中卒フリーライターほぼ無職。

在宅Webフリーライターaoikaraの日常ブログです。

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やっぱり、イチローって最高だよ

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2019年3月21日(木)は、忘れられない日になりました。

 

イチロー選手が引退

 

私はファンと言えるほど野球が好きというわけではない。スポーツとしては好き。

 

道産子だから日ハムを応援する気持ちはあるし、ニュースで試合結果を確認したりはする。でも、生でプロ野球の試合を見たことがあるわけではないし、テレビ中継もまあ見ない。

 

つまりは野球を語れるような人間ではない。でも、野球ど素人の私でも、イチロー選手は知っている。

 

だって、私が生まれたときに、すでに「イチロー」っていうスーパープレイヤーで、物心ついたときから野球にはイチロー選手ががいるのが当たり前だったから。

  

野球をそれほど知らない私だけど、イチロー選手は特別で、「本当にすごい」と言葉で形容できないほどの存在。もちろん素晴らしい選手は他にもたくさんいる。その中でも、イチロー選手はやっぱり唯一無二だなと思う。

 

野球をあまり知らない私だけど、尊敬する気持ちはとても強い。28年間活躍してきたイチロー選手が引退したことについて、同じ時代を生きてこられた幸運な人間の一人として、ブログで思いを綴っておく。

 

※以下、敬称略。

 

私が物心ついたときから、イチローはすごい野球選手だった。記憶にあるイチローは大リーグで毎日のようにヒットを打ち、クールに何でもこなす選手。その頃は松井秀喜選手も活躍していて、海外で活躍する2トップというイメージだった。

 

ただ、日本人のプロ野球選手が大リーグに野手として活躍することが、どれだけ難しくてすごいことなのか、当時はわかっていなかった。

 

なぜなら、イチローはあまりにも当たり前にこなしていたから。ヒットを出して当たり前。足が速くて当たり前。結果を出して当たり前。イチローが大リーグで活躍するというニュースは、私の子どもの頃は日常だった。

 

私が10代になったくらいから、イチローのスーパープレー集や密着番組を見るようにもなった。これが見飽きない。神業のようなプレーはどれも興奮するし、語られる言葉や考え方の独特さに「面白い人だなぁ」と興味も持った。

 

この記事を書くにあたっても、イチローの映像をまた見直したら止まらなくて、2時間くらい経過してしまった。

 

 

年間最多安打、10年連続200本安打、20年連続100本安打、大リーグ3000本安打、オールスター初ランニングホームラン…数え切れないほどの記録や功績もある。

 

数字だけじゃなく、プレーそのものも本当にすごい。どんな球でもヒットにする。強肩のレーザービーム。スーパーキャッチ。忍者のようだと形容される足の速さと俊敏さ、しなやかさ。何をしても野球ファンを楽しませてくれる。

 

記録にも記憶にも残る選手だと思う。何か成し遂げるたびに、「やっぱりイチローはすごい」と思っていた。

 

しかし、私は本当の意味でそのすごさをわかっていなかったように思う。いや、本当に本当の意味では、まだわかっていないかもしれない。

 

過去にその偉業を成し遂げられたのはイチローだけで、おそらく近い将来成し遂げられる選手はいない。しかも、一番最初にやるというのはもう誰にでもできない。

 

パイオニアでありながら、誰にも届かない存在で、同じ時代にリアルタイムで見られたことさえ奇跡なのかもしれない。

 

 

イチローは、クールで個人主義を重んじるタイプだと思っていた。最初にマリナーズにいたイチローを、私はそういう人なのだと感じていた。

 

だから、WBCへの出場は意外だった。日本代表として出場してくれるんだ、と。しかも2006年と2009年の2回も出てくれた。

 

最近も、2009年のWBCの決勝がテレビで流れていて、ふと試合をリアルタイムで見ていたことを思い出した。もう10年も前のことか。

 

対戦相手は韓国。9回裏に3-3の同点に追いつかれての、10回表。日本は逆転のランナーが2塁3塁。バッターはイチロー。このWBCでイチローは絶不調で、成績を残せないことで世間から叩かれてもいた。

 

そして、ゲームカウント2ボール2ストライク。そこで、イチローが振ったバットにボールが当たり、センター前のヒットに。2点を追加して逆転。観客が大盛り上がりする中で、イチローはいつものように淡々とクールな表情だった。

 

