中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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「書きたい」ことが何かわからない

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お久しぶりのaoikaraです。昨日、約1ヶ月ぶりくらいにブログを書きました。

 

ブログをサボってたね。ドラマは観ているけど、ブログに感想を書いていないし。そもそもブログを書けていないから「運営報告」みたいなの書くのもどうなんだろう、と思って書かず。

 

理由はいろいろあります。一つは仕事。忙しくてというか、時間の使い方がうまくいかなくて、仕事の時間が長引いて、ブログを書く時間がありませんでした。書きたいことはあったけど、書けずにいたら、書かない方が習慣化されてしまった感じです。

 

モチベーション低下も理由の一つ。今は悪い意味で仕事に余裕できた(仕事が減った)ので、ブログを書く時間もいくらかはあります。休みの日もあるわけだし。でも、書いていませんでした。書こうって気持ちにならなかったかな。読者になっているブログを読んだりはしていたんですが。

 

さらに、今ブログだけじゃなく、noteもやっているんですよね。noteは日記みたいに毎日書くことを目標にしていて。「書く」こと自体はnoteでやっていて、そこで満足してしまっていた感じもあります。

 

私としては、気軽さがTwitter>note>ブログで、ブログはしっかりとしたことを書きたいなと思っているんです。自分で勝手にだけど。ブログは敷居が高い。

 

そして、一番の理由は、

 

「書きたい」ことが何かわからない。

 

これが致命的。なんとなく最近は、仕事で決められたことを決められた形で書いている、という印象を抱いていて。それにもやもやしていたから、気づいてからは自分が気になること、関心のあることを、仕事でも意識して書くようにはしているんですけど。

 

なんかもっと「書かずにはいられない」「書きたくて仕方ない」っていう、執筆への飢餓感が欲しいんです。「書きたい」欲があったら、もっとブログも書いていると思います。

 

ただ、ブログでも成仏していない下書きはたくさんあるんです。書こうと思っていたけど、時事に関することだったから、書き終える前に時期を過ぎてしまった、とか。書いてはみたけどまとまらない、とか。

 

時間が経ってしまうと、だんだんと「書きたいこと」ではなくて「書きたかったこと」になっちゃうんですよね。その瞬間に書かないと、気持ちはどんどん過去になって、思い出す形で書くとそれはもう「書きたい」とは別物になっちゃう。

 

そして、書かない。こうなると、そもそも「書きたい」という気持ちがわかなくなってしまう。書かないことに慣れてしまって、ブログを書かなくなってしまっている。これが現状だと思います。

 

個人のブログですから、基本的にはマイペースで良いという前提は持っています。頻度ではなくて質を考えていきたいから。でも、質も上がっているのかって話で。「書きたい」と思っていない時点で、それ以前の話じゃないか、ちょっとやばいな自分と思ってしまったわけで。

 

だからこそ、「人生でやりたいことリスト」というブログを書いた、という経緯があります。

 

www.aoikara-writer.com

 

書くために何かをするのではなく、まず「やりたい」「したい」と思ったことに取り組んでみて、書きたいと思ったら書けば良いのではないか、という考えになりました。

 

私の経験値はあらゆる分野において著しく低いから、その経験値を高めたい。いろんなことを吸収したい。やりたいことをやって、なりたい自分になって、自己表現として“書く”ってなったら最高だなと。

 

誰かの目に触れる場所に書くというのは、読まれるということを前提として。つまりは誰かのために書くことでもある。

 

でも、「書きたい」という気持ちがないのは、その前に“自分”ないなと思って。だから、まずは自分のために書く。

 

次のステップとして、誰かのために書きたいという気持ちもあります。ただ、今はその“誰か”が全く具体的ではありません。もし私の言葉を届けたい人がいても、私が持っている材料は少なく、説得力もありません。その材料をたくさん持っていたい。

 

そのために「やりたい」に目を向けようかと思います。「書きたい」だけじゃ動けないし、そもそも「書きたい」が出てこないわけで、それを駆り立てる何かを見つけられたらいいな。

 

P.S.久しぶりにはてなブログにアクセスしたら、全体的に文字が大きくなって、私の目の違和感がハンパない。慣れないよー。慣れるほど、またたくさん書けたらいいな。

 

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