思考が複雑化して疲れているaoikaraです。それは年齢を重ねてきたからなのかも、と思い始めています。今回のテーマはそんなことにもちょっと関わる…
人の価値と年齢
についてです。
- キッカケはバイリンガールさんの「年齢はただの数字」動画
- 男女とも「若いことに価値がある」にとらわれている
- 私自身も「若さ=価値」に縛られていた
- でも、その考えでいいの?
- 年を取っても、若くても、価値がある
- 私の「年齢」宣言
キッカケはバイリンガールさんの「年齢はただの数字」動画
「年齢」について考えたのは、YouTuberのバイリンガールことちかさんの動画を見たのがキッカケでした。
こちらです。
私は海外に行った経験がないのでわかりませんが、たしかに私がいる日本では「年齢」を絡める話ってすごく多い。特に女性は「若いことに価値がある」という考えに縛られている部分があるな~と感じたのです。
男女とも「若いことに価値がある」にとらわれている
男性は本能的なもの?
男性の発言のなかに、「若い彼女とかいいな~」「若い女しか興味ない」「うるせえババア」とか、女性の若さに価値を置くような意見がありますよね。もちろんそうじゃない人がいるのもわかっている上で。
私は女性なのでその価値観はわかりかねますが、もしかしたら本能的なものなのかもしれませんね。自分の遺伝子を残したい!子供を産むには若い女だ!みたいに。それが言語化した結果なのかな、なんて思ったり。
女性でも「若さ=価値」と思っている人はいる
じゃあ、女性は若さに価値を置いてないのかというと、そんなことはなくて。若くあり続けようとする女性もいますよね。メイクとかファッションとかで見た目を若く見られようとしたり。
私は昔、男性が若い女性を求めるから、女性も若さを求めてしまうのでは?と思っていました。でも、そんなことはないなと思ったんです。
だって、女性が生きていくのって男性のためではないですよね?メイクだってファッションだって、自分がやりたいからやる。「そんなんじゃ男性にモテないよ」っておせっかいなアドバイスをくださる男性もいますが、女性からすると「私がやりたいからやるの」という自分自身のポリシーだったりもします。
だから、女性自身が若さを求めている部分もある。
それはなぜか。それは若い頃に周りに認められてきたことが、年齢を重ねるにつれて認められなくなったから。わかりやすい例だと、若い頃はちやほやされたのに、年齢を重ねると見向きもされなくなった、というような。
だから若く見られたいと努力する。嫌な言い方をしてしまうと、若作り。だからこそ、若さに価値があると思ってしまう。
「若さ=価値」が「若さ=価値がない」考えも作り出している
逆に、年齢を重ねると評価されなくなってしまうのが嫌で、若いというだけで叩く人もいます。若さに価値をなくすことで、自分の居場所を見つけようと思うのかも。
- 「私たちが若い頃は~」
- 「これだからゆとりは~」
- 「若いからって許されると思ってる?」
とか。こういう発言をする人って、若いと言うだけで目の敵にしていることもあります。
私自身も「若さ=価値」に縛られていた
私も社会の一部にある「年齢」だったり「女」だったりする、価値観をとても窮屈に感じていたんですよね。
私は若輩者です。だからといって「若くて良かった~」とは思いませんでした。だって、人間は年を取る。今こうしている間にも年は取っていく。だから、いつか私も「若くないから価値がない」と追いやられてしまうのか、そう思うと窮屈で仕方がなかったんです。
でも、その考えでいいの?
