『乱反射』というタイトルが非常に秀逸だと思う。光が乱反射すると、バラバラに散りばめられる。何かの偶然でその反射が一致して一つの光の筋になれば、壁をじりじりと燃やすような強い光になるだろう。
そして燃え尽きてしまった、そんな偶然の話です。
※ネタバレを含みます。気になる方はご覧にはならないでください。
あらすじ
地方都市に住む幼児が、ある事故に巻き込まれる。原因の真相を追う新聞記者の父親が突き止めたのは、誰にでも心当たりのある、小さな罪の連鎖だった。決して法では裁けない「殺人」に、残された家族は沈黙するしかないのか?第63回日本推理作家協会賞受賞作。
出典元:内容(「BOOK」データベースより)
読んだキッカケ
読んだ理由は言わずもがな、たった二冊で貫井徳郎さんの作品の虜になってしまっているからです。 『愚行録』『慟哭』の順に読んで、次は何を読もうかと調べて多く名前が挙がっていた作品を選びました。
貫井さんの作品を読むに当たって注意してもらいたいことが2つ。1つは頭を空っぽにして読むと言うこと。非常に考えながら読むので、悩み事があったり別の事を考えていると、物語に集中できません。
もう1つは時間があるときに読むこと。ページを1枚めくると、次をめくらなければならないくらい、先が気になってしまうからです。
2つ目のことを忘れていた私は夜寝る前にこの本を取りました。眠気を誘うために行動です。しかし、まぶたが重くなるどころか、むしろ目は冴えてしまうわけです。その夜に結局読み切ってしまいました。ついつい読んでしまいたくなる魔力があるので、睡眠時間を大切にしたいときには控えたいと思います。
冒頭のネタバレがあっても先の展開が気になってしまう
この本で驚くべきは、冒頭に先の展開を書いてしまっていることだ。しかし、その後に出てくる人物には驚くほど接点がないし、年齢も性別もバラバラでどうして関係するのだろうと全くもって意味が分からなかった。
しかも、出てくる人物のほとんどが共感できず、どろどろとした内に秘めている嫌な部分を持っている。なのに、いやそんな人物たちの内面を見たいからこそ、結論がわかっていても読んでしまうのだ。
“男の子の父親”に完全に同情はできない
物語が0になって、1から進んでいく場面がある。読んでいる人にはわかるだろう。そこから“被害者の男の子の父親”目線の物語となっていく。
幼い息子が死んでしまう苦しさはものすごく伝わってくる。ぽっかりとあいた穴なんてレベルじゃない。喪失感なんて言葉では計り知れない。それはわかる。
でも、その父親には完全に同情できない部分がある。彼も間接的な加害者ではないにしろ、「ちょっとした悪いこと」をしていたから、ではない。彼が悔いた部分ではない。
夫としてあまりにも情けない人物だからだ。自分の家族の問題のせいで妻を巻き込み、それを正当化しようとしている。そこに反省もしているが、己のかわいさを感じている気がしてとても嫌なのだ。それは私が女だから、つい妻の目線に立って見てしまうからだろう。
頑張ってくれているのはわかるが、それでも夫として頼りない部分を詰め込んで妻を苦しめていた人物が、息子を亡くした途端に正義を振りかざすのはあまり同情できなかったのだ。
「悪意」ではない、もっと無意識下にある「ちょっとした悪いこと」
男の息子が死んだのは、悪意とも言えないようなほんの小さな「ちょっとした悪いこと」だ。ひとつひとつはとるに足らない。誰かを不快にさせることはあっても、それで人が死ぬとは夢にも思わないことなのだ。
“許せない人”の基準は人それぞれ違いそう
そんな「ちょっとした悪いこと」をしていた人物をそれぞれ主観的に描いている。「全員が許せない」という人もいれば、「仕方のないことだった」という人もいる。また「こいつは許せるけどこいつは許せない」とも考えられそうだ。
私も「この人にはむしろ同情したい」という人物もいて、逆に「こんなやつこそ罪にさいなまれるべきだ」と思う人物もいる。その基準は人それぞれ異なりそうで、それは登場人物たちに自分を投影しているからだろう。
私も“加害者”
そこでふと思った。自分だって同じようにしただろう、自分のようで見ていてつらい。私は一部の“加害者”に自分を重ねていた。それは、自分の心の中にもある「ちょっとした悪いこと」を許したいからだ。
「ちょっとした悪いこと」と言って、何か思い浮かぶわけではない。でも、無意識下に「まあいいか」と小さな悪事を正当化している自分がいるのはわかる。自分が聖人君子ではないと知っている。でも、それが人間らしいじゃないかと自分を正当化しているのだ。自分を守るために。だから「許せる人」と「許せない人」がいる。
だから、私は“加害者”になりえるのだなと思った。男の子の父親が自分の行動を振り返って、実は“加害者”だったのだと気づいたときと同じように。
じゃあ、それを改めるべきなのかというと、きっと忘れてしまうのだろう。無意識下のことだから。おぞましい部分が自分にもあるから、全員を全員避難する気になれないのかと自覚すると、少しぞっとする。
こんなにも主観的に「嫌な人たち」を描けるなんて
この本はそれぞれの人物が主観的に描かれている。それがすごいと思った。嫌な人物の心の中を覗くとこんな気持ちになるのかと思うくらい、「嫌な人たち」がたくさん出てくる。それを自分のことのように書ける技術がすごい。
後味の悪い、救いのない読後感
貫井さんの作品は、ご都合主義な救いを与えない。どうしようもない世界が待っているだけ、そんなラストで終わるのだ。でも、それがリアルなような気もする。物語としては終わりでも、この救いのない世界は続いていくような気がする。
いつか乱反射の光が私に当たるかもしれない。いや、光を反射させる人になるかもしれない。そのとき私はどうするのだろう。どの人物にもなりきれない私にはまだわからない。
以上です。
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