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【読書感想文】東野圭吾『麒麟の翼』過ちに向き合う勇気を持たなければ

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人間は見たいものを見るし、見たくないものは見ない。信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない。人にとって当たり前のような感覚なのかもしれない。

 

しかし、時に見なければならないのに目をそらし、信じなければならないのに疑ってしまうこともある。それはきっと、そのときの弱い自分を守るために。

 

自分本位に見ないように信じないようにしていると、いつか本当に大切なものが目の前から失われてしまうかもしれない。そんなことを感じさせる小説だった。

 

 

▼文庫はこちら

 

※ネタバレも含みます。

 

あらすじ

寒い夜、日本橋の欄干にもたれかかる男に声をかけた巡査が見たのは、胸に刺さったナイフだった。大都会の真ん中で発生した事件の真相に、加賀恭一郎が挑む。

 引用元:内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

事件を解決させるには一進一退の捜査が必要

加賀恭一郎シリーズをドラマ・映画から知った私は、この作品を原作とした映画も見ていた。今回読んでみた原作は、映画と比べるとより丁寧で細かく描かれているように感じられた。

 

この大作を2時間ほどの映画にまとめるのだから、端折らなければならない部分もあるだろう。小説を読みながら「この描写はなかった」と気づく点もあった。

 

しかし、原作を読んだ後に思い返しても、物足りなさを感じる映画ではなかった。映画も本も、どちらも素晴らしい作品のように思う。

 

あえて原作である小説の優れた点を挙げるならば、“答え”ありきと感じさせない描き方だろうか。

 

ミステリーや推理ものの作品というのは、当たり前だが作者は答えを知っている。あまりにも天才的な発想をする刑事や探偵が出てきて、訳もなく突飛な推理を並べ立てると、作者という神様の存在が見え隠れして、少し興ざめしてしまう。

 

この小説には、そんな答えを知っている作者の存在が全く見えない。現実世界で事件が起きれば事実も真相も誰にもわからないのと同じように、小説の中の刑事たちは本当に答えを知らずに捜査しているように感じられる。

 

少ない手がかりを頼りに、何度も無駄足を踏まなければならない。真相に近づいたと思ったらまったく別の道筋をたどっていたことに気づき、ふりだしに戻ることもある。一進一退を繰り返し、少しずつコツコツと真相をたぐり寄せていく。

 

私もこの小説の真相を知っていたが、知っているはずの展開をたどりながら飽きることがなかった。それは作者が答えありきで物語を進めているのではなく、小さな積み重ねてを経て答えにたどり着くリアルな姿を見られたからかもしれない。答えを知っていても、内容に没頭することができた。

 

日本橋を知る刑事・加賀恭一郎

シリーズの主人公である加賀恭一郎は日本橋署の所轄刑事。彼がどれだけ日本橋という町を深く知っているのか、よく伝わってくる描写がいくつもあった。

 

この作品の一つ前である『新参者』と、一つ後である『祈りの幕が下りる時』を読んでいる私は、加賀がなぜ日本橋にいるのか知っている。『新参者』の頃よりも日本橋のことを知っている様子で、『祈りの幕が下りる時』に導かれるのかと思うと、胸に来るものがあった。そこには加賀の深い情があるからだ。

 

▼『新参者』読書感想文はこちら

www.aoikara-writer.com

 

▼『祈りの幕が下りる時』読書感想文はこちら

www.aoikara-writer.com

 

過ちに向き合う勇気を持たなければ

サラリーマンの男が道端で刺殺された事件。不幸の連鎖が起きる。全ての根底は、その男の息子である少年の過去の過ちにあった。

 

過ちを犯したのは、ほんのささいな理由だった。自分が悪者になるのが嫌とか、空気の読めない奴と思われたくないとか、よくよく考えてみるとちっぽけな理由で。過ちを犯した瞬間は人生の全てが終わりだと思っていても、うまく隠せてしまえば、時間が経つと意識しなくても忘れてしまっていた。

 

人間は生きなければならない。過ちを犯した人間が自分を責め続けたら、心を崩壊させてしまう。そうならないように、忘れさせてしまうのだろうか。それくらい、無意識に忘れてしまう。しかし、それで傷ついた人間は、一生傷が消えることはない。