と思ったときに見たのがバイリンガールさんの動画。
それで感じたのは「私自身が私を窮屈にしている」ということ。「若いことに価値がある」という人はいる。でも、それはその人の意見。私の意見じゃない。
それなのに、私がその「年齢」や「女」であることに窮屈さを感じるのは、自分自身が年齢に囚われているから。自分が自分を縛って不自由にしているだけだ、と気づいたんです。
年齢はただの数字。
そう思って、改めて年齢について考えてみたんです。
年を取っても、若くても、価値がある
年齢を重ねても素敵な人はたくさんいる
年齢を重ねたとしても、そんなことは関係なく、むしろ年を取っているからこそ素敵な人ってたくさんいます。私もそう感じる人がたくさんいて、その一人が母です。
私の母は私の倍以上は生きているのですが、毎日課題を見つけている。そのためにどうしようかと考えている。そして、今でもやりたいことがたくさんあるんです。挑戦したいことがたくさんある。そのために「100歳までは絶対に生きるから」と宣言しています。
私は普段母に対してこんなこと言わないけど、この姿勢って本当に素敵だなと思うんです。年齢を重ねることで母はいろんなことを吸収して(もちろん譲らない頑固なところもあるけど)、まだ挑戦したいと思う。その生き様って、娘ながらカッコイイな~と思ってしまうんです。
若さを求めることも悪いことではない
「若い」が褒め言葉になる意味
私は年を重ねている母親に対して「若いなぁ」と思うことがあります。見た目に関しても「若いな~」とか「え~〇歳には見えない!」など、若さは褒め言葉になりますよね。
もちろん「若さ=価値」という意味でもあるのでしょうけど、それだけじゃない。若いっていうのはそれだけ可能性があるんですよ。失敗しても大丈夫、それを乗り越えられる年月がまだまだある。どんなことをしたって良い。
可能性があるのは年齢を重ねても同じはずなんですけど、年を取った分だけいろんなことに囚われてしまいます。年齢に伴う責任とか、社会的な立場とか。失敗できないプレッシャーがある。それは仕方のないことなんですよね。
そこも受け止めた上で、それでも可能性を広げていける人っていうのは、若い。というか、年齢に囚われていないその生き様が素敵なんだと思います。
“今の私”も“若い私”に救われた
私は年齢を重ねるにつれて、自分の考えがとても狭まっていると感じました。いろんなことを気にして、そのせいで思考が複雑になって、何を言いたいのかわからなくなっている。
そんなとき、自分の過去のブログを読んだんです。
▼そのときに読んだブログ
内容が問題なんじゃなくて、私自身の考えに気づかされたというか。この記事では、こういう事実があり、私はこう思う。でも、そう思わない人がいてもいいんじゃない?っていうスタンスなんです。
私の考えってこんなにシンプルだったんだな~って、目からウロコが落ちました。今の私が、今より“若い私”に救われた。
だから、私自身も若い頃に持っていたような、吸収力や柔軟性というのを持ち続けたいなと思ったんです。もっとシンプルに考えられるのは若さの良さで、その若さを持っているのは良いことだと。
年齢を受け入れて、年齢に囚われないことが大切
若さを求めることは悪くありません。見た目を若く見せたいのだって、「美しくなりたい」という願望のはず。それってとてもステキなことですよね。でも、「若さ」だけに囚われていると、自分が窮屈になってしまう。それだけがその人の魅力ではないから、もったいないと思うんです。
だから、まずは自分の年齢を受け入れること。そして、年齢に囚われないこと。若いからって、年を取ったって、関係ない。いくつになって挑戦はして良いし、若いからといって遠慮しなくて良い。そういう生き方をしている人ってきっと魅力的なんです。
私の「年齢」宣言
年齢って経験値だと思います。1歳年を取れば、1年分だけの経験値がある。経験値が増えれば増えるほど、いろんなことを吸収できて、人生は豊かに、人として魅力的になれるはず。
でも、経験値が増えるということは、良いことばかりだけではなくて、嫌なことも吸収してしまうことがある。その嫌なことに縛られてしまって、窮屈に感じてしまうこともある。だから、自分の歩く道や可能性をどんどん狭めてしまう。
それって、自分の芯がないからなんですよね。何か言われるとぶれてしまう。経験値を自分のものにできていない。だから、きちんと経験したことを吸収して、自分のものにする。そうすれば嫌なことに出会っても、自分というものがあるからぶれない。それに、嫌なことの中にある有益な情報や、意外な経験値を得られるかもしれない。
一日一日、その経験値は少しずつ増えていくから、きちんと吸収したい。そうすれば、年を取ることが楽しくなる。何年先でも「今の自分が一番好き」と胸を張って言えるようになりたい。もちろん若さ故の吸収力や柔軟性も忘れずに。それも私の良いところだから。
だから年を取ることを楽しんで、年を取った分だけ魅力的な女性になれるよう、生きていきたいです。年を取っているということだけで私を否定する人がいても、それはかまわないです。そんな人に、私の価値を知ってもらう必要はないから。私は私。
加齢を恐れず、積極的に経験値を高めて、だけど若さの良さも忘れずに、年齢を重ねていきます!というわけで、やりたいことをやるぞー。
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aoikara
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