中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

スポンサーリンク

【読書感想文】恩田陸『私の家では何も起こらない』小説の醍醐味が詰まっている小説

スポンサーリンク

f:id:aoikara:20180120175925p:plain

小説の醍醐味とは何だろうか。読んでいて、物語の中で当たり前だと思っていたことが覆されたときではないだろうか。書き手はしてやったり、読み手はそう来たかと悔しがりながらも純粋に驚く。

 

その醍醐味が、この本では最初のたった20数ページに詰め込まれている。

 

 

※ネタバレを含みます。気になる方はご覧にはならないでください。

 

あらすじ

小さな丘の上に建つ二階建ての古い家。幽霊屋敷に魅了された人々の記憶が奏でる不穏な物語の数々。アップルパイが焼けるキッチンで殺しあった姉妹、床下の動かない少女の傍らで自殺した殺人鬼の美少年…。そして驚愕のラスト!ようこそ、恩田陸の幽霊屋敷へ。

出典元:内容(「BOOK」データベースより)

 

読んだキッカケ

この本については読む前は何も知らなかった。今、あらすじを調べて引用して、初めてそんな話だと説明されているのかと気づいたくらい。

 

どんな本を読もうかと、普通ならあらすじを調べたりして探すものだけれど、この本ではなかった。著者の恩田陸さんの小説も、不勉強であまり読んでいない。どんな文体で書くのかも、どんなジャンルが得意なのかも、全く知らなかった。ただ、

 

「私の家では何も起こらない」

 

というタイトルに惹かれた。「いやいや、絶対に何か起きるだろう」と思わせる。お笑い芸人の方の「押すなよ?絶対に押すなよ?」というお決まりフレーズと同じ空気を感じて。はたまた、本当に何も起きないのかもしれない。それはそれで、小説としてどんな広がりを見せるのか気になる。

 

私にとっては、かなり引きのあるタイトルだったので、手にとって読むことにした。

 

小説の醍醐味が詰まっている

「私の家では何も起こらない」

この話は、簡単に言ってしまえば幽霊の話。幽霊屋敷で起こるさまざまなことが連作短編となり、一つの小説となっている作品だ。

 

しかし、“幽霊”が出てくるなんて1mmも知らない私は、「私の家では何も起こらない」という最初の章を、どんな話なのかとわくわくしながら読んだ。

 

ところが、最初の章はなんと退屈なことか。いや、文章がつまらないわけではない。この章は、幽霊屋敷に住んでいる女性小説家のもとに、幽霊屋敷マニアらしい大男が話しにやってくるという物語。この大男の話が面倒くさくて、女性小説家が退屈していたように、私もつい「つまらない」気分になってしまった。

 

と、思っていたのに、物語の終盤で男が発した言葉が衝撃的すぎた。ゾッとした。そうか、だからか、そうだったのね。だから、そんなことを言ったのね、聞いたのね。そんな行動だったのね。

 

小説での醍醐味は、読んでいて信じきっていたことが覆るという、どんでん返しな展開だ。この本では、最初の章の「私の家では何も起こらない」の20数ページに、その醍醐味が詰まっている。

 

この短い間に読者を信じ込ませ、そして覆らせる。それはとても見事で、この間に私はこの本に引き込まれてしまった。

 

「私は風の音に耳を澄ます」

なるほど、これはこういう小説なのかと私は納得した。しかし、本来の内容とはかけ離れている解釈だった。「おそらくどんでん返しの短編集なのだ」と勝手に思い込んでしまったのだ。

 

そのため、次の章「私は風の音に耳を澄ます」では、「次こそは騙されないぞ」と作者と張り合う読者のような気持ちで読んでいた。途中までは「これはこうだろう」と思い、実際にそれは合っていたのだけれど、私が予想していたよりもはるか上をゆく展開だった。これまた騙された、と言うよりもゾッとさせられた。

 

そう、先ほどもゾッとさせられたのだ。また騙されたという悔しさもありつつ、次の章を読み、幽霊屋敷のゾッとする話なのだとようやく理解した。

 

読者は幽霊になる

それからは「騙されないぞ」という気持ちは捨てて、純粋の物語を楽しめた。いや、楽しめるという内容ではあまりないが。幽霊の話なのだから。

 

