ドラマと小説はそれぞれに良さがあるもので私はどちらも好きだ。ドラマから知ったこの作品の原作を読み、やはりこの原作があるからこそドラマも素晴らしかったのだと実感できた。そんな一冊。
※ネタバレも含みます。
あらすじ
日本橋の片隅で一人の女性が絞殺された。着任したばかりの刑事・加賀恭一郎の前に立ちはだかるのは、人情という名の謎。手掛かりをくれるのは江戸情緒残る街に暮らす普通の人びと。「事件で傷ついた人がいるなら、救い出すのも私の仕事です」。大切な人を守るために生まれた謎が、犯人へと繋がっていく。
出典元:内容(「BOOK」データベースより)
読むキッカケ
『新参者』を読むキッカケは、この作品を原作としたドラマを観たことから。今年同シリーズの映画が公開されたことにより過去に放送されたドラマがネットで無料配信され、私もたまたま観た。そしてハマった。映像化されているシリーズは最新の映画以外は全て観て、すっかりファンになってしまった。
映画化された『祈りの幕が下りる時』に関しては、原作から読んだ。
▼『祈りの幕が下りる時』感想記事はこちら
小説を読む順序としてはしっちゃかめっちゃかだが、確実に『新参者』シリーズ、そして主人公である加賀恭一郎という刑事のファンである。
読書感想
物語を知っているのに読む楽しさ
すでにドラマを観ている私としては、話の展開も結末も全てを知っている状態で小説を読むことになる。すでにネタバレを知っている状態で同じ出来事をなぞらえるというのは、人によっては共感しえない行動かもしれない。
私はよくこういうスタイルを採用する。要は、映像作品を観てから原作を読むというスタイルだ。その理由として三つ挙げられる。
一つ目は読むことが好きだということ。読む頻度は多くないースピードは斜め読みする癖があるのでそこそこ速いのにーが、読むことへの関心は高いので常に読む本を探している。面白いドラマや映画があり、それに原作があるとわかれば「読む本が見つかった」とうれしくなる。また小説ならではの表現を感じ取れる楽しさもある。
二つ目は私が臆病な性格であるということ。ドラマが好きなのにハラハラドキドキする展開が長く続くと観ていられなくなってしまうのだ。録画している作品だったらもう耐えられなくて早送りしてしまうほどに。つまり結末の知っている作品であれば、ハラハラドキドキしなくて良いというある種の安心感がある。
三つ目は映像作品と原作を比較する楽しさがあること。これは映像と原作のどちらを先に知ったとしてもできることで、私は好きだ。単純に共通点と相違点を見つけてそのバランスの違いを感じるのが楽しい。
そして、それぞれに後から観たり読んだりすることで、違う形で明瞭になる。今回のように映像作品の後に原作を読むと、登場人物の心の細やかな動きだとか、映像ではわかりにくい嗅覚が触覚といった部分にクローズアップされた表現があるのも面白い。登場人物のセリフも、音として聞くのと、文字として読むのとでは受け取り方に違いが出る。だから、映像と原作では微妙に人物像が違っていたりする。
逆に原作の後に映像作品を観ると、言葉では語らない心の情景が役者さんの表情や演出や風景やいろんな方法で表現されていて面白い。2次元の文章ではイメージの掴みにくかったことも、3次元の映像になると想像しやすかったりもする。
前置きが長くなったが、素晴らしい作品というのは内容を知っていたとしても、ドラマや小説とかどんな形であっても楽しめるということだ。そして、『新参者』はそういう作品であると言える。
やっぱり加賀恭一郎は人の心に寄り添う刑事
『新参者』の魅力を語る上で絶対に欠かせないのが、加賀恭一郎という刑事の存在。人の心に寄り添う刑事として描かれている。
警察が関わる出来事というのは、人の不幸がそばにあることが多い。不幸だったから事件になったり、事件によって不幸になってしまうこともある。そういう人も被害者なのだと加賀は言う。だからその一人一人に寄り添い、刑事のやり方で心を救う。
