どうも、aoikaraです。
私はどこに向けてメッセージを送っているのでしょう…。
先日(かなり前)こんなニュースを見ました。
タレントの新山千春さんがブログは炎上したら金になる、なんていってまた批判されちゃったりしましたよね。
芸能人の方は言動によってTwitterやブログが炎上するというのはよくある話で。
むしろそれでお金を得てしめしめ…なんていう炎上商法があるというくらい。
この「炎上ブログがおいしい」と思う気持ち、少しだけわかるんです。
いや、「アクセス数を稼いで金になるなら炎上くらいしてやるわい!」という気持ちに共感できるというわけじゃないんです。
むしろ逆。
芸能人なんて多くの人の目にさらされている商売ですから、支持するファンも多いですが、嫌ってるアンチもいるわけです。
一般の人と比べると、ファンもアンチもその数は膨大。
ファンがいることもわかっていながらも、アンチの批判の声だって確実に届くわけで、それだけ傷つくことも増えるわけですよね。
安置の声が大きくて、何をしても批判されれば「何が悪いんだろう」「どこがいけないんだろう」と思ってしまいます。
そしてあるとき気づきます。「この人は私が嫌いだから何をしても悪いとらえ方をして悪く言うんだ」あるいは「この人はただ自分の意見を正当化するために私を悪く言いたいんだ」。
そこで思うわけです。言葉尻一つで揚げ足取ろうと自分のあら探しをしようとブログを見る人がいる。むしろその人たちがいるおかげで、ブログのアクセス数がのびて儲かる!むしろありがたい、おいしい話だわ!
ってくらい転換しないと、批判で精神的にぼろぼろになっちゃうと思うんですよね。
私なんて自分が書いた記事にぴりっと何か言われてすぐ凹んでいます。
使った言葉が悪かったのかな。思うように伝わらなかったのかな。
割とうじうじ気にしてしまいます。
でも、その人は批判したいとかじゃなく、ただその記事をみて思ったことを言ってるだけなのだな、と思いました。
そしていろんな人がいるのだから、受け取り方だって人それぞれだと。
それで多くの人が記事を見るキッカケになるなら、ライターとしてこんなにうれしいことはない。
むしろ、名が知れるキッカケにもなるしおいしい!おいしい!
とか思わないと、精神的に参っちゃうんですよ。
でも私もテレビとか見ながら「1度洗っても油汚れがあって…もう1度洗わなきゃ!とか言ってるけど、最初から2度洗いすると思っていればそんなに落ち込まないのになぁ」とかぶつくさ文句言ってるわけです。
それが独り言か、誰かとの会話か、ネット上かとかそういう場所の違いだけなんですよね。
批判ではなく意見として、それは受け止めていかなきゃなと思います。
俳優の山本耕史さんも言ってたけど“ストーカー”と言われて傷ついたと言うより「そういうとらえ方もあるんだな」という考え方。たしかにそうなんですよね。「そういうとらえ方もある」。
だからこそ多くの人に見てもらえる記事は客観的に書かなくちゃいけない。ある意味そこは私個人とは離れていて、こういうテーマで記事を書いて…とやっていてもそれはそれで批判されるんだけどね。だけど多くの人に見てもらえて意見が聞ける場所があるっていうのはネットだからこそ。ありがたいのかもしれません。
批判をおいしい!というよりは、これからの自分の糧にしてもっと精進しなくちゃなぁと思います。重く受け止めすぎてズドーンとやられないようにも気をつけないと…。
結局何が言いたいかって、「おいしい!」と思うくらいの図太さと、それを受け止めて転換できる臨機応変さが欲しいと言うことです!繊細で修正が効かないので、少しずつ発想転換できるよう頑張ります。
あとひとつ。
同じ内容の言葉でも、「そういう考え方もあるのか」と受け止められるものと「なんでそういう言われ方をされちゃうのだろう」と落ち込んでしまうものがあります。これは言葉の使い方の違いなのだなぁと思うとライターとして学ばなければと思います。
なんにせよ、見てくれる方の意見はとてもありがたいです。
どんどんミテネ、カイテネ。
aoikara