最後は抑えのダルビッシュ投手が決めて、試合終了。ダルビッシュ投手は雄叫びを上げて、選手みんなが喜びを爆発させて集まってきて、うわああああっと盛り上がって、優勝、2連覇。

 

10年も前のことだから忘れかけていたけど、その瞬間を見ていたなとじわじわ思い出した。「優勝した!」とこみ上げてくる、盛り上がってくる、自分の胸の高鳴りを覚えている。

 

 

それまでイチローのことをクールな人だと思っていたけれど、苦しむもがく姿とか、日本代表で勝ちたいという熱意とか、仲間思いな気持ちとか、優勝後のビールかけをする明るい笑顔とか、今まで知らなかったイチロー選手の一面を見た。

 

 

イチローは野球選手として本当に素晴らしい人であると同時に、逸話として語られるエピソードも多い。カレーを毎日食べるとか、一弓という飼い犬の柴犬がかわいいとか(長生き!良かった!)、ドラマ『古畑任三郎』にがっつり犯人役で出演しているとか。

 

知れば知るほど、すごく興味深くて面白くて、人間性っていう部分でも魅力的に見える人だった。

 

 

ここ数年は年齢を重ねてきて、それでも素晴らしいプレーは数多くあるけれど、かつての好成績からは遠のいてきた。イチローも年を取るし、人間なんだなぁと思っていた。それでも年齢を考えれば、十分にすごいと思うのだけれど。

 

昨シーズンの5月に、選手としてはそのシーズンには出場しないということが発表された。次のシーズンのマリナーズ開幕戦が日本であるので、そこで引退するのかなとは、去年から予想はしていた。

 

今季復帰してくれて、久しぶりに見られるのはうれしかった。選手として活躍してくれるんじゃないか、ってイチローにはやはり期待してしまう。私が生まれたときから、スーパープレイヤーのイチローが当たり前にいて、そういう感覚で見てしまう。

 

イチローの45歳という年齢を考えたら、プロ野球選手としていつ引退してもおかしくはない年齢。でも、かつてのイチロー選手が「最低でも50歳まで」と言っていたことも記憶にあったし、もしかしたらなんてやっぱり期待してしまう。

 

打席に立てば、ヒットを期待してしまう。とはいえ、試合を全部見ていたわけじゃなくて、テレビを付けたら日本で試合をやっているときに、イチローの打順が来て、見ていた。それは内野フライだった。

 

ニュースの記事や映像を見たりして、イチローでも打てないんだなという今を見た。逆に考えたら、今までやってきたことがどれだけすごいことだったか、ってことなんだよなぁ、と実感したりもして。

 

そして、東京ドームでの大リーグ開幕戦の2戦目。試合の前に、イチローの引退が報じられた。「第一戦から退く考え」というような報道のされ方で。

 

イチローの引退というのは、想像はしてた。覚悟もしてた。そうだろうなという予感もあった。それでも、心の中を占めたのは「ああ、ついにか…」と寂しい気持ちだった。「一つの時代が終わるんだな」と、私は生意気にも、でも本気でそう思った。

 

その試合は夜も遅かったので、当日は見なかった。次の日に、イチローの最後の打席と、退場のシーンを見た。

 

www.youtube.com

イチローが打席に入っただけで、歓声がものすごかった。声が止まることなく、誰もがイチローの応援をしている。画面越しにも伝わってくるほどの熱気だった。「イチローのヒットが見たいんだ!」「期待させてくれ!」という思いがあった。

 

イチローはヒットを打てなかった。相手ピッチャーも、きちんと勝負をしてくれた。観客も心から応援した。イチローに対する敬意を感じた。

 

そして、イチローが球場から去るときは、本当に胸に迫るものがあった。会場にいる誰もがイチローへの感謝の気持ちでいっぱいで、拍手と賛辞と労いの言葉を送っていた。

 

イチローがマリナーズの選手やスタッフ一人一人と笑顔でハグをする。その間もずっと、「お疲れ様!」「ありがとう!」という観客の声が止まらない。拍手も鳴り止まない。

 

本当に大勢の観衆の中で、帽子を脱いで、観客を見てあいさつをして、グラウンドを一周するイチローの姿は、なんというか、すごかった。

 

映画なんじゃないか、現実にこんなことがあるんだと思えるくらいの一体感で、誰もがイチローを愛して、イチローを応援してくれる人で、ただただ感謝する気持ちがいっぱいで…。すごい光景だった。