どれもこれも、同じ幽霊屋敷の話なのだが、ある話に出てきたことが、別の話で出てきてその理由がわかったりする。時系列もバラバラで、伏線が行ったり来たり散りばめられているのだ。

 

行ったり来たり。小説としては始めから終わりまでまっすぐ道をたどるように読んでいるのだけれど、実はいろんな時間軸や場面を行ったり来たりさせられている。それは記憶や思い出のようで、幽霊のようで。

 

記憶や思い出は点と点になっていて、自分の頭や心の中で行ったり来たりして、その点と点が結ばれたりもする。

 

幽霊もそんな記憶や思い出のようにいろんな空間を行ったり来たりするので似ているように思える。しかし、幽霊は時の流れには逆らえない。幽霊自身の記憶や思い出を行ったり来たりはできるものの、空間をさまようだけで、タイムトラベルのようなことはできない。

 

この本の読者はそんな幽霊のようだ。いろんな記憶や思い出をたどるのは、時系列がバラバラの話を読まされているようなもの。でも、小説は最初から最後まで順番に読む(そうじゃない読み方もできるが基本的な読み方として)ので、幽霊が時の流れに逆らえないように読者は構成をひっくり返せない。

 

この本は幽霊視点で読める小説なのかもしれない。

 

独特な文体と視点の違いが素晴らしい

幽霊屋敷の物語であるように、ひとつの幽霊屋敷にまつわるさまざまな物語が出てくる。まるで怖い話を集めた本のようだ。

 

最初の「私の家では何も起こらない」を読んだときに、怖い話のようなスリリングさと衝撃があり、それを伝えるために、1つの短い「怖い話」のように人に聞かせることはできないだろうかと私は思った。

 

そして、口に出して必要なことだけをピックアップして、なんとか短い話にできないか、やってみた。ところが、「あれも必要」「これも必要」と、捨てきれない要素がいくつも出てくる。短く「怖い話」にするのは難しい。小説の文よりも簡潔に、そして私が受けた衝撃ほどに伝えることは不可能だった。

 

思うに、著者の独特な文体に不可能な理由があると思う。とても、独特な言い回しで読者の気をそらさせる。そらさせながら、物語に入り込ませている。いつのまにか文章の視点と読者の視点が一緒になり、もう飽き飽きしてきたわとその視点が思う頃、私もそんな風に思っている。

 

緩んだところから急な展開に、ぐぐっと引き込まれて衝撃を受けてしまう。小説の文章だからこれだけの衝撃を与えられて、私が口でどうのこうのと言っても伝わらない。「怖い話」のようで全く違う、「小説」なのだ。

 

そして、視点の違いの描き方も見事だなと感じた。全部違う人が書いていて、思っているかのようだ。幽霊だけに乗り移っているのかと思うほど。素晴らしいというか、すごい。素直にすごいなぁと思ってしまう。書き手の端くれの端くれとして、浅はかだけれど嫉妬するほど羨ましい書く技術だ。

 

個人的に好きな話

個人的には「俺と彼らと彼女たち」という章の、大工屋の男のセリフが好きだ。彼は仕事で例の幽霊屋敷の修理をしに行くのだが、まあ“彼ら”や“彼女ら”が見えてしまう。それでも仕事はする。彼は章の始まりにこんなことを言う。

この世に怖いもんはいろいろあるが、生きてる人間のほうがよっぽど怖いからな。

そして、章の終わりにも言う。

な?悪さするのは生きてる人間だけだろ?死んでる人間なんざ、可愛いもんさ。

そうなんだよなぁ。この物語の幽霊という存在はたしかに怖い。やらかすことも怖いことが多い。ただ、そうさせているのは生きている人間的な部分だと感じる。愛憎、奉仕、恐怖、敵対心、願望、欲望、羨望…それは人間の生きることそのものでもある。生命力が死を呼び込むなんて皮肉な話だけれど、そういうものなのかもしれない。

 

この話をどう捉えるかは人それぞれだろうし、引用した文はまとめとして使われているものではないので、小説としての結論ではない。ちょうど幽霊に対して、人々が色んな考え方をするように、いろんな解釈をして楽しめる小説のように思う。とても、面白かった。

 

以上です。

 

 

aoikara

スポンサーリンク