるまで待ってほしい」「二人の幸せのためには、今の関係がベストだ」など、離婚を先送りする耳障りの良いフレーズを並べ立てた方がラクなのだ。
情も残りつつあるし、切り捨てる非情さはない。ただし、それは愛じゃない。「めんどくさい」が第一で、それ以上に大きな理由はない。
不倫相手は信じる。この状態は既にフェアではない。離婚してくれるのを待ち望んで“将来”に希望を抱く女と、先延ばしにして“今”を楽しみたい男。男は嘘をついて今だけを満たし、女は盲目に男を信じてムダな時間を過ごす。
「それまで待ってる」が、「いつまで待てば良い?」に変化するのに時間はかからない。不倫相手にもタイムリミットが迫ってきて、現実的な答えを要求したくなるはずだ。となると、二人に待っているのは破局しかない。
別れこそフェアじゃない
不倫だって別れがある。不倫相手からすると、別れてしまえば自分は全てを失う。しかし、相手はどうだ。家庭があり、元に戻るだけ。すぐに幸せを手に入れられる。この状況に、ようやく不倫相手はフェアじゃない関係だったと気づく。
愛情が憎しみに変わるとは、そう気づいたとき。今まで過ごしてきた時間が全てムダだった、と受け止めるのは大変なことだ。そのときに感じた自分の苦しみを、苦しみを与えた人間が味あわないのはおかしいと、不倫相手が男に復讐を仕掛けてきてもおかしくない。
どんなに不倫相手が理不尽な要求をしようと、侮辱をしようと、それは自分が蒔いた種なのだ。実際に物理的にまき散らしているし。自分だけが幸せになるというのはフェアではなく、相手が嵐に巻き込んできたら、それを受け入れなければフェアではない。
妻にバレて、子供に嫌われて、社会からは白い目で見られて、仕事では信頼を失って、慰謝料として金を失い、一生不倫したダサい人というレッテルが貼られる。下手すれば内情を暴露もされる。…最悪こうだ。こんなリスクがあっても不倫をしたいのか。
不倫は不幸しか生まない。
世の中に不倫はたくさんあるし、見過ごされたり、知られても何も起きなかったり、不倫した者同士が幸せになることもたくさんある。全てが悲惨な運命をたどるわけではない。
ただ、巻き込まれた人々は確実に不幸になる。
でも、そんな状況さえ、自分たちへの最高のシチュエーションと思う人もいる。誰にも認められないけど自分たちだけが理解できる世界、というのに人は酔いたがるからね。本当は現実に目を向けたら死にそうなくらい厳しさが待っているから、目をそらして脳が錯覚させているだけだと思うけど。
不倫以外にもフェアではない恋愛は悪
何も不倫だけが悪ではない。モラハラだったり、DVだったり、そういう恋愛もフェアではないと思う。それもお互いに幸せにはなれない気がする。
カップルの幸せの形なんてそれぞれで、他人がとやかく言うことではないけれど、いつか心が死んでしまうのではと心配にはなる。
不倫なんてやめてしまえば良い
不倫で痛い目を見た人の匿名ブログを読んだ。最近話題になっている有名な方のものではなく、便乗して書いたものだ。得た教訓が「相手をちゃんと見極めろ」「キャリアを全て失うかもしれないから慎重にしろ」で、たぶんアホなのだろうなと思った。
大勢といたしたいなら、そういうお店に行くなり、理解のある女性と結婚すれば良いのに。恋愛という過程を楽しみたいなら結婚しなければ良いのに。
って、考えられないからアホなんだと思う。「不倫はしない」で良いのになぁ。フェアじゃない恋愛はどんな形であれ、ダメです。何がフェアなのかって人によって違うと思うけどね。
不倫したら、自分の大切なパートナーがどう思うか。つらいし、悲しいし、切ないし、男性でも女性でも“性”を踏みにじられた気持ちになる。パートナーにそんなことを思わせたいのか、って考えれば「不倫はしない」という結論に至ると思う。そうならないのは、そうならない言い訳で理論武装しているだけで、すごく滑稽。
だからって不倫を認めている夫婦が悪ってわけではない。お互いに了承しているなら、別に構わないと思う。でも、そうでないなら、絶対的に自分のパートナーを傷つけるのだから、して良いことなんてない。した時点で、パートナーと向き合う資格はない。アンフェアだ。
人のおどろおどろしい部分を見ていると引き込まれそうになってしんどいので、かわいい猫の動画でも見て心を穏やかにします。これにて終了。
aoikara
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