 

後からイチロー本人も言っていたことだけれど、その光景を見たら、引退に「後悔などあろうはずがありません」と言うのもわかる。野球人生の中で最も思い出深いこととして、その光景を挙げて「あれは忘れられない」と言うのもわかる。

 

その光景に比べたら、自分が成し遂げてきた功績なんてちっぽけだって言ったのもわかる。いや、ちっぽけではない。本人が言うのがわかるというだけで、成し遂げてきたのは本当にものすごいことなのは大前提で。

 

でもね、なんだろう、本当にあの光景はすごかったんだ。イチローは野球選手として、日本と世界のファンにも、選手たちにも、スタッフにも、ものすごく愛されていたんだなと伝わってきて。

 

私も胸がいっぱいになって、あの光景を見て泣いてしまった。

 

引退会見はYouTubeで全部見た(もちろん公式映像)。ニュースやSNSで知ったコメントや応答などもあったけど、本人の言葉で聞きたかったし、表情を見たかった。

 

www.youtube.com

参考元:https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro

 

一言目から「人多いですね!」って感じで、全部を通して、イチロー節全開で面白い会見だった。物事の捉え方とか、言葉の選び方、考え方がイチローならではで、誰も予測できない答えが返ってくる。

 

記者やメディアの「こう返してほしい」という期待をことごとく裏切ってくるけど、それがイチローっぽくて良かった。

 

 

私にとってイチローは、「孤高」のイメージだった。野球はチームプレーだけど、個人として成績とプレーを積み重ねて貢献するというのが、イチローの闘いなのかなと。

 

でも、引退会見を見ているとそうじゃなくて、むしろ日本のチームプレーの野球をしてきたから、アメリカの個人主義的な考え方のある大リーグでの野球には、ギャップがあったようだった。そして、大リーグでチームの連携を求めるのは諦めた、とも答えていた。

 

アメリカで“外国人”としてプレーする中で、やはり孤独感があったと言う。それがイチローの放つ孤高のオーラだったのかなと、今は思う。

 

イチローは自分から孤高になったと思っていたけれど、日本とアメリカの野球の考え方の違いを知ったからこそ、自分との闘いと切り替えて、孤独に戦っていたのかもしれない。変わらざるをえなかったのか。

 

ただ、孤独感について、「今は全くない」とも答えていた。そして、野球をすることへの考えの変化というのも、印象に残っている言葉だった。

 

あるときまでは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれるかなという風に思っていたんですけれど。

 

ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在なくしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っても良いと思います。

引用元: イチロー引退会見より

 

この「自分のため」と思っているときのイチローだったら、成績が残せないからと、今回のように開幕戦に出てくれなかったようにも思う。でも、「ファンが喜んでくれるから」という思いが強くあったからこそ、最後に選手として出場してくれたんじゃないか、と。

 

そして、イチローが出場してくれて、たくさんのファンが本当に心から喜んだ。イチローへの感謝と敬意で球場が包まれるあの光景は本当に素晴らしいものだった。本当に孤独感なんてない、みんながイチローを愛した。

 

イチローはいつも同じスタイルを貫いている。たぶん、それはそう「野球を愛する」という意味でね。

 

でも、少しずつ変わってきたことはあって。イチローは毎年フォームを改良する、という話を聞いたことがある。それと同じように、会見でもおっしゃっていたように、今の自分をちょっとだけ超えていくことの繰り返して、成長していく。その変化があって。

 

「自分のために」という野球が、「人のために」という喜びに変わったことも、その成長の変化の人つなんじゃないかと思う。

 

「人のためになれることが一番の喜び」と思ってくれる今のイチローだからこそ、イチローの最後の瞬間を見られた。そして、一生忘れられないというあの瞬間が見られたんだ、イチローの最後をこんなに多くの人が見られるよう、今のイチローがいてくれて本当にうれしい。

 

本人は「人望がない」と自虐を飛ばすし、クールで個人主義的にも見えるけど、実は野球とファンへの愛がとても強い人なんだなと思う。

 

 

野球選手として、技術も精神性も人間性も極めて、本当にすごい。そして、やっぱりこんな人は他にいない。引退して、改めて感じた。本当にすごい。そして、そんなイチローが好きだし、イチローって最高だよ。

 

最後に、この言葉を言わせてください。イチロー選手、今まで本当に本当にありがとうございました!

 

 

aoikara

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