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【読書感想文】島本理生『あられもない祈り』 心の内を覗いているような背徳感

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初めてこんな文章の小説を読んだ。小説の文章とは端的で、主観にようでありながら客観的で、わかりやすく書いてあるという印象があった。この小説の文章は、流れるようにとめどなく、主観的だった。

 

それはまるで人間の感情をそのままを描いているように。この本を読み始めて、誰かの心の内を覗いているような背徳感から離れられなくなり、そして一度も手を休めることなく、読み終えてしまった。

 

 

※ネタバレを含みます。

 

あらすじ

幼い頃からずっと自分を大事にできなかった“私”。理不尽な義父と気まぐれな母、愛情と暴力が紙一重の恋人に、いつしか私は、追いつめられていく。そんな日々のなか、私は、二十も年上の“あなた”と久々に再会する。そして婚約者がいるはずの“あなた”に、再び愛を告げられて―“あなた”と“私”…名前する必要としない二人の、密室のような恋。至上の恋愛小説。

引用元:内容(「BOOK」データベースより)

 

感想

ページをめくる手を止められず

私がいつも本を読むのは、寝る前。一日中パソコンを見ていた目を休めるべくブルーライトから離れて、せめてスマホを見るよりは目に良いだろうと、紙の本の文字を追う。区切りの良いところか、ほどよくまどろみ始めたところで、本を閉じる。

 

この本を最初に開いたときも、そんな風に寝る前に軽く読み始めるだけにしておこう、思っていた。が、ページをめくる手が止まらなかった。区切りがつけられない、というか区切りがない文章だから。

 

読み進める手を止められず、一時間ほど経て、一度も手を休めることなく読み終えてしまった。吸い寄せられるように、入り込んでしまう本だった。不思議なほどに。寝る前なのに、まるで夢を見ていたような、そんな感覚にさえなった。

 

流れるままの感情がつながれて、続いて、止まらなくて

この本を読んで感じたのは、「小説で初めて読む文章だ」ということ。まず、ずっと主観。状況説明はあるが、説明口調には決してならない。この本を読むと、他の小説がいかに細かく説明されているのかーそれが悪いということではなくーに気づく。

 

そして、そのとき感じた思いをそのままに、綴られていく。とめどなく流れていく感情のように。小説は文章が端的で、だからこそ読みやすい。しかし、感情には読点も句読点もない。そんな風に、この本の文章もとめどない感情のようだった。

 

そして、過去のことについて語られるときも、今話して聞かせてくれているような印象を受けた。というより、今思い出しているとか、そのときあったことをありのままに見せているとか、それもまた“感情”を読んでいるような感覚だ。

 

自分の思いや感情というのは過去とつながっていて、それは絶対に途切れない。過去の記憶を思い返すとき、落ちていた物を拾うのではなく、つながっている糸をたぐり寄せるように、文章もずっとつながっているようだった。

 

そんな感情をそのままにしたようにも思える文章を読むと、人の心の中を覗いているような気分になった。

 

いや、むしろ私の心に入り込んできているような。覗いているのか、覗かれているのか。混ざり合う、妙な背徳感が、手が止まらなかった理由かもしれない。

 

この初体験の文章に驚きはしたけれど、読みづらいとは感じなかった。文章は美しかった。ただ感情だけを抜き取ったらこんな文章にはならない。だから、この美しい文章はたしかに“小説”だと感じた。

 

相対的ではあっても、不義の恋が美しく見えてしまう

私は、不倫は嫌いだ。自分が裏切られて苦しい思いをしたとか、友人や家族がつらい目に遭ったのを見たからとか、そういうわけではなく、単に潔癖なだけ。

 

不倫が美しく描かれていればいるほど、興ざめしてしまう。ドラマや映画での不倫が美しく見えるのは、見目麗しい役者の方々や映像のおかげで、実際の不倫はもっと生々しくて見られるものではないだろう。当人たちは、“作品”のように自分たちの境遇を美化していて、うんざりとしてしまう。

 

しかし、不思議なことに、本作に描かれている“不倫”に対して、汚らしいとは思わなかった。それどころか美しくさえ感じた。共感するとか感動するとか、感情を揺さぶられたわけではない。おそらくは小説というヴェールで、それこそドラマや映画のように、私自身が頭の中で美化していたのかもしれない。

 

本作の“私”には恋人がいるが、別の男性に恋をしてしまう。その男性は婚約者がいて、後に結婚をする。この二人の関係は紛れもなく不倫だった。

 

嫌悪感を抱かなかった理由は、“私”と“彼”のそれぞれの恋人や婚約者に対して、良い目で見られなかっただろうか。その不安定な“恋人”や“夫婦”に対して、二人がお互いを想う気持ちに関しては決して嘘がなく、愛し合っていたという強さを感じたからかもしれない。

 

そもそも“私”は、恋人に対して恋心なんてないように思う。かといって愛でもない。自分が経験したことから導き出される存在意義を満たしてくれる存在なだけ。きっとお互いに。でも、だからこそ彼女にとって恋でも愛でなくても必要ではあった。

 

“彼”は自分の婚約者に対して、自分の方が強く思い焦がれていた。あくまで私の予想だが。しかし、軽くあしらわれていて、その穴を埋めるような、自分が余裕を持って愛せる人間として“私”がいたというようにも見える。ただ、愛した気持ちは嘘ではないと思う。

 

しかし、やはり“彼”のやり方はずるかったし、“私”もまたそこをわかっていることがずるかったし、最後の選択は正しかったのだと思う。

 

おぞましいのにあたたかくて切ない

“私”がフタをしていた記憶は、だいたい想像がついた。あまりにもつらいことだから、無意識に忘れようとしていたのだと思った。が、思っていたのと違った。というか、そのことを読んでいる側はすでに知っていたのか。と、途中で気づく。

 

本当は“私”を愛してくれるべき人が愛してくれず、“私”を獲物にするようなおぞましいはずの人間が、情のようなものさえ抱き、本当は愛すべき人がしてくれるはずのことをしてくれた。本当は、もっとずっと前に、そうされるべきだったのに。

 

その事実に、私は拍子抜けしてしまった。ありえないはずの相手なのに、あたたかみまで感じてしまった。

 

それはすでに語られている状況で、読んだ最初には甘酸っぱい切なさを感じていた。憧れや初恋だとか、そういう類いの切なさかと思っていた。しかし、思っていた切なさではなかった。

 

欲しいと思っていたものが、まったく想像もしなかった人から与えられて、それを受け入れることは、本来愛してくれるはずの人が愛してくれていないことを自覚することで、あまりにも惨めで、心が壊れてしまいそうで、そんな切なさを忘れるようにフタをしたのだと気づいて、胸が苦しくなった。

 

だから、その苦しさまでも全てを受け止めてくれる、恋人ではない“彼”もまた“私”にとって必要だったのだろう。

 

彼女の行き先は

最後に、“私”は自分の行き先を電車に委ねる。向かう方が、離れる方か、“私”も知らない。それは“私”が運命を別の何かに委ねているようで、むしろどんなことが待ち受けていようとも、自分が進む方向をすでに見定めているように感じた。

 

これまでよりも、“私”のために生きると決めた。そう私は解釈した。

 

まとめとして、こんな小説は初めてだった。誰かの心の内を覗いているようであり、私の心の中を駆け巡っていたようでもある。こんな体験はそうできるものではないと感じているので、初めて感じたこの感覚を、この本のように文章で取っておこう。

 

 

aoikara

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