日曜日に参議院選挙があった。投票率は48.8%だったらしい。投票率が5割を下回るのは戦後2回目で、1995年に次ぐ投票率の低さだそう。私も記憶がある中で、過半数を切ったというのは初めてじゃないかなと思っていたので、記憶と事実が一致していた。
「選挙に行こう」みたいな世の中の流れみたいなのを割と感じていて、SNSとかでも多く見かけて、若者への呼びかけも多かったと肌で感じていた。でも実際はこうで。自分が見えているのは限られている世界なんだなぁ、と改めて感じた。
私が生まれてからは、微々たるといえども、選挙に行く人というのはマジョリティーだった。「なぜ選挙に行かないの?」と選挙に行かない人たちに投げかける言葉にも、多数派の強さをまとっていたように私は感じていた。
でも、今回選挙に行く人がマイノリティーになった。選挙に行かない人がマジョリティーになった。多数派が正しくて、少数派が間違っていると私は思わない。人数の多さが正しさじゃないし、正しさの定義だって難しい。
ただ多数決で決める選挙で、選挙に行く人が少数派というのは、とても奇妙だなぁと思った。うまく言えないけど、とても不思議な感じがした。
私は選挙に行った。正直、私は政治に関心があるとは言いがたい。支持政党ないし。政治的信条もないし。でも、生きている社会のことだし、「若者も政治に参加する意思があるからいろいろ考えてね」ということを一票で示したかったし、投票した。
休みの日に時間を設けて、今回の参議院選の候補者や政党の主張などを勉強したりもした。ブログにも書いた。
でも、わざわざ時間を設けないと、こういうことはできないよなとも思った。
選挙結果を見た上で、わかっていない部分もたくさんあったなと実感することもあった。けっこう考えているけど、見落としている点もあったなと。政治についてちゃんと知ろうとすると時間が必要で、でもその時間を避ける社会人は多くないだろうなとも思った。
選挙に行かない理由は人それぞれ、さまざまあると思う。行くのが面倒だから。忙しくて時間がないから。今回なら天候が悪かったから。雨が本当にひどかったものね。大切な一票だからこそ簡単に判断できないと、難しくてできなかったからという人もいた。世の中は一票で変えられないから、なんて人もいる。
選挙に行った人が行かなかった人を「選挙に行かないなんて信じられない」と責め立てたり、軽い気持ちで選挙に行かなかった人に「こんな奴がいるから社会は良くならない」みたいに晒しあげられたりするのは、とても嫌な気持ちになる。私は嫌だ。
私は選挙に行きたいと思ってるけど、行かない人の気持ちもわかるし、行きたくないって気持ちは私もあるし、絶対的な自信を持って「絶対に選挙に行こうよ」と呼びかけることさえできない。まして責めたりなんかしたくない。
選挙に行きたい人は行けばいい。呼びかけるのもいい。でも、強制したり責めたりするのは、なんか違う。と、私は思う。
それって自分が正しいと思ってることを強制しているだけだし、自分と違う物を排除しているだけで、政治のことを考えている人の行動とは思えない。
私の個人的な感覚の話。私は選挙結果を受け止めながら、ちょっと冷めた気持ちで見ている。
でも、バンザーイって喜べる人の方が、政治に積極的に参加している人の方が、きっと良いのだと思う。政治への熱があるのは、素晴らしいことだと思う。そうやって、そうしている人たちを認めているからこそ、私も選挙に行くの。でも、冷めていることにわざわざ参加する人は少ないわけで。
選挙に行かないことを責め立てるのは、その冷めている人に「なんで冷めてんの?一緒に盛り上がろうよ!」「楽しくないなんてどうかしてるよ?」と強制している感じがしてしまう。「善い悪いはあなたに決められるものじゃない」ってなってしまう。
だけど言われるんだよね。「選挙に行かないなんて」と。だから、わざわざ堂々と「選挙行かなかった」と言う人はあまり見ない。世間の風潮だと叩かれるとわかっているから。でも、今回「選挙に行かない」が多数派になったんだよね。
そうなると、世間の風潮ってなんなんだろう。声をあげられない人がめちゃくちゃいるじゃんね。
48.8%の選挙へ行くという民意は、選挙結果として受け止められた。51.2%の選挙へ行かないという民意も、また受け止められるべきじゃないかと私は思う。
そろそろ、「行かない」という民意を真剣に考えるべきタイミングじゃないのかな。なぜ選挙に行かないのか原因を探って改善する。話を聞いてみる。寄り添うことで、多くの人が好意的に関心を持てるんじゃないのかな。誰が責め立てられたりバカにされて変わろうとするんだろう。
選挙に行かなかったから政治のことを言う資格はない、というのは多数決で決める選挙において、行かない人が多数派になった時点で通らない言い分じゃないかと思う。ややこしいけど、なんだか、書き方下手くそだけど、社会は誰のためのものでもあるってことで、そういうことで。