 

それでも、少年は犯した罪の重さを再確認することになる。何もできないけれど、何かできないかと彼がしたことは、傷つけた人間をほんの少し癒やすことにはつながっただろう。良心はある。それでも、過ちと真正面には向き合えなかった。

 

できればすぐに過ちと向き合えば良かった。そうすれば誰も傷つかなかった。見て見ぬ振りをした小さなことが、不幸を重ねて、人の命まで奪われてしまった。

 

きっと、過ちに向き合うのにはとても大きな勇気が必要だ。過ちから目を背け、いつのまにか忘れてしまった方が、心はずっと楽なはずだ。だけど、見たくないものを見ないでいると、大切なことまで見落として、失って取り返しがつかなくなってしまうかもしれない。

 

そして、取り返しがつかなくなってしまったのが、この小説だ。けれど、少年は気づいた。過ちを認め、向き合い、罰を受け入れようと決めた。許しを請わず、ただただ罪を認めようとした。

 

失われてしまったものがあまりにも大きく、あまりにも多すぎるだけに、心から喜ぶことはできない。それでも希望はある。そんな風に感じられる結末だった。

 

事件を解決に導いたのは加賀ではなくもしかして…

いつも正しい推理を導き、人の心にそっと寄り添う刑事である加賀。しかし、今回真相に導いてくれたのは、別の人物のように思う。

 

もちろん、最終的に事件解決を成したのは加賀ではあるが、ずいぶんと事件の主軸を勘違いしていた。その勘違いに気づいたのは、加賀の亡くなった父・隆正を担当していた看護師・金森登紀子との会話で出てきた、事件と全く関係ない言葉にあった。

 

「あなたが見てきたのは死体であって人間ではありません。私は、死んでいく人たちを見てきました。何度も。死を間近に迎えた時、人間は本当の心を取り戻します。プライドや意地といったものを捨て、自分の最後の願いと向き合うんです。彼等が発するメッセージを受け止めるのは生きている者の義務です。加賀さん、あなたはその義務を放棄しました」

加賀が父親との最期について交わした約束について、金森が少々きつめに諭す言葉だった。

 

今回の事件の軸は、まさに彼女の言葉の中にあった。加賀は気づき、真相にたどり着くことができた。

 

加賀は父親から受け取るべきだったメッセージがあり、殺された男が息子に伝えようとしたメッセージがあった。どちらも父と子。どちらも父親は死んでしまった。結末に希望が見えたのは、息子が勇気を持ってメッセージを受け止めたからかもしれない。

 

加賀が糸川という教師に怒った理由

以前、この小説か映画の感想で、加賀がとある人物に厳しく詰め寄る姿に疑問を抱いたという内容を見たことがあった。その男とは、殺された男の息子である少年が、中学時代に所属していた水泳部の顧問で、糸川という教師だった。

 

事件の根底となる出来事には糸川も関わっており、少年たちの過ちをずっと隠していた。少年たちの将来のためだったと糸川は言うが、態度や行動からその場しのぎの隠し事であることは感じ取れた。彼の判断が後の不幸を巻き起こしたとも言えなくはない。

 

加賀は激しく詰め寄り、襟首を掴んで怒りを露わにするほど、糸川に憤っていた。たしかにこれほど感情的になる加賀は珍しい。

 

思うに、加賀が過去に教師だったことが関係しているのではないかと思った。加賀は教師として失敗している。糸川とは違い、正しさと厳しさと強さで導こうとして、一人の子どもの心を壊してしまったのだった。

 

そんな自分を悔いてなのか、刑事になってもただ答えを導くのではなく、どう解決に導くかを考える、心に寄り添う刑事になった。そんな加賀が糸川を見て、子ども自身のことを何も考えていない糸川への憤りを抑えられなかったのではないかと感じた。

 

子どもは大人から学ぶ。良いことも悪いことも。大人だって間違えるし、大人になればなるほど間違えることは恥ずかしいと思ってしまう。だけど、過ちに向き合えなかったことは、大切なものを失わせてしまうことがあるのだ。

 

その重大さを気づかせてくれ、私も自分の弱さと向き合う勇気を忘れないように、と身を引き締める思いを抱くことができる小説だった。

 

 

aoikara

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