現実世界では、理想でしかないと言われてしまうかもしれない。ある意味、架空の人物だからこその刑事像であると思う。全ての刑事たちにその姿を求めることは非常に大変だと思う。ただ、刑事たちの中にも加賀的な部分を持っている人たちもたくさんいるのだと思うし、そうであってほしいと安全を任せている一般人としては思ってしまう。
『新参者』のドラマの中ではいろんな人物にスポットを当てつつも、やはり加賀という主人公の目線で物語が動いていく。それは自然な展開であるし、違和感はない。けれど、小説では違う。
加賀は主人公なのだが、主人公然としていない。ある人物にスポットライトが当てられたら、その人目線で話が進む。ときどき、加賀がやってきて、いつのまにかその人の心に寄り添っている。あくまでその人目線で、その人が主人公の物語に加賀という脇役がさりげなく出てくるような。
そして面白いことに、『新参者』で加賀目線の話は出てこない。加賀から話を聞いて本人の気持ちがわかることもあるが、そのときも目線は別の人物だ。なのに加賀はしっかりと存在感がある。
他人の人生にでしゃばりすぎない佇まいにも、心に寄り添う姿があるようで私は好きだ。
小説としての技法に感服
伏線の数を数える気もしないくらいに多い
この物語は日本橋小伝馬町で一人暮らしの40代の女性が殺された事件から始まる。日本橋に関わる登場人物目線の短編がつながる形で構成されている。そのどれもに加賀が出てきて、何か疑問を残しては解決していく。事件に関係あることもないことも含めて。
気づかぬ段階で伏線を無数に散りばめて、それを丁寧に回収していって事件も解決する。人々の心に寄り添って、事件だけではなく人と人とのつながりを修復することもたくさんある。
とても伏線が多いので「あれはそういう意味だったんだ」と登場人物が感じるのと同じように実感しながら読み進めることができて、物語の中に入り込むことができる。
小説だからこそ感じられる“五感”が楽しい
先述したように、すでに映像作品によって内容を知っている原作に関しては、小説ならではの表現を感じるのも私の楽しみだ。「これは良いな」と思った表現として、こんな箇所をご紹介したい。
ガラス戸を開けた途端、蒸し暑い空気が襲ってきた。瞬く間に全身から汗が滲んできそうだ。それでも多美子はサンダルに足を下ろした。まだ外を出歩く気にはなれなかったが、冷房の効きすぎた薄暗い部屋に閉じこもっているのも苦痛になってきたのだ。多少排気ガスの臭いが混じっていようとも、外の空気に触れてみたいと思った。
このシーンはドラマにはない。あったとしても、“多美子”がガラス戸を開けてサンダルを履いて空気を感じる一瞬のシーンになるだろう。その一瞬にこんなにも多くの感覚や感情が伴うこともある。それが物語の転機だったりもする。気づかぬうちに読まされていたとしても。
そしてこの感覚や感情というのは映像では描ききれない部分がある。人物にセリフを言わせても良いが嘘っぽくなってしまうこともある。小説でしかできない表現であり、月並みな表現だが本当にすごいなと思う。
とても個人的な思いとしては、未熟な書き手である私は「こんな文章が書きたい」なんて恐れ多くも思ってしまうのである。
これほど大きく広げた話をきれいにまとめるなんて
『新参者』にはものすごく多くの人が関わっている。関係ありそうでなかったり、関係なさそうであったり、そういうことの繰り返し。どんどん広がっていく話がこんなにきれいにまとまるなんてと舌を巻く。
事件が明かされることも望んでいるが、登場人物たちの幸せも自然と願ってしまう。登場人物を魅力的に描くのもうまいのだろう。いったいなぜこんなに多くの人の気持ちがわかってしまうのかと、素晴らしい小説を読むたびに思う。今回もそう思った。
加賀恭一郎の最後のセリフが好き
これは感想としては蛇足に分類されるものだが、私は最後の加賀恭一郎のセリフが好きだ。今この記事では明かさない。大きなネタバレになるのかというほど重要なセリフでもない。でも、必要なセリフではあると思う。とてもしっくり来るのだ。そして格好いい。『新参者』を最後まで読んでいただいて、その感覚が共感できたら幸いだ。
以上です。
aoikara